「気候首相」といわれたが

語られないメルケル首相の失政

 メルケル首相はよく、「気候首相」といわれました。気候変動の問題を政治家として早い段階で認識し、それを政治に反映させようとした政治家と見られてきたからです。

 メルケル首相は、1994年から1998年までコール元首相の下で環境相を務めています。今でこそ国連気候変動枠組条約締約国会議(環境サミット(COP))といえば、よく知られていると思います。メルケル首相が環境相としてまだ駆け出しの頃、その第1回会議(COP1)が1995年春、ドイツのベルリンで開かれています。その時の議長が、当時40歳のメルケル環境相でした。

 今「パリ条約」といえば、たくさんの人が知っていると思います。しかし気候変動の問題に対して、はじめて国際的な取り組みのメカニズムを規定したのは、「京都議定書」です。第3回会議のCOP3で採択されました。その後継規定がパリ条約です。

 京都議定書の前提になったのは、「ベルリン・マンデート」といわれる合意です。それによって、各国の温室効果ガス排出量の目標を設定し、それを達成するためのメカニズムを規定することになったのです。それを具体化したのが京都議定書でした。

 COP1のベルリン会議では、気候変動問題はまだ真剣に捉えられていませんでした。それだけに各国の思惑は、大きくかけ離れていました。社会においても一般的には、気候変動の問題は当時、ほとんど認識されていなかったと思います。

 その段階でメルケル環境相は、気候変動の深刻さを真剣に考えていた数少ない政治家だったといわれます。メルケル環境相は粘り強く各国代表を説得し、ベルリン・マンデートをまとめたのでした。

 メルケル大臣は政治家として経験不足にも関わらず、東ドイツ出身ゆえに統一後すぐに、国政の大臣として重宝されたといわれます。よく「コール首相のお嬢さん」といわれました。そのお嬢様大臣が国内で政治家として認められ、国際的にも知られるようになったのは、このCOP1がきっかけだったと思います。

 そのメルケルさんがドイツの首相になったのは、2005年の秋。社民党と緑の党によるシュレーダー中道左派政権が脱原発を決め、再生可能エネルギーへのエネルギー転換を本格的に始動させた後でした。

 それだけに、気候変動問題の重大さを認識するメルケル首相への期待は大きかったと思います。実際メルケル首相は2007年、気候変動の現実を自分の目で確認するため、グリーンランドを視察しています。

 メルケル首相は、「気候首相」といわれるようになりました。しかし現実は、そう簡単ではありません。今、気候変動問題が深刻だと認識し、何とかしなければならないと思っている人はかなり多いと思います。でもその対策によって、自分が直接影響を受けたり、負担を追うことになると、対策に反対し、後回しにしてもらいたいと思う人が多いのは、今も否定できない現実です。

 メルケル首相はすでに1997年、この社会的な問題について認識していました。同じようなことを、テレビのトークショーで語っています。気候変動対策では、社会がそれに賛同し、自分の生活において一緒に取り組んでくれない限り成功しません。政治にとり、社会をいかに引っ張っていくかがとても大きな課題になります。

「気候首相(Klimakanzlerin)に戻って」と書かれた横断幕を持って、首相府前で抗議デモをする若者たち

 しかし現実的な政策で、満遍なくバランスを取って妥協するメルケル首相です。メルケル首相には、首相としてはっきりと自分の政治ビジョンを主張し、社会を引っ張っていくだけの指導力がありませんでした。

 ドイツの主要産業である自動車産業を守るため、欧州連合(EU)において自動車の排ガス規制を強化することに反対し続けてきたのはメルケル首相でした。気候保護問題で、規制強化を阻止してきたのもメルケル首相です。再エネの拡大にブレーキをかけてきたのもメルケル首相でした(実際には、子飼いのアルトマイアー大臣が環境相、経済相としてブレーキをかけた)。

 とはいえ、二酸化炭素の排出を制限する排出権取引や再エネ政策によって、それなりの気候変動対策を講じてきたのも事実です。しかし誰にも痛みの伴わない政策で、とてもゆっくりしたテンポで政策が実現されてきたといわなければなりません。

 それが、メルケル政権が16年間も長続きした重要なポイントでもあると思います。しかしその結果、ドイツでは気候変動対策が不十分なままになりました。ドイツは今、2045年までに二酸化炭素の排出を実質ゼロとするカーボンニュートラルを実現することを法的に規定しています。その期限も、憲法裁判所の判断に強いられて前倒ししたにすぎません。

 メルケル首相の改革せずに、変化の伴わない中途半端な政策のツケは、とても大きいといわなければなりません。カーボンニュートラルを実現するまで、ドイツにはもう24年しか残されていません。ドイツのエネルギー全体における再エネの割合は、まだ20%にも達しません。それを20年余りで、ほぼ100%にしなければなりません。その過酷な条件において、ものつくりの先進工業国として国際競争力も維持しなければなりません。

 課題は山積みです。「大きい」というだけでは済まされないくらいに大きいと思います。それはすべて、次の政権に託されました。

 今回は気候変動問題だけでかなり長くなったので、コロナ対策の問題は次回に回します(続く)。

(2021年12月10日、まさお)

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関連サイト:
メルケル前首相のサイト(ドイツ語)

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