地道な市民

再エネとともに変わる社会と市民

 太陽光や風力など、再生可能エネルギーをエネルギー源として使うようになった。たとえばドイツは、二酸化炭素の排出を実質ゼロとするカーボンニュートラルを実現する上で、再エネ100%化を目指している。

 ここで、再エネは従来のエネルギー源である石炭や石油などの化石燃料やウランと、どう違うのだろうか。

 化石燃料やウランを手に入れることのできるのは、ごく一部の人だけだ。それを採掘するには、それだけの資金が必要となる。それだけお金をかけて採掘し、それを売るとは、利益を得るために付加価値をつけるということでもある。

 消費者がエネルギーを使うには、化石燃料などのエネルギー源や電気などのエネルギーを買わなければならない。そのためには、燃料費の出費が発生する。

 資本主義経済はこうして、格差をつくるから成り立っている。ここで格差とは、付加価値をつけて差をつけることだ。それは、資本主義経済におけるものつくりの基盤でもある。だから、ものつくりによって利益が生まれる。格差と利益を巡って、競争もしなければならない。

 資本主義は産業革命から起こった。それは産業革命において、人類が石炭や石油を燃料とする蒸気機関と内燃機関を発明し、化石燃料を使いはじめたからだ。つまり資本主義は、その後のウランも含め、エネルギー源である燃料にお金を支払うことで成り立っているともいえる。

 それに対して再エネは、誰にでも手に入り、誰にでも使うことができる。ほとんどの場合、燃料費を支払う必要もない。お金がかからず、誰にでも使える。それが、再エネとこれまでの燃料が根本的に違うところだ。

 この違いが、ぼくたち市民と社会にダイナミックな変化をもたらす。

 ぼくたち一般市民は今、建物の屋根にソーラーパネルを簡単につけることができる。そこで自分で発電し、発電された電気を自分で使う。電気自動車も、自分で発電した電気を充電すればいい。

 自宅に蓄電池を設置すれば、電気の安定供給が確保される。電気自動車の蓄電池をその代わりに使ってもいい。余った電気は、電力会社に売電する。

 ソーラーパネルや電気自動車は、隣人や友人などと共同で購入し、シェアして使うこともできる。

 それとともに、これまでの資本主義経済とは異なる2つの大きな違いが生まれる。

 まず一つは、ソーラーパネルと蓄電池のインフラさえ購入すれば、自家発電自家消費が可能となるので、お金を支払ってまで燃料を買う必要がなくなることだ。それどころか、余剰電力や蓄電された電力を売ることで、幅収入を得ることができる。

 それに対してこれまでのように、ボイラーや自動車を買うと、燃料が必要になる。燃料費の出費はばかにならない。

 つまり再エネを利用することで、燃料費の出費がなくなるどころか、再エネで発電された電気を使っても、余剰電力でお金が手元に入るようになる。

 もう一つの違いは、個人住宅にソーラーパネルや蓄電池(電気自動車でもいい)を設置する投資資金は、個人が投資するということだ。企業や投資家が投資するにしては、投資額が小さすぎて、投資対象にはならない。

 たくさんの住宅や建物の屋根にソーラーパネルがつきだしても、それは個人の投資対象にはなっても、機関投資家の投資対象にはならない。

 その結果、資本主義が成り立つだけの大型投資をする対象が減り、機関投資額が減少する。

 そういうと、貯金のない貧乏人にはソーラーパネルや蓄電池は買えず、裕福な市民が徳するだけではないかと、批判されると思う。

 いや、そうではない。

 資金力のない市民には、前述したように、たとえば共同住宅において共同でソーラーパネルや蓄電池に投資できる可能性がある。投資しても出費がなく、副収入が生まれるので、少額の融資を受けるチャンスもある。融資を受けても、借金は返済できる。いわゆるマイクロファイナンスが成り立つのだ。

 市民による社会的なプロジェクトなどを対象に、マイクロファイナンスする銀行も必要になる。

エネルギー市民協同組合EnerGeno(エネルゲノ)によって設置されたメガソーラー。ドイツ南部バイエルン州・グラッサウ(写真:EnerGeno提供)。市民は共同で、こうしたメガソーラーも可能とすることができる

 市民はさらに協同組合に参加して、市民プロジェクトとして共同で、たとえば太陽光発電施設や風力発電施設に投資し、事業として発電することもできる。

 十分な資本がなくても、再エネとともに一般市民が独立して経済活動を行い、簡単に電力市場に参入できるということだ。その結果市民は、自立して経済活動を行い、社会においてより大きな力を持つようになる。

 社会が再エネによって、ダイナミックにボトムアップされると思う。エネルギー源はすべて、自分の生活する周りにある。エネルギー源は、お金を支払って手に入れる必要もない。再エネに投資するグリーン投資は、こうして市民中心に行うのが本来あるべき姿だ。

 社会はそれとともに、市民中心に変わっていく。資本主義経済を支えるのに十分な経済成長は、必要なくなる。低成長型社会で十分だ。その結果、資本主義の前提も崩れる。市民が経済と社会の中心になる。

 そうならなければならない。

(2022年1月06日、まさお)

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関連サイト:
ドイツのエネルギー協同組合の事例:エネルゲノ(EnerGeno)(ドイツ語)

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