ドイツの小さな原爆の計算式が提供されたが、日本に届いたか?

終戦を巡る原爆の謎

 ぼくがこれまで「小さな原爆」や「マッチ箱原爆」にこだわっているのは、終戦後に米軍の捕虜となった日本軍技官が米国海軍の取り調べに対して以下のように証言しているからだ。

 1944年11月、陸軍士官学校卒第一軍曹の小隊長から、日本が1944年に何回か、97式中戦車ハケ(原文の「ハケ」は間違いで、正確には「チハ」)に利用される戦車用V型12気筒ディーゼルエンジンの青焼き図面と交換に、ドイツ式原爆の計算式を手に入れたと聞いた。小隊長によると、爆弾はマッチ箱一つ程度の大きさで、半径1000メートル程度の破壊力があるという。

 これはすでに本サイトにおいて、「日本がイエローケーキを入手しようとした目的は?」でも引用した。

 調書には、技官が日本がこの種の爆弾を製造したのかどうかも、どういう目的で使用するのかも知らないとある。技官はさらに、爆弾はフィリピンでは使われなかったと語っている。技官が「フィリピン」といっているのは、97式中戦車チハが1942年にフィリピンで最初に実戦に投入されたからではないかとも見られる。証言からして、日本陸軍が原爆を戦車で使おうとしたのではないかとも推測できる。戦車で使用するとなると、原爆は小型でなければならない。

 原文では「formula」となっているので、引用文ではドイツから提供されたものを「計算式」と翻訳した。ただ英独技術辞書で調べると、「構造図」と翻訳しても間違いではないという。現物が見つからないと、正体は何かはっきりしない。

 米軍は終戦後、ナチス・ドイツが日本にどの程度軍事技術を供与したのかを調査した。その時米国海軍の情報機関が原爆に関して、米軍によって拘束された日本人捕虜を聴取している。

米国海軍による日独軍事協力関係調書の表紙はこんな感じだった(抜粋)

 調書には、ナチス・ドイツが日本に提供した軍事技術が列挙されている。ナチス・ドイツから日本に供与された技術は、レーダー、大砲やその他の武器、ミサイル、水中弾、ロケット戦闘機、ジェット戦闘機、潜水艦、毒ガスなど。調書のページ177に、「その他」という項目があり、そこに原爆に関して二つの記述がある。前述の引用文はそのうちの一つだ。

 ドイツ軍戦車の「パンター」や「ティーガー」は、ガソリンエンジン仕様だったが、燃料の漏れるトラブルが続いていた。ドイツ軍が戦車のエンジンに問題を抱えていたのは確かだ。ドイツ側が日本のディーゼルエンジンに関心を示し、青焼き図面を入手していたとすれば、それには信憑性がある。

 1941年6月に独ソが開戦し、その後に日本が英米と開戦すると、シベリア経由の陸上輸送と、大西洋、太平洋を経由する海上輸送が難しくなる。その代わりに日独間で軍事技術の輸送と人材派遣に利用されたのが潜水艦だった。

 日本側が潜水艦を派遣した作戦を遣独潜水艦作戦という。1942年夏から1944年夏までの2年間、日本の潜水艦が5回ドイツに向けて送られた。しかし、無事帰還した潜水艦は一隻だけ。残りは、シンガポールまで戻った後に沈没したか、航海中に攻撃を受けて沈没した。

 人材派遣と戦略物資の輸送のため、ナチス・ドイツから潜水艦が2隻日本に譲渡されている。終戦直前には、輸送用に改造されたドイツの潜水艦が日本に向かう。それについては、すでに報告している。

 枢軸国の一つイタリアの潜水艦によって、独ヴュルツブルク・レーダーの技術者がシンガポールに到着している。技術者は空路で東京まで行き、日本のレーダー技術の改良に貢献した。ドイツのレーダー技術は、日本が最も関心を持った技術だったと見られる。

 ドイツ式原爆の計算式が提供された1944年には、日本の第4次遣独艦伊号29潜水艦がシンガポールまで到着した。その直後に沈没する。しかし、搭載されていた資料のいくつかは救われ、空路で日本に届けられた。その中にあった独メッサーシュミット社のロケット戦闘機とジェット戦闘機の図面からそれぞれ、「秋水(しゅうすい)」と「橘花(きっか)」という試作機が日本で製造された。

 問題は、日本に届いた資料の中に、原爆に関するものが含まれていたかどうかだ。それがまだはっきり調べきれないでいる。

 日独が正式に軍事物資の供給で協力を開始するのは、1944年5月になってから。ヒトラーが日本への技術提供を認めた。それまでは、日独防共協定と日独伊三国同盟を基盤にして協力されていたにすぎない。

 協定では、ミサイルや戦闘機、レーダーなどに必要な機材や資材を潜水艦でドイツから日本に輸送する考えだった。戦時下において搬送された戦略物資が実際に、どれくらい日本に届いたかははっきりしない。図面のような図書の形で技術が提供されたとも見られる。

 それを考えると、原爆の計算式が日本に提供されていてもおかしくない。しかし一般の軍事技術でも日独の協力関係がはっきり判明していない。原爆開発になると、どの程度協力関係があったのかは、さらにわからない。

 しかし英国の物理学者の中には、これまで想定されていた以上に、ドイツから日本に原爆開発のノウハウが供与されていたと主張する物理学者もいる。

(2026年4月28日、まさお)

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「小さな平和」を求めて ポツダム・トルーマンハウスとヒロシマ・ナガサキ広場の記録

関連サイト:
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