ドイツ基本法75年のおかしさ
2024年5月23日から75年前、(旧)西ドイツの憲法に相当する基本法が制定されました。それとともに、ドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)の憲法ができたのでした。しかし基本法は、ドイツが再び一つになるまでの仮の憲法。だから、「憲法」とはしなかったのです。
その基本法が現在、統一ドイツの憲法になっています。名称も基本法のままです。その背景については、拙書『小さな革命・東ドイツ市民の体験』で書いているので、ここでは触れません。統一時には、統一ドイツの憲法をどうするかをしっかりと議論せず、できるだけ早く統一を実現するため、旧西ドイツの基本法をそのまま統一ドイツの基本法として憲法の機能をもたせることで簡単に政治決定してしまいました。
統一ドイツの憲法は旧東ドイツ市民の意見を聞かないまま、決められたことになります。それが現在、旧東ドイツ市民が民主主義に対して不信を持つ一つの背景になっているのは、間違いありません。頭ごなしの政治決定は、民主主義ではありません。

毎年夏になると、福島県高校生がベルリンにきます。その時、ドイツの歴史と政治、環境とエネルギーをテーマに、高校生たちをベルリン市内に案内します。
そのルートの一つに、ドイツ連邦議会(下院)議事堂が入っています。議事堂では高校生たちと一緒に、一般公開されている屋上テラスに上がります。
その時高校生たちに、ドイツの憲法に相当する基本法について話し、以下の条文の日本語訳をタブレットの画面に出します。ドイツの基本法が、日本の民主主義のお手本になると思うからです。日本の高校生のための一つの政治教育だと思っています。
タブレットの画面には、以下の日本語訳が表示されています。
第1条第1項第1文:
人の尊厳は、侵すことができない。
第3条第1項:
すべての人は、法の下では平等である。
第3条第3項:
何人も、性別、血筋、人種、言語、門地、信条、宗教観、政治観から差別されてはならない。何人も、その障害から差別されてはならない。
ドイツの基本法第1条は第3条と組み合わせ、ドイツが世界に誇る最もたいせつな宝物だと、ぼくは思っています。第二次世界大戦の過去から学び、過去の過ちを二度と繰り返さないことを誓ったものだと思います。
昨年2023年10月7日、パレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃して、多数のイスラエル人を殺害するほか、生存するイスラエル人を人質に取りました。
その後、国家元首のドイツ大統領をはじめとして、ドイツの政治も社会も変わってしまいました。ハマスに攻撃されたイスラエルを支援するのが、『ドイツの国是』になります。イスラエルが国を守るためであれば何をしてもいいと、無条件の白紙のお墨付きを与えたような形になります。
その時、ドイツの過去の過ちについて言及され、ドイツの基本法第1条第1項を引用して、ハマスの残虐な行為が批判されました。
イスラエルはその後、ガザ地区に地上侵攻します。人質解放とハマス撲滅の名目の下、ガザ地区に閉じ込められた罪のないパレスチナの一般市民が無差別に攻撃され、犠牲になっていきます。しかしそれに関しては、基本法第1条第1項を引用してイスラエルの行為が批判されません。
ドイツ大統領が「パレスチナ人の尊厳は、保護されなければならない」と発言したのは、今年2月になってからでした。その時の発言は、心からそう思っていたとはとても思えませんでした。大統領としての義務から、そういったとしか受け取れない口調でした。
大統領はそれ以降、中東問題で催し物を開く時も、一方的にイスラエル派だけを招待します。それで議論になりますか。その結果大統領は批判され、催し物を中止しなければならなくなっています。
ぼくはそれまで、基本法第1条第1項がすべての人に適用されると思っていました。しかし現実は、そうではないのです。大統領をはじめとして今のドイツでは、人の尊厳はユダヤ人も含めた白人以外に保護する必要はないのです。これは基本法の問題というよりは、それを使う側の問題です。
それが、昨年2023年10月7日以降、はっきりとしました。
今のドイツは白人至上主義になり、人種差別が平然と当たり前になっているということでもあります。ぼくは、ドイツ大統領をはじめとして、ドイツの政治は今、憲法に違反すると確信しています。
それでは、ナチス時代の教訓から何も学んでいません。
ドイツの政治家は、イスラエルの存続を守らなければならないといいます。イスラエルに対しては過去の歴史から、ドイツにイスラエルを支援する責任があるといいます。
そこで過去の歴史からというなら、ドイツにはパレスチナに対しても責任はないのでしょうか。戦後のパレスチナ人の苦しみは、ナチスによるホロコーストがなければそれほど苦しまなくて済んだのではないでしょうか。ドイツには、パレスチナにも同じ責任があるはずです。しかし現在のドイツでは、公然とそうは主張できません。
ドイツには、今のドイツの状況がおかしいと思っている人たちもいます。しかしパレスチナ市民の虐殺に対して、イスラエルを批判できるようになるまでには時間がかかりました。それでも今もイスラエルを批判すると、反ユダヤ主義者のレッテルをはられます。
だから、はっきりとイスラエル政府のやっていることをおかしいといえません。本音を押し殺して、沈黙します。悪いことを悪いといえなくて、何が民主主義ですか。自分の思っていることをはっきり主張できなくては、民主主義はありません。


基本法75年を迎えドイツでは今(5月26日まで)、ベルリンの連邦議会議事堂前をはじめとして、各地で基本法75年を祝う市民祭が行われています。そこでは、民主主義の大切さがより強調されています。ドイツの民主主義を支え、発展させてきたのが基本法だと、誇張されています。
ええ、ほんまかよ、といいたくなります。
今のドイツの状態を見ると、恥ずかしもなく、よくそんなことをいえるなと思います。偽善もいいところです。現在のドイツの民主主義は、おかくしなっています。ドイツは75年もかけ、こんな矛盾だらけの表面的な民主主義を築き上げてきたのかと思うと、がっかりしてしまいます。
今のドイツの状況は、ヨーロッパにおいても異常です。昨年10月7日の後、飛び抜けておかしくなってしまいました。戦争の過去をしっかり処理してこなかったウミが、ハマス事件を機にどーと滲み出てきた感じがします。
それは、ナチスの過去がトラウマになっているからだともいわれます。しかしぼくは、それだけではないと思っています。
ドイツには、ドイツの過去の過ちを二度と繰り返さないため、戦争の過去を伝えるための施設がたくさんあります。それが、ドイツの戦後処理の優等生だといわれる所以です。しかし過去の過ちを伝承する箱はできても、人の心まではまだ啓蒙されていないのだと思います。
もうかなり長くなってしまいました。今回はここまでにして、次からこの問題についてさらに検討、議論したいと思います。
(2024年5月26日、まさお)