2024年11月04日掲載 − HOME − 小さな革命一覧 − 記事
ドイツ東部で極右政党が台頭するのはなぜか? (8)- 身売りしたのは誰

今から35年前の1989年11月4日、ぼくはベルリン・アレキサンダー広場にいた。そこには、東ドイツの民主化を求めて東ドイツ市民50万人が集まっていた。


東ドイツ当局が許可したはじめての民主化デモだった。当局側からも、ギュンター・シャボウスキー・ベルリン県党書記長、マルクス・ヴォルフ元シュタージー副大臣、マンフレード・ゲルラッハ国家評議会副議長がスピーチした。


ぼくはデモ集会の最後尾で、様子を伺っていた。


ぼくが見た印象からすると、集まった市民には将来を不安に思う気持ちと、民主化に大きな期待を抱く気持ちが入り混じっていたのではないかと思う。東ドイツが民主化され、自由な社会にならなければならない。しかしどうすれば可能なのか。民主化への強い意志が感じられるが、決して熱狂的ではない。表情には、これからどうなるのかと強い不安が深く刻み込まれていた。当局が許可したデモといえ、デモの後にどうなるのか。当局に拘束されないのかとの不安があったのも間違いない。


その意味でぼくは、ちょっと異常な雰囲気を感じた。その5日後の11月9日、ベルリンの壁が崩壊する。しかしぼくには11月4日のデモを見ていても、本当にそこまで発展するのかどうかまだ、疑心悪鬼だった。


ただその時、ほとんど誰もドイツが統一されるとは思っていなかったし、期待してもいなかった。それははっきりしていた。東ドイツが民主化され、新しくしたいという希望だけを抱いていたと思う。


それが、急速に変わってしまう。翌1990年3月20日に行われたはじめての自由選挙である国民議会選挙において、当初の予想を覆して西ドイツに支援されたキリスト教民主同盟が勝利する。その結果、東ドイツの新政権は暫定政権となり、統一への道を進むことになる。


それは、東ドイツ市民の意志だった。自分の祖国を捨て、西ドイツマルクほしさに身売りしてしまったとさえいってもいい。


東ドイツの民主化を主導したインテリ層の市民グループ「新フォーラム」は、東ドイツを改革して新しく民主化された国にする計画だった。しかしその下で民主化運動を支えていた一般市民の本音は、できるだけ早く統一して西独マルクで生活したいというものだった。民主化運動が進むプロセスにおいて、一般市民の本音が大きくなっていったのも事実だ。


その本音が、はじめての自由選挙で勝利したのだった。


しかしその時、身売りすれば、身売りした先の好きなように支配されてしまうことまでは念頭になかった。ドイツ統一といっても現実は、平等な統一ではない。西ドイツの政治、経済、社会の思う通りに、身売りした東ドイツ市民を支配し、管理するということだった。


旧東ドイツ市民がそうなるとは思っていなかったといっても、もう遅い。自業自得でもある。自分たちが期待した新しい社会と現実の間に、大きな差が生まれても当然だ。


旧東ドイツの看板となるドレスデンやライプツィヒなどの都市の外観だけを見ると、とてもきれいに再開発され、貧しいようには見えない。そんなところでなぜ、極右勢力が台頭するのか。一般的に考えると理解できない。しかしきれいな外観の裏では、旧東ドイツ市民が再開発された地域ではもう居住できなくなり、排除されていく。


それが、自分たちを身売りした結果なのだ。期待と現実の間に大きなギャップができる。それは旧東ドイツ市民にとり、あまりにも大きい。だから、きれいに再開発された都市がすでに存在し、EUにはもっともっと貧しい地域があるにも関わらず、旧東ドイツ市民には旧東ドイツが最も貧しく、現代社会から取り残されたように映っている。ここに、不満から現実を正当に評価できないギャップが生まれる。


統一に期待して身売りした自分を忘れ、そうなってしまった結果をもたらしたのには自分に責任があるのではなく、今の政治と社会に責任があることになる。


この現象が現れたのは、旧西ドイツ市民には自分たちが支配してきたことにも責任があることはわからない。旧東ドイツ市民には、それが自分たちを身売りした責任でもあることは理解できない。


それが、ベルリンの壁が崩壊して35年も経ち、統一された今のドイツの現実ではないのだろうか。


(2024年11月04日)
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拙書『小さな革命、東ドイツ市民の体験、統一プロセスと戦後の2つの和解』
関連資料:
テューリンゲン州公式サイト(ドイツ語)
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