さよなら減思力

オラニエンブルクとナチスのウランプロジェクト

終戦を巡る原爆の謎

 「トリウム入り放射線歯」と「ナチスドイツのウランはどこに」の記事で、ドイツの「アウアー会社」について書きました。

 アウアー会社について、詳しく書いておくべきだと思います。

 アウアー会社は元々、ガス灯の発光効率をよくする網状のガスマントルを製造する会社でした。オーストリア人カール・アウアーが19世紀後半、ガス灯の発光効率をよくするために開発したのでした。

 そのガスマントルには、放射性物質のトリウムが使われています。

 20世紀前半、ガス灯の生産をOSRAM社に移転すると、アウアー会社はベルリン北部のオラニエンブルクに、発光塗料工場を設置しました。

オラニエンブルクには、ザクセンハウゼン強制収容所があった。写真はそのモデル。ザクセンハウゼンとアウア会社の関わりは後で明らかにする

 1933年ナチスが政権を握ると、アウアー会社は、ナチスの下で経済的な勢力を拡大していった金銀の精錬会社デグサ社の傘下に入ります。その後に蛍光灯が開発され、オラニエンブルクにおいて独自のガラス工場を設置するほか、ガスマスクも製造していました。

 デグサ社はナチス体制下において、ユダヤ人企業やユダヤ人の不動産を獲得して巨大化していきます。さらに第二次世界大戦と大量虐殺において、ナチスを技術的に支援しました。たとえば強制収容所のガス室で毒ガスとして使われたツィクロンBの生産にも、間接的に関わっていました。

 アウアー会社は、資本金1100万帝国マルク、1944年9月時点での雇用者数が1万人を超え、デグサ社傘下23社の中でも最大の規模を誇っていました。

 アウアー会社のオラニエンブルク工場において、重要な役割を果たしていくのが、ロシア系ドイツ人物理学・化学者のニコラウス・リールでした。リールはサンクト・ペテルブルク生まれ。独ソの軍事協力関係の枠内で、サンクト・ペテルブルク工科大とベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム大学で物理学と核化学を学びます。その時、後に核分裂を発見することに貢献したリーザ・マイトナーらの研究チームと接触していました。

 リールは博士号取得後、アウアー会社に就職。アウアー会社の科学実験室を総括する責任者となりました。アウアー会社による蛍光灯の開発では、重要な役割を果たしたと見られます。

 1939年9月、リールはアウアー会社のウラン生産の責任者となりました。その他、パウルマックス・ヴォルフが同社放射能部長、ハンスヨアヒム・ボルンが科学実験室部長、フィリップ・ヘェルネスがオラニエンブルクのレアメタル工場長。ウランは、レアメタルとして取り扱われていました。

 こうしてアウアー会社はリールをトップとして、ヒトラーのウランプロジェクトに組み込まれていきます。オラニエンブルクが、ウランプロジェクトに必要な酸化ウランなどの重要な材料を供給する拠点となるのです。(つづく) 
 
(2022年9月09日、まさお)

関連記事:
ナチスドイツのウランはどこに
トリウム入り放射線歯磨き粉
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(書籍案内)

関連サイト:
オラニエンブルクの歴史(オーバーハーフェル地方博物館のサイト、ドイツ語)

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.