自分でパンを焼く

 ぼくはここのところ、自分でパンを焼いています。パンを焼くといっても、袋からすでに調合された粉を出して、水を入れてこねればいいので簡単です。その後、少し寝かせてから型に入れるか、型に入れてから寝かせて、オーブンに入れて焼けばできあがり。

 焼きあがったパンは型から出して、網状の台に載せて冷やします。

 ぼくの使っているのは、簡単にパンを焼けるように、いたれりつくせりのパン焼きセットのようなもの。でも、自分で焼いた気分になれます。焼きたての香ばしいパンを食べることができます。それが、何といっても魅力です。おいしい上に、長持ちするので、たいへん満足しています。

 ドイツでは、コロナ禍でロックダウン(封鎖)になると、小麦粉などの粉製品が品不足になりました。最初は、パンやパスタなどが品不足になることを心配して買いだめしたのではないかと思っていました。

 でもぼくは、自分でパンを焼いてみて、そうではないと気づきました。

ぼくが自分で焼いた黒パン

 ロックダウンになると、自宅で時間をもて余します。その時間を使うために、自分でパンやケーキを焼いたりする人が増えたのではないかと想像します。そう思うと、コロナ禍の今年は、例年よりもたくさん自家製ジャムをもらったようにも感じます。

 と思うと、一つのことが気になりました。

 たくさんの人がパンやケーキを自分で焼きだすと、パン屋やケーキ屋の売り上げが落ちるのではないかということです。プロのパン屋やケーキ屋のほうがおいしいのだから、売り上げは落ちないかもしれません。でも現在、自分で焼いてもかなりおいしいどころか、プロも顔負けになるくらいに簡単においしく焼けます。プロとアマチュアの差がなくなっているともいえます。

 プロはさらに、売り上げを上げるために、同じものを多量に焼かなければなりません。その点でプロには、ハンディキャップがあります。

 これは、ある意味で役割分担なのだと思います。パン屋やケーキ屋はパンやケーキを焼いて、それを売って利益を得ます。それに対して、パンやケーキを買う消費者は、パンやケーキを焼く時間を節約してその時間に働きます。それによって、報酬を得ます。その報酬で、パンやケーキを買います。

 それが、パン屋とケーキ屋、それに消費者の関係です。

 そう思うと、これが基本的な資本主義のメカミズムなのだと思えてしまいます。

 それぞれが同じ時間帯に役割を分担して時間を並行して使えば、たくさんのことができます。そうして、生産性が上がります。労働者はできるだけ長く働いて生産性を上げます。その代わりに、労働者が日常必要とするものを他で生産して、商品として時間の束縛された労働者に販売します。

 こうしてたくさんの人が並行して働くから、経済が循環し、資本主義が成り立ちます。

 でもコロナ禍では、ロックダウンによってある一方の人たちに自由な時間ができました。その時間を使って、自分でいろんなことができるようになりました。その結果、これまで成り立っていた資本主義の役割分担のメカニズムが成り立たなくなります。

 粉物の品不足は、その資本主義における役割分担の歪みを意味していたのです。

(2020年12月04日、まさお)

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