格差のない都市つくり

 格差ということばをよく聞くようになりました。多くの場合、格差とは経済的な格差の意味のことです。それは、経済格差が大きくなったので、よく使われるようになったのだと思います。

 でも、格差は経済的な格差だけでしょうか。そうは思いません。格差は、もっといろいろあると思います。

 たとえば、前回車中心の都市つくりの問題について書きました。ここで自転車にやさしい街つくりをするのは、自動車と自転車の間に格差があるので、その格差がないようにしようということでもあります。

 その場合の格差とは、何でしょうか。

 たとえば、安全です。自転車に乗っていて自動車に接触されると、自転車に乗っている人は倒れて負傷する可能性が高いと思います。自転車専用道路を設置するのは、自転車で安全に走れるようにその格差をなくすことです。自動車を気にしないで自転車で走れるということでもあります。

試験的に自転車と歩行者に開放されたベルリンのフリードリヒ通り

 歩行者にとっても、安全上の格差があります。さらに、歩道がない、道路に段差があるなど、歩行して移動しにくいところがあれば、自動車や自転車に対して格差があることになります。

 歩行者の間にも格差があります。

 歩行する時には、こどもと大人の格差(からだの大きさ)、年齢による格差(運動能力)、障害者と障害のない者の間にも格差(身体能力)が生じます。歩道や駅をバリアフリーにするのは、この格差を小さくすることを意味します。

 さらに、車を持っている人と持っていない人にも格差があります。車中心の都市つくりでは、この格差をより大きくします。車を持っている、持っていないは、経済的な格差だけによるものではありません。年齢の問題、障害の問題などによっても起こります。

 移動することにおいて、こうしたいろいろな格差があことがわかります。その格差をより小さくするには、車を持っていなくても格差がないように移動できる都市つくりが必要になります。

 その一つに、公共交通をより快適に整備しなければなりません。ただそれによって、公共交通料金が高くなってはなりません。たとえばオーストリアのヴィーンでは、公共交通の年間定期を356ユーロにしています。1日1ユーロ(約125円)で乗り放題ということです。今後さらに、都市の公共交通を無料にするところも出てくると思います。

 将来的には、IT技術を駆使すれば、乗るところと降りるところが自由となる小型バスの運行が可能になることも考えられます。そうなれば、自家用車を持っているか、持っていないかの格差がもっと小さくなります。

 これまで、都市は車社会を基盤にしていました。でも車によって、より多くのエネリギーを使い、環境汚染が発生しました。今ようやく、これが世代間の公平さの問題であることが理解されはじめました。

 車中心の都市つくりをして環境を汚染すれば、世代間に格差が発生することを意味します。世代間の格差を小さくするには、車に依存しないより持続可能な都市つくりが必要になります。
 
 でもそういうと、地方では車がないと生活できないという批判があると思います。もちろん、それはよくわかります。地方の田舎町では、そう頻繁かつ密に公共交通を走らせることができません。自転車や歩行で移動できる距離にも限界があります。

 地方と都会で条件が異なるのは当然です。でも地方には地方で、それぞれの良さがあります。都会と違った条件をうまく使えば、車がなくても格差を小さくする方法があるはずです。

 たとえば、人との絆の強さや互助関係があれば、車のない人のために共同で車を利用することもできるはずです。そうした地方の良さをうまく組み合わせれば、交通における格差を小さくすることもできると思います。

2020年9月13日、まさお

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