さよなら減思力

水爆の発案者は日本人だった?

終戦を巡る原爆の謎

 広島と長崎への原爆投下後、米ソはより強力な水素爆弾の開発へと進みます。水素爆弾は、熱核兵器ともいわれます。簡単にいうと、核分裂爆弾である原子爆弾を爆破させ、その高温高圧を利用して核融合物質に核融合反応を引き起こさせる核融合爆弾です。

 水爆というと日本では、1954年にマーシャル諸島のビキニ環礁において水爆実験で被爆した第五福竜丸のことを知っている方も多いと思います。米国がはじめて水爆実験に成功したのは、1952年11月でした。

 これまでナチスドイツは、原爆を開発できていなかったといわれます、その史実とは異なり、ドイツの歴史家ライナー・カールシュはその著書『ヒトラーの爆弾、ドイツ核実験の秘史』において、ナチスドイツが終戦前に原爆の開発に成功していた可能性について述べています。それについてはすでに書きましたが、それが核融合爆弾だった可能性が高いのです。

 それが事実だとすると、ナチスドイツは米国よりも早く核融合爆弾の開発に成功していたことになります。

 「水爆の父」といわれるのは、ハンガリー人物理学者エドワード・テラーです。テラーは、マンハッタン計画の中心人物ロバート・オッペンハイマーなどの反対を押し切って、「核時代の建設者」や「原子爆弾の建設者」といわれるイタリア人物理学者エンリコ・フェルミの理論を実践して水爆を開発します。

 そのフェルミがテラーに水爆の原理を伝えたのは、残されている資料から1941年9月だとされます。

 それに対し、日本の化学者萩原篤太郎(はぎはわとくたろう)が1941年5月に平塚の第二海軍火薬廠で行った講義において、水爆の原理についてすでに述べていたとされました。それが事実だとすると、萩原のほうが早かったことになります。

 萩原篤太郎は戦後、広島文理科大学や広島大学などで教授を務めていました。京大卒で、戦前、戦中は京都大学で講師などを務め、終戦前に海軍から原爆の研究を委託された荒勝文策教授らの荒勝研究室(F研究)にも属していました。

 萩原はさらに、ウラン235が核分裂する際の発生中性子数を測定し、1939年に英語論文でそれが2.6だと発表しています。現在の実験値である2.4 – 2.5にほぼ近い数でした。

 その萩原と水爆を結びつけたのは、米国のジャーナリストで、ノンフィクション作家リチャード・ローズでした。ローズは、1986年に出版した『原子爆弾の誕生(The Making of the Atomic Bomb)』と、1995年の『原爆から水爆へ(原題『暗闇の太陽(Dark Sun)』)において、水爆の原理にはじめて気づいたのは日本の萩原篤太郎だとしたのでした。

 特に『原子爆弾の誕生』は米国で、ピューリッツァー賞など数々の賞を受賞し、米国だけでも数十万部売れました。世界でも10カ国語以上に翻訳され、核開発史を扱った著作では、最も包括的で、代表的なものとなっています。

 こうして、萩原が最初の水爆原理の発案者だという史実が世界の科学界に広がります。

 ローズが参考にした資料には、日本から米国に帰化した最初の科学者とされる米国アーカンソー大名誉教授黒田和夫がシンポジウムで萩原について報告した資料があります。しかし黒田は、自分が萩原を水爆の最初の発案者だとして取り上げたのは、1989年のシンポジウムだったとし、萩原について最初に語ったのは自分ではない、自分はローズの説をベースに語ったのだとしています。

 ローズの説に疑問を持ったのは、米国カリフォルニア大のジェームズ・C・ウォーフ教授らでした。ウォーフ教授らは、京大の今中哲二助手(当時)らにその調査を依頼します。最終的には、萩原の息女が萩原の文書や原稿などの中から当時の講演録冊子を見つけ、それを名古屋大名誉教授の福井崇時が分析しました。

 その結果、講演のタイトルは「U235は超爆裂物質」で、熱核融合にはまったく触れられていないことがわかります。「超爆裂物質」は超核分裂物質だと見られます。萩原の講演録は手書きで読みにくいことから、「超」という漢字が、それに近い「起」と勘違いされ、「起爆裂物質」という奇妙なことばが造語されていたことがわかりました。

 後で水爆の原理を理解している科学者らがそれを、水爆の原理に当てはまるように核分裂を起爆として核融合反応を引き起こすと解釈してしまったのだと見られます。結局、萩原の講演録を英語に翻訳した人物による思い込みであったことがわかります。

 萩原は講演において水爆原理について述べたのではなく、原爆の実現可能性について述べただけでした。こうして、萩原篤太郎が最初の水爆発案者だったとの15年間の神話は否定されました。

 それは、2000年7/8月の英文核科学者会報で公表されています。その前にローズも調査の結果が伝えられ、ローズは過ちを認め、『原子爆弾の誕生』が再販される時に修正すると約束します。(つづく) 
 
(2021年12月26日、まさお)

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関連サイト:
福井崇時論文「萩原篤太郎が水爆原理発案第一号とされたことの検証」

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