不安が社会を変える

 ぼくは、これまで「地道な市民」のサイトで、社会が不安を抱いていることと、その不安をもたらしている要因について書いてきた。

 そこで問題になるのは、不安によって社会が今どうなっているか、社会がどう変わってきたかだと思う。ぼくは前回、以下のように書いた。

 現在取り残された市民に、社会と国家に対する不満と怒りが生まれている。不満と怒りは、既存社会を支えてきたエリート層やメディアにも向けられる。社会は分断され、不安になるばかりだ。その矛先は、どこにいくのか。

 社会から取り残された人たちの不安は、社会と国家に対する不満と怒りになる。また、孤独な気持ちをもたらす。

 そこに、簡単な説明や簡単な答えが見つかると、信じやすい。信じたくなる。

 自分が失業して社会から取り残されたのは、外国人のせいだ。あるいは、イスラム教徒や難民が悪いのだ。あるいは、政治や社会をリードしてきたエリートたちの責任となる。

 実際にはそうでなくても、それが真実のように思える。事実がどうかは、問題ではない。自分が納得できる、自分の気持ちが落ち着く方が大切なのだ。

 自分がこういう境遇に陥れた悪者がいる。自分が現在こうある、社会が今こうあるのは、奴らの責任だ。そう思うほうがわかりやすい。納得できる。気持ちも楽になる。

 そうではないと批判されても、信じることはできない。現実は、複雑でよくわからない。むしろ、それは事実はないとするメディアがおかしい。ウソつきに見える。メディア批判もはじまる。

 こうして極右派は、社会を簡単に扇動できる。社会は右傾化する。社会全体は、より不安になる。でもそう信じた当事者たちは、それでより安心するのだ。

 同じことが、新型コロナの対策に反対する人たちにもいえると思う。

 新型コロナで自由が規制され、自由に活動や、仕事もできなくなった。でも、自分には感染症状は起こらない。友人や知人も感染していない。新型コロナウイルスなんか、ないのではないか。新型コロナは目に見えないだけに、新型コロナの存在はまったく実感できない。

 そこに、新型コロナはない、ウソだと主張する人たちが出ている。となると、やっぱりそうだったかと信じやすくなる。ここでも、事実は関係ない。自分の信じやすいものがありがたい。それで、自分の不安が治る。それが、一番大切なのだ。

 それとともに、自分と同じ考えを持っている人たちがこんなにいると、自分のアイデンティも目覚めてくる。もう自分は一人ではない。こんなにたくさんの同士がいる。

 それが、新型コロナで陰謀論が信じられる論理ではないだろうか。社会が右傾化する構造と、とてもよく似ていると思う。

 それを扇動する人たちも、その構造はよくわかっているのだと思う。

 社会は不安の時、扇動されやすい。扇動されるのはごく少数だ。でも社会は、こうして変わっていくのだと思う。

(2020年9月10日、まさお)

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