緩和ケア病棟はホスピスではない
母は今、病院の緩和ケア病棟を退院し、自宅で療養している。
胸水が急に増え、余命幾許もないと宣告された時、ぼくは母を自宅でケアし、自宅で看取る覚悟で日本にいった。
昨年(2022年)の春、後見人をしていた日本人の友人が末期がんと診断された。友人はホスピスにいきたくないといい、自宅で療養できるようにして欲しいと望んだ。そのため、プロフェッショナルな訪問医と介護チームに加え、日本人の友人たちで介護チームも作り、ぼくたちでできるだけのことはした。
ぼくが末期がん患者の在宅緩和ケアに関わることになるとは、思ってもいなかった。すべてがはじめてのことだった。しかしぼくは、一人で責任を負わなければならない立場にいた。たくさんのことを学ばなけれならなかった。友人は在宅ケアをはじめ、1カ月後に亡くなった。
ぼくはその体験から、緩和ケアとはどういうものなのか、それなりに知っているつもりだ。
今度はとうとう、自分の母親を緩和ケアする番がきたか。そう思って、母を在宅で看取る覚悟もあった。弟はどうしても、自宅で看取りたいと強情をはる。しかしぼくは母の性格からして、在宅ケアをいやがるのではないかと思った。
案の定、母は最初、在宅はいやだと拒否する。
実家のある富山県に、ホスピスはない。富山県のように日本の地方ではまだ、そこまで整備されていないのだと思う。その代わり、病院に「緩和ケア病棟」というものがあることを知った。だからぼくは、それがホスピスの代わりになるのかと思った。
精密検査を受け、死が近いことを宣告された大学病院から緩和ケアに移る場合、大学病院側が緩和ケア病棟ないし在宅療養の体制をアレンジしない限り、退院できない。それは、ドイツでも原則としてそうだ。しかし実際はベルリンではそうではなく、ぼくがいろいろな人の力を借りて、訪問医と介護チームを見つけなければならなかった。
母が緩和ケア病棟に移っても、面会できないと意味がない。コロナ禍でどれくらい面会が許されるのか知りたい。そのため、転院先の病院に事前に状況を問い合わせたかった。だが大学病院からは、転院先とコンタクトして受け入れが確定するまで、転院病院とは直接コンタクトしないでほしいといわれた。その役割分担は、ベルリンと異なり、日本のほうがしっかりしていた。
母が実家のある地元の病院の緩和ケア病棟に入ると、すぐに病院側とミーティングがあった。ただその時から、これはどうしてなのかと思うことがいろいろ出てくる。
ミーティングには、病院側から緩和ケア病棟の主治医と看護師のほかに、地域医療部の担当者が参加した。最初に病院における緩和ケアのことについて話がある。だが話の中心はむしろ、在宅ケアに重点が置かれるようになる。
地域医療部とは、地域医療連携を進める部門で、母が大学病院から転院してこれたのも、大学病院側が転院する病院の地域医療部にコンタクトして可能となった。地域医療部とは、地域医療機関をネットワーク化して、地域医療の連携体制を確立しているところといってもいい。
最初のミーティングで特に不思議に思ったのは、入院中の自宅への外出や外泊は可能だが、それはあくまでも名目であって、実際には退院した形にして外出、外泊していただくといわれたことだ。退院した場合、通常だと1週間の間を置かないと再入院できない。しかし緩和ケア病棟に限っては、いつでも再入院してもいいといわれた。退院したその日のうちに再入院してもいいという。
外出や外泊のために緩和ケア病棟から一旦出てしまうと、退院扱いになるということだ。
それが、在宅ケアの話に入る前触れだったといってもいい。そこから、在宅でケアする話に入る。在宅ケアに切り替えても、ケアに問題があったり、ケアに不安があったら、いつでもすぐに再入院できるといわれる。
ぼくはベルリンで友人の在宅緩和ケアをした体験から、その場合、訪問医と在宅看護チームに緩和ケアの資格があるのかどうか、気になった。緩和ケアは、相応の研修を受け、経験もないとできない。すると、富山県には在宅で緩和ケアのできる資格のある者は誰もいないといわれた。医師と看護師は誰も、在宅で緩和ケアできる資格を持っていないという。それでも心配する必要はない、大丈夫だと、付け加えられた。
資格なしのケアは、ドイツではあり得ない。ぼくは、それで大丈夫なのかと不安になった。
緩和ケア病棟には、担当医は一人しかいない。その医師が主治医になる。それに対して、看護師がたくさんいる。母がブザーを押して呼ぶと、看護師がすぐに病室にくる。母は「こんなことははじめて。おかしい」と、いい出した。それだけたくさんの看護師が、緩和ケア病棟に配置されているのだ。
主治医と話してみて、すぐにこの医師は緩和ケアを理解しているとわかった。しかし看護師については、面会のことなどでやりとりするうちに、これでは緩和ケアのことをよくわかっていないのではないかと思うことが増えてきた。実際、たくさんいる看護師の中で緩和ケアの資格のある看護師は一人だけだと、後でわかった。
緩和ケアのために入院しているのに、最初のミーティングから在宅ケアの話になるのはどこか変ではないか。ぼくは不思議に思っていた。入院して2週間も経たないうちに、在宅に切り替えではどうかという話が出てきた。ほら、きたかと思った。
母に聞いてみると、在宅ではトイレと食事のことが不安だとして、在宅を拒否した。
入院直後から、毎日リハビリもはじまる。それは、たいへんありがたいことだと思った。ただそれも、在宅で療養できるように自分で動けるようにするためのリハビリだということがわかってくる。母が自分でトイレにいけ、動けるようになるのはいいことだ。しかしその目的が、在宅療法のためというなら、それは違うのではないか。ちょっと違和感を感じた。
亡くなるまでいてもいいのだろうと思って入った緩和ケア病棟。しかし滞在期間が長くなるにつれ、在宅へのプレッシャーが強くなるのを感じた。緩和ケア病棟には、長くおれないということなのか。それなら、ホスピスではない。緩和ケア病棟は、在宅療養に切り替えるための橋渡しにすぎないことになる。
在宅療法はいやだという患者は必ずいるはずだ。ホスピスのないところでは、どうするのか。実際、実家のある富山県にホスピスはない。家族のいない独り者は、在宅でどうすればいいのか。
緩和ケアの資格のない人材が在宅で緩和ケアをすることにしろ、緩和ケア病棟がホスピスではないことにしろ、末期がん患者に対するケア体制は、これでいいのだろうか。これが、本当の緩和ケアの日本の現実なのか。あるいは地方故に、まだ緩和ケアに対して十分な体制が整っていないのか。
地方のほうが高齢化が進み、緩和ケアの需要が多いはずだ。それなら、地方こそ緩和ケア体制がしっかりしていなければならない。
しかし現実は、そうではない。それなら現実を受け入れ、最善の方法を考えるしかない。ぼくはそう思った。
2023年1月13日、まさお
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関連サイト:
緩和ケア病棟とは|メディカルノート