独潜水艦のイエローケーキはごく少量だった

終戦を巡る原爆の謎

 前回、ドイツの潜水艦U234号に搭載されていたイエローケーキが、ニューヨーク市ブルックリン区にある倉庫に保管されたことまで書きました。それ以降、イエローケーキがどうなったかを記録する公式文書はまだ見つかっていません。

 イエローケーキは560キログラムもあったので、重量としてかなりの量に思えます。でも原爆に加工する天然ウランとしては、ごく少量でした。それだけに、しっかりと文書で管理されなかった可能性もあります。

 となると、そのイエローケーキが日本に投下された原爆に使われたのかどうか、まったく確認できないことになります。しかし、イエローケーキを原爆に使えるように加工する時間を考えると、日本に投下された原爆に使われた可能性はほとんどないと思います。

1938年頃の広島元安川辺りの家屋の様子

 イエローケーキを濃縮して広島に投下されたと同じウラン弾に使う場合、イエローケーキをまず、セントルイスにあるマリンクロット・ケミカル社に送って、二酸化ウランに変換します。それをさらに四フッ化ウランに変換します。それを六フッ化ウランに変換するため、ハーショーに送ります。そのプロセスを経てようやく、濃縮するためにオークリッジの濃縮工場に送ることができます。

 オークリッジでは、まずガス拡散法(K-25プラント)によって10%の低濃縮ウランにします。低濃縮ウランはさらに、電磁分離法(Y-12プラント)によって高濃縮ウランに仕上げます。その後、高濃縮ウランは船でロスアラモス研究所に送られ、ウラン弾が製造されます。

 これら一連のプロセスには、たいへん長い時間を要します。広島に原爆が投下されるまでには、間に合いません。この現実を考えると、ドイツの潜水艦で運ばれたイエローケーキが広島に投下された原爆に使われた可能性はほとんどないと思います。

 原爆を開発、製造したロスアラモス研究所の元研究員トムさんは、ドイツから運ばれてきたイエローケーキは、マンハッタン工兵官区マディソンスクエア事務所のジョーン・ヴァンスの管理の元に置かれたのではないかと推測します。

 マンハッタン工兵官区は1942年8月に設置され、原爆開発に係る研究、開発、実験を監督し、それに関連する研究所、実験場の管理と関連施設の人材の確保と管理を行なっていました。ヴァンスは化学者。マンハッタン計画において、ウラン鉱石と純正ウランの加工の管理を担当していました。

1938年頃の広島高等師範学校

 トムさんは、ドイツからのイエローケーキはヴァンスの指示で、セントルイスにあるマリンクロット・ケミカル社に送られ、同社に保管されていた多量のイエローケーキと一緒になってしまった可能性が高いといいます。

 日本が発注したイエローケーキは、もう身元がわからなくらいに混合され、区別のつけようがなくなったと見られます。(つづく)
 
(2021年8月18日、まさお)

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