コロナ禍のために緩和ケアに制限があっていいのか

 ぼくは今、日本の実家にいる。88歳の母が余命幾許もないと、医師から宣告されたからだ。

 母は2年半ほど前に、肺ガンだと診断された。その時は、ステージ1から2にいく境くらいだった。症状はまったくない。ただわすかだが、胸水が溜まっている。ぼくにはそれが、とても気になった。

 母はもう、かなり高齢。進行は遅いだろう。治療しないまま様子を見守ることにした。母にはガンのことを、はっきりと伝えた。しかし母が、自分の置かれた状況をどの程度自覚できたのかは、わからない。

 それでも地元の大学病院で、定期検診を受けることができた。たいへん感謝している。今年2022年9月の検診でも、ガンはほとんど大きくなっていない、胸水も増えていない、と診断されたばかりだった。

 ところがその数日後に、発熱するなど、母の容態が急変した。最初は、コロナ感染かと疑われた。しかし検査で、陰性と判断される。すぐに胸水が急激に、増えていることがわかった。

 とうとうきたかと、ぼくは思った。

 精密検査の結果、胸水はガン性の肺膜炎によるもの。肺せんガンと診断された。遺伝子異常が検出されなかったことから、損傷した遺伝子を修復して体内に入れる遺伝子治療はできないといわれる。

 抗がん剤を使った化学療法より副作用の小さい遺伝子治療。それが意味がないとなると、治療する道は絶たれた。もう後は、緩和ケアによって苦しまないように死を待つしかない。

 大学病院の担当医が病状について説明する時、ぼくは母の面倒を見ている弟の計らいで、ベルリンからビデオ通話で医師の話を聞くほか、いろいろと質問することができた。

 ぼくは医師に、「年を越せますか」と聞いた。

 医師はちょっとビクッとする。しかしそういう質問がくるのは、想定されていたと思う。

 医師はためらうこともなく、「(あと)数週間から数ヶ月」と答える。ぼくと弟は数日後までに、緩和ケアをしてもらえる病院に転院するか、在宅で緩和ケアをするかを決めなければならない。

 大学病院は、治療することを使命とする。緩和ケアを行わない。ぼくは、緩和ケア病棟(ホスピス)のある受け入れ病院、あるいは在宅で緩和ケアする体制が整うまで、大学病院においてもらえますね、と確認した。

 医師は、すぐにモルヒネを処方するといった。胸水の影響で肺の機能が制限され、母は息苦しく、つらい思いをしている。モルヒネによって脳に働きかけ、それを感じなくさせるのだ。ぼくはそれを知っていたので、納得した。それとともに、酸素吸入も点滴ももう止めるはずだ。

 母はそれまで、いろいろたくさんの薬を飲んできた。これから母を解放するため、ぼくは医師に、どうしても必要なもの以外、薬は止めてほしいとお願いした。医師もそう思うと、同感してくれた。

 その後、病室から車椅子に乗った母が同席する。医師は、新しく処方される薬(モルヒネ)の副作用などについて説明した。母はまだ、自分の容態を十分に理解しておらず、また元気になるからと意欲満々だった。

 ぼくはそれまで、母が望めば在宅で緩和ケアするのも可能かと思っていた。今年2022年春にベルリンで、ぼくが後見人になっていた日本人の友人がガン末期と診断された。本人が在宅緩和ケアを望んだことから、他の日本人の友人たちと一緒にサポートした。今度は、自分の母の番かと思った。そのために帰国する覚悟もしていた。

 しかしこの時、母がまだまだ頑張って生きると意欲を示したこと、母がぼくたち家族に遠慮して迷惑をかけたくない性格であることを考えると、母には在宅療法が向かないと直感する。

 実家のある田舎の都市において、ガン終期の緩和ケアを在宅で行うのに、緩和ケアの経験のある往診医がいるのか、さらに往診医とチームになって定期的にきてくれる看護師チームがあるのか。ぼくには、とても不安だった。往診医も看護チームも24時間体制で、対応してくれなければならない。

 弟は自分がやると、在宅ケアに固執した。しかし母は、自宅はいやだといった。

 大学病院では面会禁止。だが看護師さんが機転をきかせて、母を病室から車椅子でエレベータホールまでつれてきてくれた。その時弟が、母と対面で話すことができる。そのおかげで、母の意思を確認することができた。

 大学病院側には、実家のある地元市の病院の緩和ケア病棟に転院したいとの意向を伝える。母担当のケアマネージャーさんから、その病院の緩和ケア病棟では、制限があるものの、面会は可能だとの情報を得ていたからだ。ケアマネージャーさんの担当する他の患者さんの家族は、毎日30分間面会できたという。

 ぼくは母が転院するのを待って、帰国することにした。

 母が緩和ケア病棟に入った日、弟が緩和ケア病棟の医長に、ぼくがドイツから母に会いに帰ってくることを伝える。すると医長は、病院の感染防護部と検討してみなければならないので、後日連絡すると返答した。

 ぼくがペルリン空港を発つ直前、弟からメールがくる。それによると、帰国後5日間自宅で自主隔離して、その後にPCR検査か抗原定量検査による陰性証明を持って、24日の医長による病状の説明にきて、それから面会してほしいとのことだった。

 医長は申し訳なさそうにいったという。

 ぼくは、陰性証明のことは覚悟していた。ドイツでもそうだからだ。ただドイツでは、迅速検査ともいわれる抗原定性検査による陰性証明で十分だ。検査結果もすぐにわかる。

 それに対してPCR検査と抗原定量検査になると、早くても翌日にならないと結果はでない。日本では翌日結果をもらえるPCR検査を病院で受けると、3万円もするという。ドイツの3倍だ。その他薬局などでPCR検査をしても、結果がでるまでに3日間待たなければならない。

 事情を病院に説明すると、24日当日に抗原(定性)検査キットで検査して、陰性を示すテストカードを写真に撮って、病院で示せばいいことになった。

抗原検査キットのテストカード 判定部「C」だけに線が入ると陰性。判定部「C」と「T」の両方に線が入ると陽性。判定部の両方か、判定部「T」だけに線が入ると、検査は無効となる。

 それよりも呆れたのは、自主隔離せよとの条件だ。せっかく母に会うためにきても、すぐに会えない。それは、死を間近に控えた患者に対する緩和ケアではない。合理性のない入国者に対する日本の水際対策でさえも、隔離義務はすでに撤廃されている。

 日本の水際対策では、帰国翌日から隔離日数を換算する。ぼくは(2022年)10月19日夜遅く実家に着いたので、それにしたがうと、20日から換算しなければならない。そうなると、24日に医長から話を聞くことも、母に会うこともできない。

 病院側の指示は、矛盾している。

 ぼくはあほかと思った。それなら何のための緩和ケア病棟なのだ。案の定、緩和ケア病棟は、コロナ禍でいろいろ制限があることから、病床の半分は埋まっていないという。

 緩和ケア病棟には、抗がん剤による化学療法などで免疫性の衰えた患者さんがいる可能性もある。そのため、感染に最大限注意しなければならない。

 しかし感染にばかり目を向けるのは、緩和ケアではない。緩和ケアは、死を迎えている患者の痛み、苦しみを取り除き、できるだけ安らかに死を迎えてもらうことを使命とする。

 それと並行して、家族のサポートも不可欠である。患者にとり、家族が大きな支えになる。死を間近に控えた患者の家族に対する心理的なケアも忘れてはならない。

 それにも関わらず、コロナ禍を理由に緩和ケアを制限しては、緩和ケアを放棄したのと同じだ。緩和ケア病棟(ホスピス)は、中身の伴わない名前だけのものとなる。

 患者にも、その家族にも、お互いに会う権利がある。それは、当然守らなければならない人権である。コロナ禍のような状況では、その時その時の状況に応じて、人権擁護と感染防護の間でバランスをとりながら、適切な対策を講じなければならない。

 しかし日本のコロナ感染対策全体においては、目先の感染防護にばかり目を向け、そのバランスをとることを忘れている。

 日本緩和医療学会が作成した「新型コロナウイルス感染症が拡大しているこの時期にいのちに関わるような病気で入院中の患者さんのご家族にお伝えしたいこと」というリーフレット(このリンクのブログ内にあり)を見ても、学会がコロナ禍の緩和医療において患者と患者の家族の人権について真剣に考えているのかどうか、とても疑問だ。

 むしろ、人権に関わる問題でもあるという認識がないのだと思う。

 オンラインのテレビ電話を使って、患者と家族のコミュニケーションを取るなどの努力も行われている。しかしそれには限界がある。緩和ケアでは、患者と家族のスキンシップがとても大切だ。死を前にする家族間同士の個人会話に、第三者が加わるべきでもない。

 日本では、『よそ』から来た者、被害をもたらした者に対する差別意識がすごい。今回の母の件でも面会するには、それまでに毎日2回体温測定した記録を記入するほか、咳や倦怠感、下痢、味覚臭覚障害があるどうかばかりでなく、県外滞在歴もうるさく聞かれる。

 ベルリンなど、何をかいわんやということなのだ。

 ぼくのベルリンの日本人の友人の中には、高齢の親に会いに帰国しようとしたら、コロナ禍で家族からくるなといわれた友人もいる。

 ぼくの実家のある県では、県内で最初の感染者を出した家族に石が投げられるなど、村八分の差別を受けた。家族が崩壊する。家族は県外に、避難せざるを得なかったことがある。

 これら日本における差別意識は、日本人の心に被害者意識しかないからだと書いたことがある。コロナ禍のようなパンデミックでは、自分がいつでも加害者になりうることがすっかり忘れられている。

 ぼくはそれが、日本が戦争責任を明確にして戦後処理してこなかったことが根源にあると思っている(「ぼくたちは加害者だ」)。

 今回、母の緩和ケア問題で直面したことも、それに起因していると思えてならない。被害が発生しないように感染防護ばかりに目を向け、緩和ケアの本意を忘れて緩和ケアを放棄し、人権まで侵害していることに気づかないのだと思う。

 弟は今、入院して間もないことから、母のところに足りないものを頻繁に持っていっている。その時はいつも、看護師さんから「昨日きましたよね」と、嫌味をいわれるという。

 それは、看護師に緩和ケアの教育が行われてこなかった証拠でもある。そういう看護師は本来、緩和ケア病棟にいてはならない。

2022年10月23日、まさお

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関連サイト:
日本緩和医療学会COVID-19関連特別ワーキンググループ特設ホームページ

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