駆け足で生きる社会

 前回、技術革新によって技術についていけずに格差が起こる問題について書いた。今回は、その技術革新によってぼくたちの仕事や生活が本当に楽になったのかどうかを考えたい。

 たとえばパソコン。パソコンによって、たくさんのことが自分でできるようになった。自分で書いたテキストを簡単に修正できる。プリントアウト、保存もできる。たくさんのデータを保存して、管理もできる。インターネットの普及で、たくさんの情報を手にいれることもできるようになった。ソーシャルメディアによって、人との横のつながりができ、友だちの輪が広がっていく。互いに情報を共有しやすくなった。

 これは、パソコン一つでぼくたちの能力が大きく拡大されたということでもある。でもそれによって、ぼくたちはパソコンに向かって何かしている時間が長くなっていないだろうか。さらに、何でも早く片付けることを求められていないだろうか。

 新型コロナにおいて、在宅勤務(日本ではテレワーク、ドイツではホームオフィスなどともいう)をする人が多くなった。Zoomなどのオンライン会議ツールを使えば、簡単に自宅から会議ができる。出張しなくても、商談もできる。オンラン飲み会もできる。

 でもそれによって、仕事をする時間が長くなっていないだろうか。仕事の時間と個人の時間の区別がつけにくくなっていないだろうか。さらに、在宅勤務において育児と仕事を両立することがたいへん難しいことも明らかになった。

 学校では在宅オンライン授業が行われている。医療の分野では、オンラインで診察するテレメディスン(遠隔医療)も拡大している。新型コロナでは、それがこれまで以上に重宝されている。でもそれによって、人と人のコンタクトが失われているのも事実。先生は授業のために、よりたくさんの準備をしなければならなくなっている。

 これらは、技術革新の一例にすぎない。技術革新によってより多くの便益が生まれたのは否定のしようがない。でもそれによって、新しい技術を習得するのに時間がかかる。働く時間もより長くなっていないだろうか。人と人が接触する時間が、逆に短くなっているのは間違いない。

 前回も書いたように、技術革新のテンポは早い。新しい技術を開発することで、新しいビジネスチャンスが生まれるからだ。技術革新において競争が激しくなっている。それが、技術革新のテンポをより早くしている。

 新しい技術がドンドン出てくると、それを使えるように勉強しなければならない。ぼくたちは技術革新のテンポに合わせて、早いテンポで技術に合わせて生きていかなければならなくなっている。

 それによるプレッシャーも大きい。そのために、駆け足で生きていかざるを得ない。でも、いつも駆け足で突っ走るわけにはいかない。走るパワーが切れる時がくる。その時、からだと頭はもういやだと反応する。それが、たとえばバーンアウトだ。

 技術についていけなくなると、社会から落ちこぼれる危険性が高い。社会生活において参加できなくなるものが増えてくる。それでいいと思えればいい。でも、そう思えない人も多い。そうなると、生活に対する不安が増大する。社会に対する怒りも大きくなる。

 新型コロナでロックダウンすることは、早いテンポで生きて行くことに対する一つの警告だったはずだ。でも制限が一旦緩和されると、社会は新型コロナ前よりももっと早いテンポで進もうとしているように感じる。

 技術革新によって、駆け足で走らなくてもよくなるような技術が出てこないものだろうか。生活のテンポを遅らせてくれるような技術がいい。

(2020年5月28日、まさお)

関連サイト:
市民は新しい技術についていけるか
デジタル化のいいところと悪いところ

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