有限資源を使い続けていいの?
若者たちが政治に、気候変動問題を何とかするよう強く求めるようになった。それを機に、2050年までに二酸化炭素の排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルが目標とされるようになった。
それで、パリ協定が目的とする地球の温度が産業革命以前より1.5度(最高でも2度)引き上がらないようにできるかどうかは、疑問だ。でもようやく、脱炭素社会を目指す動きが広がっているのは歓迎すべきことだと思う。
パリ協定の基盤になっているのは、すでに書いたように、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで採択された「気候変動枠組条約」。それが「持続可能な開発」の基盤となる。
ところが、どうもおかしい。
パリ協定が地球温暖化を何とかすべきだとするのは、地球の温暖化問題を解決しないと、人類は地球においてこれまでのように生活することができなくなるからだ。次の世代にも、今ある環境と生活を引き継ぎたい。いや、そうでなければならない。次の世代とは、これから続くすべての世代ということだ。これも、はっきりさせておきたい。
それが、「持続可能な」ということばの意味だ。ところが今、「脱炭素社会」に向けてどうしようとしているだろうか。

一部の国をのぞくと、石油や石炭、ガスの化石燃料を使うことによって排出される二酸化炭素を地球環境に放出しないようにすることだけが考えられている。たとえば、二酸化炭素を地下などに貯留する。二酸化炭素をリサイクルすることも考えられている。
それでは、二酸化炭素を放出しないという目先のことしか考えられてない。二酸化炭素を貯留したり、リサイクルするとは、二酸化炭素を排出し続けるということでもある。
それが本当に、脱炭素なのだろうか。
脱炭素とは本来、二酸化炭素を排出しないということ。さらに、化石燃料を燃焼させることで排出される有害物資も排出しないということである。つまり、石油や石炭などの化石燃料を使わないということに他ならない。
それはなぜか。
化石燃料は有限だからだ。有限資源を使い続けては、いずれ枯渇する。それでは社会は、持続可能ではない。持続可能な将来を求めるには、有限な化石燃料を使わない社会つくりをする。
そういうと、二酸化炭素を排出しない原子力を拡大させるべきだというかもしれない。でも原子力発電の燃料となるウランも、有限であることを忘れてはならない。
それに対して今度は、ウランをリサイクルするため、核燃料サイクルを構築すればいいとなる。でも核燃料サイクルは、技術的にはまだ不可能だ。本当に実現できるかどうかも疑わしい。たとえ可能になっても、とても高いものになる。その負担は、次の世代に押し付けることになる。
それでは、世代間に平等ではない。不公平だ。そうならないようにするのが、「持続可能な」という意味でもあることを忘れてはならない。
原子力発電は、化石燃料による火力発電と同じ技術をベースにしている。違うのは、熱の発生のさせ方だけだ。その点で、原子力に依存するのは、二酸化炭素を排出しなくても、脱炭素というべきではない。その技術も、温暖化を引き起こすことに一役買っているからだ。同じ技術を使うことは、温暖化の問題を根本から解決することにはならない。
脱炭素社会とは、有限資源を使わない持続可能な社会であることをはっきりと肝に銘じておきたい。
(2021年4月29日、まさお)
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関連サイト:
日本外務省のパリ協定ページ