ぼくが体調を崩したわけ
昨年2022年は、ベルリンで後見人をしていた友人の在宅緩和ケアから友人の死と後片付けにはじまった。それが概ね片付いたかと思ったら、母が余命幾許もないと宣告される。喪服を持って帰国した。
ところが母が持ち直して、日本に2カ月も滞在することになる。そんなに長く日本に滞在するつもりではなかった。そんな準備はまったくしていなかった。
それまで日本に一時帰国しても、せいぜい2週間しか日本に滞在したことがない。その時も、実家にはせいぜい数日しかいたことがない。それが、2カ月も実家に滞在することになった。
ドイツにきて37年になるが、それはぼくにとって、はじめての体験だった。
地方では、車がないと移動できない。それではいつも、弟の車で移動しなければならなくなる。それは、いつも弟に依存することになる。それは、困ると思った。
幸いベルリンではよく歩いていたので、歩くことに問題はない。だから何かにつけ、自分で歩いて移動した。母の面会に行く時も歩いたり、行きだけ弟の車で一緒にいって、帰りは一人で歩いて帰ったりした。そうして、その途中で自分で買い物をした。その時はよく、リュックサックを持って歩いた。
ジョギンングの用意もしていかなかったので、ジョギングもできない。それに代わり、実家の近所を散歩した。駅に行く時も、いつも歩いた。
そうして、ベルリンでの生活習慣をできるだけ維持するように心掛け、自分の生活が家族に依存しないようにした。しかし日本の地方の生活では、それにも限界があった。
実家で仕事をするにも、自分の机がないのは不自由だった。
それから、実家ではほとんどいつもテレビがついたままになっていた。それは、日本の家庭ではよくあることだ。テレビが消えているのは、ぼくが一人で実家にいる時だけだった。
こうした生活環境の変化によって、ストレスが溜まっていったのだと思う。
そのうちに、実家から離れると、急に吐き気がするようになった。日本にいる時はまだ、それほどでもなかった。ベルリンに戻ってからのほうが、体調がより変になった。元のベルリンでの生活に戻るのにも時間がかかる。
ベルリンでは天候不順で、ジョギングもなかなかできなかった。
そのうちに、吐き気ばかりか、めまいや心臓の具合もおかしいと感じるようになる。首筋と背中が凝って痛くなる。急に血圧と脈拍が高くなることもあった。そのうちに、手と足に痺れが出るようになった。
心配したのは、これらの症状が心筋梗塞の前兆とよく似ていることだ。父が30代後半で心筋梗塞で亡くなっているだけに、心配になった。困ったなあと思った。夜中に心臓が変に感じるので、起きて血圧を測った時もある。寝る前に調子がよくないので、寝ないで様子を見ていたこともある。
そのうちに、ジョギングがまたできるようになった。ぼくはジョギングした後に、よく呼吸法をしている。それで、からだの調子がよくなるのを感じはじめていた。
ただやはり、心筋梗塞がとても気になる。かといって医師に診察してもらっても、原因がわからないで終わるだろうと思った。それで、日本の鍼灸の先生に相談してみる。先生は、それは自律神経失調症ではないかといった。それなら、呼吸法で治るといわれた。
ぼくは呼吸法に加えて、自律神経の副交感神経のつぼも定期的に押すようにした。そのつぼは、手の指の爪の下側の両側にある。薬指のつぼは交感神経を刺激し、それ以外の指のつぼは副交感神経を刺激する。これまでも時々押していたが、今はジョギングをした後には、必ず副交感神経のつぼを押すようにしている。
そのうちに、だいたいの症状はなくなった。今は、吐き気だけがまだ残っている。その吐き気も、前のようにそんなに強いものではない。
ああ、よかった。今は、やれやれと思っている。
2023年2月21日、まさお
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