死なせてもらう、死なせてあげる

自分らしく死ぬために

 ぼくはこれまで、自分らしく死ぬために必要となることを挙げてきた。その中で、延命治療の問題についても書いた(「延命治療について考える」)。

 ドイツには確かに、終末期にどういう医療を施してもらいたいかを「患者意思表明書(Patienntenverfügung、日本では「事前指示書」などといわれる)の形で自分の意思を事前に文書で伝える制度がある。しかしそれがあっても、実際の終末期になると、いろいろ問題があることもぼくは見てきた。文書では、すべての可能性を網羅できない。病気はそう簡単に教科書通りに進行するものでもない。

 日本にはこうした制度はない。しかし終末期医療の指針があり、それが10年ぶりに改定されるのだという。

 ぼくはこれまで、いろいろな形で家族や友人の死に直面し、終末期医療の現場も見てきた。たとえば母が緩和ケアに入る時、もう点滴をしない、モルヒネはいいが、どうしても必要ではない薬はもう飲ませないことをお願いした。ただそれによって母は食欲を取り戻し、緩和ケア病棟を退院して、自宅療養できるまでになった。緩和ケア病棟では母が元気になっていくので、主治医さんと会うごとに「どうしたんでしょうね」と話していたのを思い出す。

 終末期には、患者の意思と家族の意思が尊重されなければならないのはいうまでもない。終末期といっても、数日後に亡くなってしまうのか、あるいはもう積極的に治療しても回復する見込みがなく、まだもう少し生きる可能性があるのか。特に後者の場合が問題になる。

 その時、どういう医療措置を施すのかが問題だ。医療措置といったが、ここでは単に医療サービスだけではない。家族にとって、たとえば食欲がなくても、無理をしてでも食べさせるほうがいいのかなどが、考えなければならない問題になる。

 ぼくのこれまでの経験からいうと、「死」というものをどう捉えるのか、「死」は誰のものなのかなど、「死」について自分でしっかり考えることが終末期をどうするのかで、ともて大切な基盤になるのではないかと思う。

 よく「ピンピンコロリ」が一番いいといわれれる。これは、自分が病気で長く苦しみたくないことと、病気で長く家族や介護師の世話になりたくないという2つの思いがあるからではないかと思う。

 終末期に関してぼく自身が体験から学んだことは、ちょっといい方が乱暴だが「死なせてもらう」と「死なせてあげる」という意識を持つことだ。人それぞれには、自分で死ぬこと、死ぬ時期を決定することができるはずだ。同時に、残されるものには終末期に死なせてあげるという意識も必要だということだ。

ベルリン南東部にあるバウムシューレンヴェーク墓地の入り口門

 ドイツでは憲法裁判所が自分で死ぬ権利を認める判断を下してから、たとえば安楽死団体から致死量の薬をもらって自分で死ねる可能性が生まれた。

 しかし、それだけではない。ぼくの友人、知人の例を挙げておこう。

 一人は、脳梗塞で倒れた。患者意思表明書を作成し、自分で判断できなくなると、一切の医療措置を認めず、車椅子などを使って障害者として生きていくことを拒否していた。手術後も管をつけられると、自分でとってしまおうとした。

 最初は、看護師が手にタオルをまくなどして管を取られないようにした。友人たちも本人に何とか生きる気持ちをもたせようといろいろ努力したが、本人の気持ちは変わらなかった。そのうちに医師が本人の意思を尊重しようと、一切の治療と水の給与も停止すると判断。その後1週間後に亡くなった。

 ぼくからみると、それほと重い脳梗塞ではなく、軽い障害が残っても十分に一人で生活できると思っていたが、本人はそれでも生きようとしなかった。

 もう一人は、肺機能が低下し、コロナにも感染し、入院していた。しかしそのまま寝たきりになる可能性が高いことがわかり、入院先で病院の医師に何回も死なせてくれと懇願した。医師はすぐにはうんといわなかったが、本人がハンガーストライキをするといい出したので、医師は本人の意思を尊重して致死量のモルヒネを渡すから、それを自分で飲んで死んでくれということになった。

 家族も同意の上だった。家族とはモルヒネを飲む前に一緒に寿司を食べるなどしてお別れをして、家族は退室した。その後、医師が致死量のモルヒネを渡して退室。本人が自分でモルヒネを飲み、一人で亡くなっている。

 自分で死ぬ権利の問題は、まだまだこれからも議論されなければならない。ただそこには、「死なせてもらうと死なせてあげる」の基本があるのはいうまでもない。

 日本ではまだドイツのようにはいかないと思う。しかしぼく自身の体験からして、それぞれのケースに応じて、家族に「死なせてあげる」という意識がもっとあっていいように思うことがあった。

2025年9月02日、まさお

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関連サイト:
ドイツ政治教育センターの安楽死に関する記述(ドイツ語)

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