市民と科学と倫理

 世界各地で、オミクロン株が猛威を奮っている。ぼくたちはまだ、コロナ禍の真っ最中にある。コロナ禍において、ウイルス学者など専門の科学者の提言は欠かせない。

 でも政治は、科学者だけの提言を配慮することはできない。それに伴う、社会的な影響や経済的な影響も配慮しなければならない。コロナ対策が民主的で、合憲かどうかも判断しなければならない。

 日本のように、科学者の提言を聞き入れず、無視するような国は論外。科学は本来、倫理とは切っても切り離せない関係にある。日本ではそれが理解されていないから、科学が無視されるのだと思う。

 たとえばドイツでは、倫理上の視点から様々な問題について政府と国会に提言する中立機関として、倫理委員会が設けられている。

 ドイツではコロナ禍によって、倫理委員会の存在が一般的に知られるようになったと思う。でも委員会は、コロナ禍など医療問題についてだけ提言するわけではない。たとえば将来の人工知能の利用など、科学や技術の問題についても倫理上の視点から検討する。

 倫理に係る問題は、幅が広い。コロナ禍を見ればわかるように、倫理といっても、医療問題、科学と技術の問題、社会問題、経済問題など様々な観点から検討しなければならない。

 たとえば今、人間が運転操作しなくても走る自動運転車が開発されている。無人運転車ともいわれる。ドイツでは無人運転の実用化に向け、2017年6月に道路交通法を改正する無人運転法が施行した。昨年2021年7月には、ある一定の条件の下で運転をほぼ自動化するレベル4の無人運転車を2022年から公道で利用することを可能とする法改正も行われた。

 ドイツの大手自動車メーカは、遅くとも2023年にはレベル4の無人運転車を市場に出す意向だといわれる。

 そこで問題になるのは、事故が起こる可能性のある時の判断だ。自動運転は、車の事故のない社会を目指している。しかし路上には、人間の運転する車がまだ存在する。歩行者や自転車などの二輪車も混在する。その複雑な条件下で、車の事故をなくすのは不可能だ。

 車の事故では、人間Aを犠牲にするのか、人間Bを犠牲にするのかを判断しなければならない場合が必ずあるはずだ。その時、無人運転車はどう判断するのか。

 それは、事前にプログラミングされていなければならない。実際の事故とは直接に関係のない第三者が事前に、事故の結末を決定しておかなければならないということだ。そこでは、車に同乗する人間には、自己判断権も、決定権もない。

 ネット上の広告を見ても、ネット上におけるユーザーの過去の志向に合わせて、広告が表示される。ぼくたち消費者は、ぼくたちの志向に合った広告に自動的に誘導される。

 コロナ禍においても、ワクチン接種に反対する市民の中には、mRNAをベースとした新しい種類のワクチンに対して不安を持った市民も結構いると思う。

 科学が新しい技術を開発するテンポは、非常に速くなっている。ぼくたちはそれに対して、どう対応すべきなのか。科学や技術が進展するままに、任せていいのだろうか。でもそうなると、ぼくたちは科学や技術に支配されてしまい、自己決定権を失ってしまわないのか。

 これも実は、倫理の問題である。ドイツの倫理委員会はこうした倫理に係るすべての問題において、市民と対話するフォーラムとなることも、その課題とされている。

 科学と技術の進歩が、より多くの倫理に係る課題をもたらす。その傾向は今後、ますます強くなると思う。

 ドイツの倫理委員会では、委員の選任は連邦政府と国会に提案権があり、ドイツ大統領によって任命される。委員はすべて、医療界や学術界、政界、法曹界、宗教界などの専門家ばかりで構成されている。

 ドイツの倫理委員会は、科学と技術の進歩に伴い、2000年になってようやく設立された。市民と対話するフォーラムとしても機能しなければならないとされている。

 ただぼくは、それだけでは不十分だと思っている。倫理委員会はもっと市民に解放され、倫理問題に関してもっと市民参加を可能とする方法が取り入れられるべきだ。

 倫理問題は、エリートとインテリだけに委ねていい問題ではない。市民はもっと、市民の視点から社会の倫理の問題に係り、その判断に係る必要がある。

(2022年1月13日、まさお)

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関連サイト:
ドイツ倫理委員会のサイト(ドイツ語)

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