ナチスドイツのウランはどこに

終戦を巡る原爆の謎

 「トリウム入り放射線歯磨き粉」の記事で、ナチスドイツが保管していた酸化ウランの一部について書きました。

 その多くは、日本に運ばれる予定だったイエローケーキを日本陸軍の調達会社 昭和通商に納入したベルリンの材料販売会社ローゲス(ROGES)が取り扱っていました。

 米軍の調査では、たとえばドイツ北東部のノイシュタット・グレーヴェにイエローケーキが約120トン、ベルリンにもイエローケーキなどの酸化ウランが約90トン保管されていたことが確認されています。

 米軍の調査書は、文献調査をベースとしたものでした。調査書には、記録された酸化ウランの多くは爆破されて、破壊されてしまっており、実際の残量は確認されていないと追記してあります。

 調査書は、1945年9月25日付けでした。調査書にはその1カ月後の10月29日に、手書きで数値が記入されています。その数値は、調査書で清書された数値よりも、かなり少なくなっています。それが実際に確認された残量なのかどうかは、それだけでははっきりしません。

 米軍が詳しく調査できたのは、米軍の管轄区域に限定されていました。たとえば、前述したノイシュタット・グレーヴェはソ連軍が侵攻した地域で、ソ連軍管轄でした。そのため米軍は、そのイエローケーキがソ連軍に没収されたことを把握していません。

 前述の記事「トリウム入り放射線歯磨き粉」で取り上げたアウアー会社の工場のあったベルリン郊外のオラニエンブルクも、ソ連軍管轄でした。オラニエンブルクでは戦後、アウアー会社の工場のあった地域とその周辺が、放射能で汚染されていたことが確認されています。

 ベルリンにおいて最もたくさん酸化ウランが保管されていたと見られるフリードリヒ・クラウゼ・ウーファー24番地は、英国軍管轄でした。

 米国は、原爆を開発、製造するマンハッタン計画の枠組みで、1943年終わりから終戦後の1945年終わりにかけ、ドイツの原爆開発を調査するため、秘密裏に科学情報調査団をイタリア、フランス、ドイツに派遣していました。それを「アルソス調査団」といいました。

 アルソスの科学調査団長だったサムエル・A・ハウトスミットが、ドイツの原発開発の調査と、そこから得られた教訓をまとめて報告しています。それが翻訳され、日本で『ナチと原爆、アルソス:科学情報調査談の報告』(海鳴社、1977年)として、出版されています。

 ぼくはそれを読んでみました。ぼくには、科学調査団長のハウトスミットが、ナチスドイツの原爆開発がかなり遅れていたことを前提に調査していたことがとても気になりました。科学調査は、そういう先入観を持って行われてはならないと思います。

 調査は、米軍によるヨーロッパ大陸上陸から、ドイツへの侵攻状況に大きく左右されていたとも、いわなければなりません。戦後もドイツが米英仏ソに分割統治されていたことから、調査には限界がありました。

 アルソス調査団は、ヴェルナー・ハイゼンベルクなどドイツの原爆開発に関わった科学者から事情聴取するほか、ドイツ南西部のハイガーロッホで研究炉を見つけ、それを解体しています。

 ソ連側も米国のアルソスと同じように、独自にドイツによる原爆開発を調査する調査団をドイツに派遣しています。しかしソ連の調査団も、ソ連軍管轄の東ドイツに限定されていました。

 こうして見ると、ナチスドイツが戦後、分割統治されたことが、ナチスドイツにおける原発開発と製造の実態をよりわからなくさせているともいえます。

 これまでドイツで原爆開発用だとして発見された酸化ウランは、その化学組成から、ドイツ南東部とチェコにまたがるエルツ山脈で採掘されたウラン鉱石を原料にしていると見られます。キューリー夫妻がラジウムを抽出したのは、このチェコ側のヨアヒムスタールで採掘されたピッチブレンド(均質で、非晶質の瀝青ウラン鉱)でした。
 
 マンハッタン計画において原爆を開発、製造したロスアラモス研究所の元研究員トムさんによると、残された文書から算出したところ、終戦間際に精製されたはずのウラン生成物153トンの行方がわからないと主張します。それは主に三酸化ウランで、イエローケーキを昭和通商に納入したベルリンの材料販売会社ローゲス(ROGES)の倉庫に保管されていたはずだといいます。それがどうなったのか、わかっていません。

 さらにトムさんは、これまで確認されたヨーロッパ産のウラン鉱石のほか、マリなどアフリカから輸入されたウラン鉱石が、ヨーロッパ産の10倍の量に相当するはずだと確認しています。しかしそれが、どう処理され、どう使われたのか、まったく確認できません。

 トムさんはそこから、まだ文書で確認できないが、ナチスドイツはプルトニウムを生成するよりも、ウランを濃縮するほうに力を入れていたのではないかと示唆します。ウラン濃縮により、その生成物が大幅に減量されるからです。

 ただトムさんは、それだけではないとします。ナチスドイツが原爆の開発に成功していたか、それに近い段階にまで達していた可能性も否定できないとします。原爆実験などで、原爆が実際に使われていた可能性があるということです。そうでないと、行方のわからない酸化ウランについて説明できないとも憶測します。

 さらにトムさんは、日本の昭和通商がドイツの潜水艦でイエローケーキを輸送した以外に、ドイツでもっとたくさんのイエローケーキを調達し、それを日本に外交官や技官などに少量ずつ運ばせていたのではないかとも疑っています。

 事実ではありませんでしたが、ドイツの潜水艦で日本に運ばれようとしたイエローケーキが、少量ずつ包まれていたとの情報もありました。

 トムさんは、これらはまだ発表できる段階のものではないが、自分ではそう推測しているといいます。

 ドイツのウランはどこにいったのか。それをはっきりと把握することも、ドイツばかりではなく、日本の原爆開発の状況を探る重要な手がかりになることがわかります。(つづく) 
 
(2022年1月22日、まさお)

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関連サイト:
ハイガーロッホ町のアルソス調査団に関するページ(ドイツ語)

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