東ドイツ出身の首相だったが
語られないメルケル首相の失政
昨日2021年12月02日夜、ドイツ国防省の屋外式典場において国防軍の軍楽隊による退任するメルケル首相とのお別れ式典が行われました。
儀式では、退任者が自分の好きな曲を選んで、軍楽隊に演奏してもらうことになっています。メルケル首相はその一つに、東ドイツの歌手ニーナ・ハーゲンさんの1974年のヒット曲『君はあのカラー映画を忘れた(Du hast den Farbfilm vergessen)』を選びました。
ニーナさんは、東ドイツのロックにニューウェーブをもたらした「パンクの母」ともいわれる異例の存在。メルケル首相はその曲を選んだ理由として、「自分の青春時代のハイライト」だったとか、「自分の選挙区とも関係があるから」と語っています。歌では、メルケル首相の選挙区に属するドイツ北東部の小さな島ヒッデンゼーに生息し、初秋になると見事なオレンジの実をつけるヒッポファエ(浜辺の砂地に生息するグミ科の有刺低木)のことが出てきます。
東ドイツ出身の政治家として、女性としてはじめてドイツの首相となったメルケル首相。しかしメルケル首相が在任中、ドイツ東部の復興のために特別尽力した形跡はまったく見られません。東西ドイツが統一して30年以上経った今も、同じ仕事をしても、東西の労働者には賃金格差があります。東ドイツ出身の人材が、政界や経済界、学術界において出世できるチャンスも限られています。ドイツ東部からは若者がドイツ西部に移住し、東部では社会の高齢化が目立ち、過疎地では医療サービスにも問題が発生しています。
こうした問題が、ドイツ東部で極右政党が支持を伸ばす背景にもなっています。
メルケル首相は東ドイツ出身でありながら、ドイツ東部を特別扱いしませんでした。東部の問題についてあまり語らず、東部のために特別な措置も講じてきませんでした。それは、統一されたドイツの首相だからという特別な意識があったからかもしれません。
でもぼくから見れば、それは逆です。統一ドイツの首相だからこそ、ドイツ東部の振興策をしっかりさせ、東西で格差のない社会造りをしなければならなかったのです。ドイツ社会が今まだ分断し、社会問題になっているのは、そうしなかったツケです。
メルケル首相がドイツ東部問題で何もしてこなかったのが、東西ドイツの実質的な統一を遅らせたのは否定できません。その結果、統一後30年以上経ちましたが、東西ドイツはいまだ統一されていません。
しかしそのメルケル首相に、変化が生まれます。統一30年となる2020年10月3日頃からでした。メルケル首相は記者会見で統一30年に向け、とかく二流市民扱いされがちな東ドイツ市民を擁護し、「東ドイツ市民の業績に敬意を表するべきだ」と語りはじめたのでした。
メルケル首相が東ドイツ市民のことについて語るのは、とても珍しいことでした。東ドイツ市民が社会主義独裁体制下、さらに統一後の怒涛のような荒波において成し遂げた業績を、西ドイツ市民やメディアがまったく見ていないどころか、軽蔑していることに対して警告したのでした。東ドイツ市民が生命の危険をおかしてまで立ち上がらなかったら、ドイツが統一するどころか、冷戦は終わっていません。
あの時、メルケル首相はすでに、16年の任期を終えて退任することを決めていました。それではじめて、東ドイツ市民のことについて語りはじめることができたのではないかと思います。それ以降メルケル首相は、何かにつけてドイツ東部のこと、東ドイツ市民のことを話すようになります。
メルケル首相が東ドイツ出身だったことは、政治的には何もしなかったとはいうものの、ドイツ社会にとってとても重要だったと思います。メルケル首相は、東西市民を結びつける心の支えだったと思います。その意味で、東ドイツ出身のメルケル首相が政界から引退するのは、統一ドイツにとって大きな損失になるのは間違いありません。
今回は気候保護政策とコロナ対策の問題について述べる予定でしたが、メルケル首相の退任式典に合わせ、予定を変更しました。気候保護政策等の問題は次回に回します(続く)。
(2021年12月03日、まさお)
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関連サイト:
ドイツ政府の公式サイト(ドイツ語)
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