ベルリンの慰安婦少女像問題から見える日本

 ベルリンで(2020年)9月28日、慰安婦少女像の「平和の少女像」が除幕されました。少女像が設置されたのは、ベルリン中心のミッテ区住宅街にある公園の角。ドイツではこれまで、慰安婦少女像が2カ所で設置されています。でもいずれも私有地。公共地に設置されるのは、ドイツではこれがはじめてだと思います。

 私有地に慰安婦少女像が設置された時も、在ドイツ日本大使館がスパイまがいの行動をして、横槍を入れました。

 今回公共地ということで、これまでとは違います。日本の茂木外相が電話会談で、ドイツのマース外相に慰安婦少女像の撤去を要請したとされます。

 ドイツ外務省は、日本の要請をベルリン市に伝え、ベルリン市が設置許可を出したミッテ区に日本側の要請を伝えたと見られます。独外務省とベルリン市は、日本のいい分は伝えたので、外交上の義務は果たした、日韓の間のゴタゴタには巻き込まれたくないというのが本音だと思います。

 それで困ったのは、前線に立たされたミッテ区でした。設置を許可したのは、区の芸術委員会でした。フォンダッセル区長(緑の党)は10月8日、少女像を設置したコリア協会に10月14日までに少女像を撤去すること、それまでに撤去しない場合は、区が強制的に撤去し、その費用を請求するとしました。

 ドイツの地方自治体は、各党の合議制をとっています。その合議制機関の参事会に在ドイツ日本大使が何回も説明にいっています。大使は、日本国民と日本政府が慰安婦少女像の設置を遺憾に思っていると説明した模様です。その説明から、さらにミッテ区が日本の地方自治体といろいろ提携関係にあることから、ミッテ区参事会は賛成多数で少女像の撤去を決議しました。

 ミッテ区参事会が許可を撤回するのは、少女像が日韓の政治対立を刺激し、ミッテ区が日本に反対する道具に使われたという印象を持ったからではないかと見られます。区長も、その旨の発言をしました。

 碑文には、太平洋戦争時に旧日本軍がアジア太平洋地域で、女性を強制的に性奴隷にしたことが書かれています。日本側はこれに抗議して、圧力をかけたと見られます。ただ像の設置が許可されたのは、像が単に旧日本軍による性暴力の問題ではなく、世界全体の戦争における女性に対する性暴力を批判、警告する意味を持っていたからでした。

 区長はその点について、撤去命令を出す前に、少女像を設置したコリア協会と対話すべきだったと思います。しかし日本から外交的な圧力があったので、早く対応してしまったのかと憶測されます。その対応にはすでに、区長を出す緑の党内ばかりでなく、社民党からも批判が出ています。

(2020年)10月13日のデモで、ベルリンに設置された慰安婦少女像の存続を求める市民たち

 区長の撤去命令に対し、コリア協会は10月13日、ドイツの女性団体や地元の市民団体などの支援を得て、少女像のある場所から区役所までデモ行進をし、撤去命令を撤回するよう要請する陳情書を提出しました。

 その時、区長は区役所前で、デモ隊の前に出て陳情書を受け取ります。さらにマイクをとって、コリア協会がベルリンの行政裁判所に区長の撤去命令の執行停止を求める仮処分手続きをしたことから、裁判所の判決が出るまで、像は撤去しないと発言しました。今後コリア協会とも話し合い、コリア協会側と日本側のどちらも納得できるような解決策を模索したいとも語りました。

 これが、これまでのベルリンの慰安婦少女像を巡る経緯です。できるだけ事実に即して書いたつもりです。

 さて、これからどうなるのでしょうか。

 少女像の設置許可は、1年間に限定されています。でもぼくは、今回のゴタゴタで少女像はむしろ、永久に今ある場所に残る権利を得るのではないかと予想しています。ただコリア協会は、碑文を修正して、少女像が単に慰安婦問題だけではなく、戦争における性暴力を警告するものであることをはっきり明記しなければならないと思います。

 今後、日本政府は在ドイツ日本大使館を通して、ドイツ政府、ベルリン市、ミッテ区に対して、少女像を撤去するために四方八方手をつくして圧力をかけてくることも予想されます。ただその結果、少女像を撤去することになると、ドイツ社会は黙っていないと思います。ドイツ社会において、日本政府への反発が強くなるだけです。

 慰安婦問題がドイツ社会においてよりクローズアップされ、当時の現実がドイツ社会においてより明らかになるだけだと思います。それは、日本政府の思惑とは逆効果になるということです。

 さらに、裁判所が少女像の在置を認める判断をすると、政治はもう手の出しようがありません。ぼくは、その可能性も高いと思っています。

 ぼくは10月13日、デモ行進前に少女像前であった集会に参加するドイツ人の男性2人に話を聞きました。2人とも、少女像を撤去すべきではないと思っていました。

 男性は、20代後半から30代くらいではないかと思います。

 そのうちの1人のジアンさんは、「ドイツはトルコ政府の意に反して、オスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を認定しているのだから、慰安婦問題でもドイツは独自の判断をすべきだ」といいました。もう1人のファビオさんが、「慰安婦のことは、国連でも認知さているよね」と付け加えました。

 ジアンさんはさらに、「日本は戦時中、ドイツと同じ側にいたよね。だから、戦争責任の問題をはっきりさせ、その罪を認めることが民主的なことなのだ」と主張します。

 ぼくは、このジアンさんの発言が今回の慰安婦問題の本質をついていると思います。問題は、慰安婦少女像の設置自体にあるのではなく、日本が戦争責任を認め、しっかりした形で戦後処理をしていないことにあります。

 でもそういうと、日本は韓国と政治決着しているではないかといわれると思います。でもそこには、大きな誤解があります。

 戦争責任の問題は、政治決着だけでは済みません。それでは、旧日本軍の犠牲になった隣国の市民が黙っていません。戦争問題では、しっかりと犠牲になった人たちとその市民に向き合わなければなりません。そして、対話をしなけばなりません。それが民主的なことであり、隣国との友好関係と平和につながります。

 日本はこれまで、それをしてこなかったのです。ジアンさんではありませんが、そうしない限り、日本は民主国家ではありません。

(2020年10月16日、まさお)

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関連サイト:
コリア協会(Koreaverband)

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