急がば回れ
ぼくは前回、都市の市民が農民と連帯して、村民化することについて書いた。都市の市民が村に移住する必要はない。でももちろん、都市市民が村に移住して農業をはじめることもできるのはいうまでもない。
ぼくはここでは、ちょっと挑発的に書いているかもしれない。ぼくがいいたいのは、都市と村の区別がなくなり、一体となるべきだということでもある。都市か、村か。どこで生活するかどうかは、自分自身で判断して決断する問題だ。
都市と村が一体となるとは、生活のテンポが都市と村で一様になるべきだということでもある。そのためには、特に都市において生活スタイルを変えることが求められる。
都市の生活のテンポは早い。これでもかというくらいに早い。1日がほとんど24時間休む時間がないかのように、都市は動いている。都市の市民は、急かされて生きているともいえる。それに対して村では、生活のテンポは自然に左右される。暗くなると、屋外で農作業はできない。生活は自然のリズムで行われる。その分村民に、時間と気分のゆとりが生まれる。
この都市と村の違いは何をもたらすのか。たとえば、一人当たりのエネルギー使用量が都市と村で大きく違うということだ。都市では格段に、たくさんのエネルギーを使用して生活する。1日に移動する距離も長い。
これから二酸化炭素の排出を実質ゼロとするカーボンニュートラルを目指すには、エネルギー使用量を減らさなければならない。単に二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーに転換し、ガソリン車を電気自動車に切り替えるだけでは、カーボンニュートラルは実現できない。エネルギー転換と交通改革は、使用するエネルギーを今と同じように一対一に変えるだけでは実現されない。それとともに、エネルギーの使用量も減らさなければならない。
そのためには、省エネ機器を導入するだけではなく、労働スタイルも生活スタイルも省エネに適したものに換える必要がある。
たとえばこれから、小型の自動運転バスが増えると思う。バスはせいぜい、時速20キロメートルくらいでしか走らない。でも固定された路線も停留所もなく、バスは乗客の要望に応じて移動する。そのためバスはゆっくり走っても、ぼくたちは目的地に早く到着できると思う。
自転車で移動する人も増えれば、同じことがいえる。自転車では、乗り換えも渋滞もなしに走ることができる。それは、他から影響を受けないということでもある。目的地には確実に早く着くことができるはずだ。
これは、たとえゆっくりしたテンポで移動しても、インテリジェントに移動すれば、移動にかかる時間を短縮できるということだ。同時に、その時に使われるエネルギーは少なくなる。気分的にもゆとりが生まれるはずだ。
今コロナ禍で、オンラインショッピングがすごい勢いで拡大している。でもオンラインでなんでも済ませることで、ほしい品物を手に入れることができのか。さらに省エネにもなるのだろうか。
そのためにどれくらいのエネルギーをサーバーに使っているのか、配送に必要な段ボールと配達にどれくらいのエネルギーを使っているのか。そういう問題も考えたことがあるだろうか。
オンラインショッピングでは、気に入らないと簡単に返品もできる。でも返品された商品の多くが、廃棄処分されていることは知っているだろうか。返品によって、どれくらいのエネルギーが無駄にされるのか。
ぼくたち消費者はさらにオンラインショッピングを利用して、ゆとりを得ているだろうか。
こうしてちょっと立ち止まって、今自分がしている行為について考えてみることは、自分の生活スタイルと社会造りにも関係する。自分の生活をどう設計し、社会とどうか関わるかは、自分の問題だ。自分は市民として、どう生活するのか。
その決定権は、ぼくたち自身にある。車でも、スマホでも、インターネットでもない。そのことを忘れないでおきたい。
日本語に「急がば回れ」ということわざがある。社会のテンポが早くなっている現在、このことわざの意味をもう一度振り返ってみたい。
(2021年12月17日、まさお)
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関連サイト:
ベルリンの都市改革を目指す市民グループ:Changing Cities e:V.(ドイツ語)
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