スターリンの原爆実験ビデオ

終戦を巡る原爆の謎

 戦後の1949年7月、中国の劉少奇がモスクワを訪れています。中国はまだ、建国前でした。劉はその後、政府副主席となります。劉はモスクワでスターリンに会った時、中国も原爆を保有したいといいました。

 ソ連はその時、まだ原爆実験に成功していませんでした。しかしスターリンは、ソ連が行った実験だとして、原爆実験の映像を劉に見せます。

『ヒトラーの爆弾(Hitlers Bombe)、ドイツ核実験の秘史』の著者ライナー・カールシュさん

 『ヒトラーの爆弾(Hitlers Bombe)、ドイツ核実験の秘史』の著者で、歴史家のライナー・カールシュさんはそれを、中国語とロシア語の通訳の力を借りて突き止めました。

 ソ連マレンコフ資料館の目録にも、『原爆実験の開始』というタイトルの映像ビデオがあることが記録されています。ビデオがマレンコフ資料館にあった証拠です。原爆実験ビデオを制作するため、映像素材がスターリンの秘書の元に持ち込まれていたことも確認できました。それが劉少奇に見せる前に、編集されていた記録も見つかりました。

 しかし、そのビデオが行方不明となっています。マレンコフ資料館には、もうありません。

 スターリンは劉に、小さな原爆実験で1945年3月に行ったと、説明したとされています。しかしソ連が原爆実験に成功したのは、1949年9月です。スターリンが劉に原爆実験ビデオを見せた時、ソ連はまだ原爆実験を行っていませんでした。

 スターリンはその時、ソ連がすでに核保有国であることを、劉に示したかったのは間違いありません。でもその映像は、どこで撮影されたのでしょうか。

 『ヒトラーの爆弾(Hitlers Bombe)』の著者ライナーさんは、ドイツでの原爆実験の映像を編集して劉に見せたに違いないと、推測します。「そうしか考えられない」といいます。

 スターリンは、原爆実験が1945年3月に行われたものだといいました。それは、ドイツ東南部テューリンゲン地方オーアドルーフで行われた原爆実験の時期と一致します。

 もしその映像ビデオが見つかれば、原爆実験がどこで行われたものなのか、わかる手がかりが見つかるかもしれません。それが、オーアドルーフで行われたものであると確証できれば、ナチス・ドイツが原爆実験に成功していたことを立証できます。

 ライナーさんがまず、ナチス・ドイツによる原爆実験の記述を見つけたのは、1939年から1950年中頃までのソ連の初期原爆開発についてまとめた8巻の資料でした。その中に、当時のソ連核開発計画科学長イゴール・クルチャトフがスターリンに宛てた手紙がありました。手紙は、1945年3月30日付けでした。

 クルチャトフはスターリンに、ナチス・ドイツが原爆実験に成功した可能性があると報告。破壊力は、半径400メートル程度と小さいが、ナチス・ドイツが核弾頭としてミサイルに搭載することを計画していると警告しています。

 原爆実験は、地上実験でした。場所は、テューリンゲン地方オーアドルーフにある軍の演習場。実験地は完全に封鎖され、見ることも、近づくこともできなかったと見られます。

 実験は、夜行われます。破壊力は、半径400メートル程度、小さな実験でした。広島と長崎に投下された原爆とは、まったく比較できないくらい小さなものでした。(つづく)
 
(2021年6月04日、まさお)

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