市民から村民へ

 ぼくは前回、市民が中心となる社会においては、政治が地方分権化され、経済も地方に分散されることが必要だと書いた。地方分権化によって、政治権限が地方に移転される。経済の分散化では、産業の生産拠点が集中型の大きな施設から分散、小型化される。それによって、市民が政治や経済権力と対等なる環境がつくられる。

 たとえばドイツでは、米国の大手飲料メーカのコカコーラは、飲料の瓶詰め工場を小型化して、各地に分散させている。その結果、ペットボトルを使い捨てのワンウェーボトルではなく、空のボトルを回収して洗浄し、何回も使えるリターナブルボトルを使いやすい構造が構築されている。大手メーカでも、地産地消が実現されているといってもいい。

 分権化型社会、分散型社会といっても、統一された社会造りがあるわけではない。地域毎に条件が異なるからだ。地域毎に適切な方法を選ぶしかない。

 いい方を変えれば、地域密着型の社会造りをするということでもある。地方ぞれぞれの生活のいいところをより取り入れる。地方文化の再発見も求められる。地域と一体化したのどかで、ゆとりのある生活を実現する。同時に、家族の重要さが再認識され、こどもと家族が優先され、家族とこどもにやさしい社会が造られる。

 それは、社会の高齢化対策ともなる。

 社会の高齢化に向けては、高齢者の経験と知恵、知見が社会の貴重な財産であることを認識する。それを生かさないのは、貴重な財産を捨てるのに等しい。高齢者の財産を次世代に引き継ぐため、若い世代と高齢世代がともに協力していく社会造りも求められる。

 高齢世代は、若い世代が日中働いている間、小さなこどもの面倒を見ることができる。若い世代は高齢者の世帯のために、買い物や家庭内で必要な作業を手伝うことができる。そうして、若い世代と高齢世代が共生できる多世代型社会を築き上げる。

 そうなると、既存の社会構造はもう成り立たなくなる。社会が市民のニーズの応じて、マルチ構造化するのは間違いない。それが、市民中心の社会といえる。

 市民中心の社会では、個人の生活が公益と両立する。経済も環境保護と両立する。それが新しい市民中心社会の社会基盤となる。それに伴って地方の魅力が増し、地方が生き生きする社会構造、経済構造へと変わっていく。

 これは、都市型社会から地方型社会、田舎型社会へと移行することも意味する。これまで自然保護は、自然と経済域を分離、隔離することで行われてきた。社会造りも、都市型社会と地方型社会を分離して進められてきた。

 それでは、自然と経済、都市と地方は両立しない。社会は分断するだけだ。都市に住む市民と、地方に暮らす市民、いや村民といったほうがいいと思うが、共生しなければならない。そのためには、都市の市民も村民になっていく必要がある。

 これは、都市の市民が地方の村に引っ越したほうがいいということではない。

 都市の市民が田舎の村民と連帯できる社会を造るということだ。すでに連帯農業といわれる仕組みがあるように、都市の市民が地方の農業を支援する仕組みを造る。たとえば、都市の市民が農作業が忙しい時に手伝いに行く代わりに、都市の市民には収穫した農産物が配給される。

 そういう枠組みがあれば、都市と地方が共生し、分断は縮小される。さらに都市の市民は自然に接し、自然を愛する心を取り戻すことができる。

 そうして、都市と地方、自然と経済が両立し、都市の市民が村民になる。

(2021年12月09日、まさお)

関連記事:
地方分権化する
トップダウン型社会からボトムアップ型社会へ
社会を変えるのは市民だ

関連サイト:
ドイツで連帯農業、有機農業をビジネス化している事例:Ökodorf Brodowin(ドイツ語)

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.