エネルギー選択宣言ブログ

ドイツから見た原発を止める方法

 ぼくはこのブログで、福一の汚染処理水問題から日本で原発をすべて停止させるには、まずすべての原発を国営化することからはじめるべきだと書きました。

 これは、日本のこれまでの事情を配慮して、できるだけ社会的な影響と財政負担を少なくしながら、脱原発できるようにはどうするのがいいかを考えたからでした。ただそこまでいくには、まだまだいろいろなことが起こらなければならないと思います。

 日本ではこれまで、原発を止める方法についていろいろ考えられています。たとえば、別冊宝島編集部発行の『原発を止める55の方法』があります。長い間原発訴訟に関わってこられた弁護士の海渡雄一さんも司法的な見地からネット上に投稿されています。先日川崎で市民太陽光発電を行う市民グループのオンライン講座に参加した時には、講師の再エネ電力を小売するグリーンピープルズパワーの竹村英明さんが、原発を止める方法としてどういう方法があるかを考えた末に、再エネを選んだとお話しされていました。

 原発を止める方法として考えられるのは、だいたい以下のような方法ではないかと思います。

1)原発事故が起こって原発を止める
2)政府が脱原発を決める
3)地元自治体が原発建設、運転に同意しない
4)安全規制を厳しくする
5)裁判所が判決を出す
6)原発を不要にする

 それぞれの項目には、それぞれの役割があると思います。でもそれを一つ一つ説明していると長くなるので、ここではドイツがどうして脱原発に至ったのかを見ながら、原発を止める方法について考えます。

ドイツ北東部にあるグライフスヴァルト原発では現在、廃炉工事が行われている

 日本でよくいわれるのは、ドイツが脱原発を決めたのは、福島第一原発の事故がきっかけだったというものです。それによって、ドイツのメルケル首相が脱原発を決断したといわれます。これだけを見ると、前述の6つの方法のうち1)と2)によって、ドイツが脱原発を決めたことになります。

 ただこれについては、本サイトでも何回か指摘しましたが、正しいとは思いません。メルケル首相が脱原発を決めたのは、2000年にすでに合意されていた脱原発を2010年秋に見直し、その直後に福一で原発事故があったからです。日本で起こった原発事故の結果、あわてて脱原発に舵を戻したのでした。つまり、自分の政策変更の間違いに気づいて、それを修正したことになります。

 政治家としては、とても勇気のある決断だったと思います。だからといって、ドイツが1)と2)によって原発を止めたとするのは、ちょっと表面的だといえます。

 これまでも本サイトで何回もいってきたように、ドイツの脱原発の原点は、2000年にあります。その時、ドイツがどうして脱原発を決めることができたのか。その背景を見るほうが参考になると思います。

 なぜ、背景を分析するのでしょうか。

 脱原発が決まるとは、単に政策を変更して法改正するということにすぎません。法治国家である以上、法的な手続きが必要です。しかしそれまでに、政策を変更することになった背景があるはずです。実際にはそれが、原発を止めることになった要因だといわなければなりません。

 ドイツでは1990年代に、すでに電力業界で脱原発することが検討されていました。1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起こり、ドイツで原発を新設するのは不可能な状態になりました。既存の原発をいかに長く、効率よく使っていくのか。それが、その後の課題でした。

 しかし原発を維持していくことに、かなりの負担が発生していきます。原発を新設する可能性がない中で、ドイツの原子力産業ジーメンス社をどうするのか。国内原発のメンテナンスや改造だけでは、ジーメンス社はやっていけません。当時のコール中道右派政権内でも、電力業界と原子力産業の苦悩を配慮するため、脱原発の可能性が検討された形跡もあります。

 ドイツではその後、1998年に政権交代します。社民党と緑の党による中道左派のシュレーダー政権が誕生しました。シュレーダー政権はすぐに、電力業界と脱原発について交渉を開始します。互いに妥協を重ね、2000年6月に電力業界から脱原発で合意を得ます。ドイツの脱原発は、2002年4月に施行した改正原子力法によって法的に規定されました。

 ドイツの脱原発からその見直し、さらに脱原発に戻る経緯を見ると、わかると思います。2)によって脱原発を法的に規定しても、政権が変わると、脱原発政策は簡単に変更されます。それも民主主義です。法的効力によって脱原発を最終確定するのは難しいのです。政治の政策決定は、一時的なものにすぎないからです。それは、3)についてもいえます。

 5)のために訴訟をおこしても、裁判は最高裁で最終確定しない限り、原発を最終的に止めることはできません。それまでに、とても長い時間がかかります。さらに裁判では、原発、正確には原子炉毎にしか止めることができません。

 ドイツでは、1986年4月のチェルノブイリ原発事故によって政治的にも、社会的にも、さらに健康上もいろいろな影響がありました。それによって、原発は危険なもの、だから止めた方がいいと、考えを切り替えるきっかけがありました。

 でもそのきっかけだけで、原発を止めることができるわけではありません。1)だけでは、原発は止まりません。それは、福一原発事故を契機としてドイツが脱原発を判断したことにもいえます。福一原発事故は、メルケル首相が自分の政策の間違いを認めるきっかけになったにすぎません。この点は、誤解しないでほしいと思います。

 それでは、ドイツが脱原発に至る重要なポイントは何でしょうか。

 ぼくは、2つ半あると思います。

 まず最初に、その半分になるものから取り上げます。それは、原発に関わる裁判です。ドイツでは、原発の建設や運転に反対して各地でたくさんの裁判が行われてきました。裁判の判決が出る毎に、原発が一時停止されたりしました。でもまた、再稼働できるようになりました。何回もその繰り返しが続きます。最終的に裁判によって停止した原子炉は、ミュルハイム-ケアリヒ原発の1基しかありません。

 こうして訴訟が続くことによって、原子炉を止めたり、再稼働したりと、電力側には莫大なコストが発生します。これら訴訟は、電力側に対してボディブローのようにじっくりと効き目をもたらしたと思います。電力側を苦しめたのは間違いありません。こうして、電力側を困らせるのが一つの手です。

 ただそれだけでも、原発は止まりません。

 ぼくがこれまで30年ほどドイツで原発問題を取材してきた中で、結構早い段階で原発を止める上で一つの重要なポイントに気づきました。それは、1990年前後に起こっています。

 それは、ヴァカースドルフ再処理施設とカルカール増殖炉の建設が中止されたことです。その後ドイツは、使用済み核燃料の再処理をフランスとイギリスに委託します。さらに1997年には、使用済み核燃料を再処理せずに直接処分できるように、原子力法を改正しました。

 このことは、何を意味するのでしょうか。

 原子力発電は、使用済み核燃料を再処理して、そこで取り出されたプルトニウムを核燃料として利用する核燃料サイクルを確立してはじめて原子力を循環利用できるようになります。ドイツはその原子力の重要な魅力を、1990年前後に放棄してしまったのです。

 ドイツがいずれ原発から撤退するのは、この段階ですでに決まっていたとする専門家もいました。

 ドイツはなぜ、国内再処理を放棄したのでしょうか。

 一つは、再処理に対する反対が強かったからです。さらに、再処理とそれによって排出される高レベル放射性廃棄物の処分に莫大なコストがかかることもわかったからです。増殖炉の開発が技術的にかなりの難題であることもわかりました。

 ぼくは政府関係者などから、ドイツはコスト上の理由から再処理を止めたということを何回も聞きました。ドイツは最終的に、最初の脱原発合意において国外での再処理も2005年6月までとすることを決定します。

 再処理の断念は、何を意味するのでしょうか。

 それは、原子力発電を続ける意味と魅力を放棄するということです。再処理を断念することで、ドイツは自ら、原発を不要とする第一歩を踏み出したといっても過言ではありません。それで、日本がたくさんの問題に直面しなかがらも、再処理を諦めようとしないこともわかると思います。

 ちょうどその頃から、実際に原発を不要とする要因がはじまります。ドイツでは、1990年代はじめからドイツ北部を中心に風力発電のための風車があちこちに立ちはじめます。再生可能エネルギーによる発電がはじまるのです。

 それは、何を意味するのでしょうか。

 原発に代わるものが出てきたということです。再エネが普及するにつれ、一般市民に原発が必ずしも必要でないことがわかるようになりました。それなら、危険な原発より、安全は発電方法のほうがいいではないかと思うようになります。それとともに、反原発デモに参加する人たちの層に変化が起こります。

 長い間反原発運動を続けてきた活動家ばかりでなく、小さな子どもと一緒の家族連れや学校の生徒や学生、その他大人やおじいちゃん、おばあちゃんなど、一般市民が反原発デモにも参加するようになりまりました。

 ドイツで再エネ発電をはじめた先駆者たちは、反原発運動から再エネを促進するほうに移った人たちでした。再エネによって脱原発を実現しようとしたのでした。ぼくは最初、なぜ反原発デモに再エネを促進するグループが参加しているのか、よくわかりませんでした。反原発と再エネ促進を分けて見ていたからです。

 でも今は、はっきりといえます。再エネの拡大とともに、原発に代わる安全な発電方法があることが市民の目の見えるようにする。それが、ドイツの脱原発を実現させる最後の一押しとなりました。それとともに、原発に反対する層が社会の底辺に広がっていきます。

 原発は不要だと思う一般市民が増えます。メルケル首相が2011年に福一事故後に脱原発に戻る決断をできたのも、実際の再エネの拡大と市民意識の変化があったからこそだと思います。

 ドイツは2022年末までに、すべての原子炉を停止させます。もう後戻りできないと、ぼくは確信しています。ドイツの電力システムはこの間、原発を必要としないくらいに変わってしまいました。ドイツはこうして、原発を不要にしてきたのです。

2021年4月25日、まさお

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関連サイト:
資源エネルギー庁原子力政策の状況について
原発を止めるための4つの方法(弁護士:海渡雄一氏)

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