地道な市民

喪失する社会

 これまで、格差の問題や中間層喪失の問題について書いてきた。それは、産業革命後に現代社会が産業化社会となっていることに深い関わりがあると思う。

 それはなぜか。

 産業化社会は、技術を基盤とした社会だからだ、技術はいずれ古くなり、新しい技術が生まれる。技術が常に革新されていくからだ。そうして古い経済体制が新しい技術をベースにした新しい経済体制に移転する。

 それが、オーストリアの経済学者シュンペンターが20世紀に入って提唱した「創造的破壊」ということだと思う。それが、資本主義において経済が発展する基盤である。経済は、こう新陳代謝して成長する。

 新しい技術が出てくると、古い技術は不要となる。古い技術を基盤に働いてきた労働者たちも不要となる。古い技術は失われ、労働者は失業する。こうした喪失のプロセスを繰り返しているのが、現代社会だと思う。

 喪失なくして、経済は成り立たない。社会も成り立たない。喪失後、すべての人がそのまま新しい技術に対応できるわけではない。技術の新陳代謝から取り残される人たちが必ず残される。

 その結果、負け組と勝ち組が生まれる。

 ぼくは、こうした喪失のプロセスは農業を中心とした社会にはまだなかったと思っている。農業は、人類が生きている限り必要なものだからだ。でも、ある技術が常に必要なわけではない。新しい技術が登場すると、古い技術は必要なくなる。

 だから、社会が産業化するとともに、喪失する社会が登場したといってもいいのだと思う。
 
 喪失する社会では、国家の役割は技術の新陳代謝についていけなくなった人たちを救済することにある。そのために、しっかりとした社会政策を行って、十分なセーフティネットを張り巡らせておくことが必要になる。

 でも、国家はそれとともに巨大化する。しかし、社会政策のために巨大化した国家は、経済の重荷になる。経済が優先されるにつれ、巨大化国家は効率が悪いとされる。経済の都合のいいように、小さな国家が求められ、社会政策が縮小される。社会は効率だけを求め、社会がリベラル化される。

 その結果、社会から取り残される人たちが増える。取り残された人たちは、社会に不満を持つ。社会が割れ、不安定になる。

 社会が不安定になるのは、経済活動にとっても不利なはずだ。そのバランスをどう取るのか。あるいは、まだ資本主義において適切なバランスを維持するチャンスがあるのか。

 それが問題だ。

(2020年7月16日、まさお)

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