数え方が違うんだよね
ぼくがドイツにきて最初にびっくり驚いたのは、スーパーなど小売店でおつりをもらう時のお金の数え方だった。
ドイツでは、12ユーロ12セントを支払う時に50ユーロ札を出すと、以下の順でおつりをもらう。
1)コインで2ユーロ88セント渡され、15といわれる
2)5ユーロ札を出して、20といわれる
3)10ユーロ札を置いて、30といわれる
4)20ユーロ札が出てきて、50といわれる
これで、37ユーロ88セント返ってくる。
日本だと、いきなり「37ユーロ88セントお返しです」といわれておつりを渡され、「お調べください」とおつりが正しいかどうか確認するようにいわれる。これは、引き算方式とでもいおうか。
それに対してドイツでは、おつりを順に足していくので足し算方式だ。
最初は、何と面倒なことをすると思った。引き算できないのかなとも。ぼくはこの方式に慣れないものだから、頭がすぐに反応しない。正確におつりが返されたかどうかよくわからないまま、確認しないでおつりをもらっていた。
いまだにこのドイツ方式には慣れないが、よく考えると、この方が簡単で正確なのではないかと思う。それに、頭の体操になっているようにも感じる。
銀行で100ユーロ札で1000ユーロの現金を窓口で引き出す時も、最初に100といって、一枚一枚100ユーロ札を順次上に積み重ねていって、最後に1000といわれる。これも、足し算方式だ。

指で数えるのも、日本とドイツの間で違う。
日本では5本の指を伸ばして、親指から順に内側に曲げて数える。それに対してドイツでは、握り拳から指を順に伸ばしていくのだ。親指からはじめるのは日本と同じだ。
ぼくにとっては日本の方式に慣れているので、頭が自然に反応する。それに対してドイツ方式では、意識的にそうするので、頭を使って頭の体操をしているように感じる。小さい時に身についた方式は、日本から長く離れて暮らしていてもからだに深く染みついているのがわかる。
ただ今は、キャッシュレスで何でも支払える時代。カードやスマートフォンで支払えば、おつりはない。頭も使わない。支払ったという意識もあまり残らない。指で数を数えることも、生活の中ではかなり少なくなったと思う。
これは日常において、頭を使わなくなったということではないか。歳をとるとともに、これではいかんと思う。かといってキャッシュレスで支払えないと、世の中の流れについていけなくなる不安もある。電車に乗るにも、飛行機に乗るにも、スマートフォンがあれば済んでしまう時代だ。
そのためには、必要なアプリをスマートフォンにインストールして設定しなければならない。しかし歳とともに、そういうことには頭が反応せず、うまくできない。若い人に手伝ってもらうしかない。
スマートフォンの操作に慣れている若い世代には、まったく問題ないのだろう。しかし高齢者には、たいへん難しい。社会が高齢化するに伴い、スマートフォンの操作はユーザーにやさしくあるべきだ。しかしセキュリティのため、個人認証などは複雑になるばかり。ぼくにはもうそろそろ限界で、このままではついていけなくなるのも近いと思う。
しかしこれは、指とともに手動で頭を使うということではない。スマートフォンが人間の指の代わりになって、人間のためにたくさんの可能性を提供し、自動的に処理してくれる。数えるというより、数字を処理するのだ。
指を使ってスマートフォンに入力しているではないかと思うかもしれない。しかしそれは、指が機械の一部として動いているだけなのではないか。ぼくには両手の親指で、若者のようにあれほど機械的に、早く入力することはできない。ぼくは人差し指1本で一つ一つ入力する。
見方を変えると、指の使い方は今、日独の違いではなく、高齢者と若い世代という世代間の違いになっているということでもある。しかし若者たちは、指を使いながら頭で考えているだろうか。歳とったぼくには、それが心配だ。
指を使わず、頭とも連携しなくなったぼくは、「UNO(ウノ)」のような簡単なカードゲームでもして頭を使い、認知症の予防もしないといけないのだと思う。里親に近いことをしている障害者の女性からはよく、一緒に「UNO(ウノ)」で遊ぼうといわれる。
現実には、それはぼくのためなのだ。
2026年5月29日、まさお
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