夜行列車ルネッサンス

 ぼくは日本にいる時から、夜行列車が好きでした。東京に上京する時、よく夜行列車を利用しました。山登りに行く時も、始発のバスに乗るため、夜行列車に乗ってバスの始発駅まで行きました。バスが出るまで、駅構内の床で寝袋にくるまって仮眠していました。

 ドイツにきてからも、夜行列車を利用していました。最初にいったのは、ベルリンからプラハ。1985年の夏だったと思います。当時はまだ、乗車券を往復で買うことができず、帰りの乗車券を行き先で買うのに一苦労したのを覚えています。アウシュヴィッツにはじめて行った時も、ポーランドのクラクフまで夜行列車でいきました。

 いずれの時も、ベルリンに帰る夜行列車に乗るのに一苦労。車両のドアが開いていなくて、どうしたらいいのかとかなり焦りました。

 ようやく乗れたと思ったら、どこもぎゅうぎゅう詰め。通路で人を押しのけて隙間をつくり、腰を降ろしたのを覚えています。

 一番冒険的だったのは、西ベルリンから「カースリーパー」といわれる寝台列車でミュンヒェンに行った時。カースリーパーとは、自家用車を自動車専用車両に載せ、自分は寝台車に乗って車と一緒に移動できる夜行列車です。

 その時は、東ベルリンで運転免許証をとって数カ月経ったばかり。ミュンヒェンからは、車でオーストリアを抜けて、ユーゴスラビアの友人のところに行きました。そこからさらにアドリア海沿いに南下して、ドゥブロヴニクまで行きます。帰りは、モスタールとサラエボで宿泊して、オーストリアのグラーツにいる友人を訪ね、東ベルリンに戻ってきました。

 ちょうど年末年始で、夜行列車でミュンヒェンに着いた時には、かなり雪が積もっているので唖然としました。その後、例年にないすごい豪雪となります。友人からは雪がなくても、初心者のぼくが車で遠出するのは「自殺行為」だったといわれました。でもその冒険で、ぼくは車で雪道を走るのがとてもうまくなくなります。

 2000年代に入ると、ドイツ人の友人たちと一緒に年1回、南チロルのドロミテ渓谷で山登りを楽しんでいました。その時もベルリンからミュンヒェンまで夜行列車でいき、そこから列車でさらに、南チロルのボルツァーノにいったりしていました。

 一番困ったのは、ポーランドのワルシャワまで夜行列車でいった時です。パリ始発で、ベラルーシのミンスク行の夜行列車でした。座席車両の指定席について、車内がとても寒いことに気づきます。真冬なのに暖房が入っていません。乗客も誰もいません。蛍光灯だけが、こうこうとついていました。

 ぼくはまず、車掌が検札にくるのを待とうと思いました。ポーランドに入る前に、来てくれたらいいなと思っていました。ドイツ域内では車掌がドイツ鉄道の車掌で、ドイツ語で話せると思ったからです。しかし車掌がきません。まもなくフランクフルト/オーダー駅です。その駅を出ると、列車はすぐにオーデル川を渡り、ポーランドに入ります。

 ぼくは仕方がないから、車掌を探しに行こうと思っていました。すると、車掌が入ってきました。暖房が壊れているといいます。暖房の入っている寝台車を解放しているからと、そこに連れていかれました。ぼくはこれで凍えなくていいと、ホッとしました。

 ソ連時代、モスクワからレニングラード(今のサンクトペテルブルク)まで『赤い矢』といわれる夜行列車に乗ったことがあります。1986年だったと記憶します。ぼくが乗ったのは、2等車の4人用個室寝台。満席でしたが、現地の乗客は西側からきた乗客とは、目を合わせようとしません。彼らにとってぼくと知り合いになることが、後で面倒になる可能性があったからです。ぼくは現地の乗客にとり、いない乗客だったのです。

 そういう状況だったので、レニングラードに到着する前に各コンパートメントにチャイ(茶)が届けられ、ぼくにもチャイが渡された時はとてもうれしかったのを覚えています。ぼくも、乗客の一人だったのです。

 ぼくは、「タルゴ」といわれたドイツ鉄道の寝台車が気に入ってました。寝台車は普通、座席車両のコンパートメントに寝台を入れたような車両でした。しかしドイツ鉄道のタルゴは、違いました。コンパートメント型の2等寝台車では普通、窓に対して寝台が直角に並んでいます。でもタルゴでは、両側の窓に並行して寝台が2列に並び、中央の通路がゆったりしていました。

 ところがドイツ鉄道は、夜行寝台列車『シティ・ナイト・ライン』から撤退します。2016年12月だったと記憶します。ドイツ鉄道が運行していた夜行列車路線の一部は、オーストリア鉄道の寝台列車『ナイトジェット』によって運行されるようになります。たとえばベルリン/チューリヒ間の夜行列車はそのまま、オーストリア鉄道によって運行されています。

ベルリン中央駅発チューリヒ中央駅行きのオーストリア鉄道の夜行寝台列車『ナイトジェット』。写真は、1等寝台車。1等寝台車1両、2等寝台車2両、座席車2両の編成だった。

 ドイツ鉄道はその後、夜行寝台列車に代わって、高速鉄道車両のICEやICの座席車両を夜間も走らせるようになります。

 でもそれは、夜行列車の良さを知らないからだといわなければなりません。夜行列車は寝台車があるから、夜行列車なのです。それも夜間はゆっくりと走り、停車駅でも停車時間の長いことに趣があります。それで、停車する駅毎に空気の匂いが違うことを感じます。

 その良さは、高速鉄道を夜間走らせても味わえません。

 案の定、オーストリア鉄道が夜行寝台列車で乗客を増やして成功しています。それに対して、ドイツ鉄道の高速夜行列車の乗客は増えません。それでも夜行列車全体の乗客数が増え、夜行列車が見直されて復活する傾向があるといわれます。今年2021年12月からの冬季時刻表においては、夜行列車路線が新たに2往復増えました。

 ヨーロッパ大陸では今、長距離夜行列車のルネッサンスが起ころうとしているともいえます。

 夜行列車が見直されている背景には、気候変動問題があるといわれます。気候変動に対する一般市民の意識が高まったからともいえます。飛行機から列車に切り替え、長距離を走る夜行列車でのんびり走り、朝目的地に着いて、時間を効率よく使うほうがいいと思う乗客が増えてきたからともいわれます。

 さらにサービスの向上も、挙げることができると思います。ぼくが35年前にモスクワから『赤い矢』に乗る時、各車両のドアの前に車掌が立って乗客に挨拶して検札しています。車掌の多さにびっくりしました。もちろん、翌朝のチャイも最高でした。

 その時ほどでもなくても先日ベルリン中央駅で、チューリヒ中央駅行きのオーストリア鉄道の夜行寝台列車『ナイトジェット』を見た時も、5両編成の列車なのに最低3人の女性車掌がいて、乗客を案内していました。

 そうしたサービスもとても大切です。飛行機の機内サービスのように、夜行列車の車内サービスも拡充すれば、夜行列車も快適になり、その良さをもっと味わってもらえるようになると思います。

 それと同時に気候変動対策にもなれば、それに越したことはありません。

2021年12月20日、まさお

関連記事:
短距離航空便締め出しへ
全国鉄道無料キャンペーンに70万人
ドイツで全国鉄道無料キャンペーン

関連サイト:
ヨーロッパ大陸内の夜行列車情報サイトNachtzug-Urlaub(ドイツ語)
Interrail/Eurorailの夜行列車情報(ドイツ語)

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.