強制労働でウランを加工

終戦を巡る原爆の謎

オラニエンブルクとナチスのウランプロジェクト」の記事で、ベルリン北部の町オラニエンブルクにあるアウアー会社が、ナチスドイツのウランプロジェクトにとって重要な存在であったことを書きました。

 それは、アウアー会社の工場が酸化ウランなど原爆の製造に必要な材料を製造していたからでした。アウアー会社の工場において金属ウランを製造でききたのが、大きなポイントでした。

 オラニエンブルクには戦時中、ナチスドイツの強制収容所がありました。ザクセンハウゼン強制収容所といいました。オラニエンブルク郊外の森を伐採するなどして、全体で400ヘクタールもある大きな強制収容所ができていました。そこでは囚人に、偽札を製造させていたのがよく知られています。

ザクセンハウゼン強制収容所の囚人を強制労働させていたことを記録する慰霊碑。オラニエンブルク駅の近くに設置されている

 あまり知られていませんが、囚人をアウアー会社の工場に送り、強制的にウランを加工させていたこともわかっています。

 オラニエンブルクでは当時、町の中心を走る鉄道線路の両側にアウアー会社の工場がありました。オラニエンブルク駅から10分くらい歩いた住宅街の広場には現在、ザクセンハウゼン強制収容所からアウアー会社の工場に連れてこられ、強制労働させられた囚人たちの慰霊碑があります(写真)。

 オラニエンブルクはナチスドイツが降伏する1カ月半前の1945年3月15日、英国空軍機によって空爆され、町のほとんどが破壊されました。英国軍は、オラニエンブルクのアウアー会社の工場において、原爆に必要となる材料が製造されているとの情報をつかみ、オラニエンブルクを空爆目標にしたのでした。

 アウアー社の工場は空爆によって、壊滅しました。

 空爆後にも工場の再建を不可能にするため、長期に劣化しない爆弾をたくさん使用したと見られます。その影響でオラニエンブルクでは現在も、住宅や道路などの工事現場のあちこちで不発弾が見つかり、町の再開発に大きな障害になっています。

 オラニエンブルクでは終戦後、アウアー会社の工場があった地域を中心に、広域に渡って放射能で汚染されていたことも判明しています。

 アウアー会社はまた、オラニエンブルクで酸化ウランを製造するだけでは需要を満たせなくなり、ベルリン近郊のグリューナウの化学工場に酸化ウランの製造を拡大させています。

 そのグリューナウの化学工場で最終的に製造された酸化ウランが、1945年4月にドイツの北キール港から日本に向けて出発したドイツの潜水艦U234号に搭載されていました(「日本行きのドイツ潜水艦には酸化ウランがあった」)。

(つづく) 
 
(2023年7月13日、まさお)

関連記事:
オラニエンブルクとナチスのウランプロジェクト
日本行きのドイツ潜水艦には酸化ウランがあった
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(書籍案内)

関連サイト:
ザクセンハウゼン強制収容所博物館公式サイト(ドイツ語)

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