トリウム入り放射線歯磨き粉

終戦を巡る原爆の謎

 日本に運ばれようとしたイエローケーキは、日本陸軍の調達会社 昭和通商が、ベルリンの材料販売会社ローゲス(ROGES)から購入したものでした。

 米軍の調査では、ローゲス社は当時、ドイツ北東部のノイシュタット・グレーヴェに100トン以上のイエローケーキを保管していたとされます。これは、ソ連赤軍に押収されたと見られます。

 ローゲス社はベルリンにも、約90トンの酸化ウランを保管していました。しかしこちらは、ソ連赤軍によるベルリン侵攻で倉庫が破壊され、実際に残っていた量は確認できないままになっています。

 このベルリン倉庫があったのは、ベルリンのフリードリヒ・クラウゼ・ウーファー24番地でした。現在はその地に、ベルリン外人局が入っています。当時はそこに、「アウアー会社」の社屋がありました。

 アウアー会社は元々、オーストリア人カール・アウアーが19世紀後半にガス灯の発光効率をよくするために開発した網状のガスマントルを発明したことに由来します。その後ガス灯の製造メーカーとして、ベルリン市内のガス灯などを生産しました。その後、電球製造部門が分割されます。そうしてできたのが、ドイツの電球製造メーカーOSRAM(オスラム)でした。

 アウアー会社は戦前、ドイツのガス灯、電灯の製造をリードしたトップ企業でした。

 ベルリン・ワルシャワ通り横にある当時のアウアー会社の建物は、ベルリン最初の高層ビルでした。戦後、その建物と本社工場を引き継いだのが、東独の電球製造メーカーNARVA(ナルヴァ)でした。建物は統一後修復され、現在テナントビルとなっています。

 カール・アウアーが発明したガス灯のガスマントルには、放射性物質のトリウムが使われています。ぼくは福島県の高校生と一緒に、ドイツ北西部オルデンブルクの高校(ギムナジウム)において物理の先生の指導で、ガスマントルの放射線量を測定したことがあります。放射線量はごく少数でした。こんなところに放射性物質が使われているとは、まったく思ってもいませんでした。

写真中の丸いピンク色のものが、ガスマントル。それを黒い枠に入れて枠を立て、枠を立てた状態で少し離れたところに線量計を並行に立てて、放射線量を測定する

 アウアー会社は20世紀前半、ベルリン北部のオラニエンブルクに発光塗料工場を設置します。後にそこで、蛍光灯が開発されています。工場ではウラン濃縮も行われ、ナチス・ドイツの秘密原爆開発だった「ウランプロジェクト」に関わっていました。それに関しては、後で新たに詳しく書くことにします。

 実はそのオラニエンブルク工場において、1940年から1945年までの間、放射性物質トリウム入りの歯磨き粉が製造されていました。その名は「Doramad(ドラマド)」。歯磨き粉の使用書には、次のように書かれています。

 放射線によって歯と歯ぐきの防衛効果を高めます。細胞に新しい生命エネルギーが充電され、バイ菌の破壊作用を防止し、歯ぐきの病気の予防と治療効果を高めます。(Doramadを使えば)、最小の痛みで歯を白く、輝くように磨くことができます。泡立ちもよく、新しい感覚の味。心地よく、マイルドで、爽快です。

 「Doramad(ドラマド)」は広島と長崎への原爆投下後、ようやく市場から消えてなくなりました。その間の放射線の影響については、何も記録するものが見つかっていません。

 それまで放射線は、人の健康に効果のあるものだとされていたのです。放射線による人体への影響は、広島、長崎への原爆投下後にようやく認識されたのでした。(つづく) 
 
(2021年10月08日、まさお)

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関連サイト:
Museum of Radiation and Radioactivityのドラマドのページ(英語

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