母はなぜ、元気を取り戻したのか

 母に肺がんの疑いがあるといわれたのは、2019年春だったろうか。母は高齢な上、これまで何回も大病を経験。身体障害も残っている。体力もなくなってきており、介護も必要になっていた。がんの疑いがあるとわかった時、手術や抗がん剤でがん治療するで体力はないと判断していた。がん治療で体力を失うよりは、体力を温存するほうが、生活の質(QOL)を維持でき、長生きできると思った。だから、がんを確定するのに必要な組織を摂取する生検さえもしなかった。

 それでも地元の大学病院で、定期的に経過観察してもらうことができた。昨年2022年9月の検診でも、「がんは大きくなっていない、胸水も増えていない」といわれたばかりだった。

 ところがその数週間後に発熱。最初はコロナに感染かと疑われ、近くの医院で診察してもらうのもたいへんだった。コロナに感染していないことがわかり、自宅近くの病院の検査で胸水が急に増えていると判明した。すぐに1リットルの胸水が抜かれた。

 その病院には、呼吸器科の医師が常勤していない。そのため入院して数日後に、経過観察をしてもらっている大学病院に転院して精密検査することが決まった。

 大学病院では、胸水の検査によってはじめて、肺がんの確定診断が可能となる。胸水の細胞から肺がんの細胞が見つかれば、肺がんが確定する。

 検査の結果、肺腺がんと診断された。最初に発生した原発巣は肺がんで、肺腺がんはそこから転移したものだといわれた。胸水は、がん性の胸膜炎によって急に増えたものだとわかった。

 問題は、胸水が溜まったことによる息苦しさと、がんの炎症からくる貧血だった。まず検査の結果が出るまで、酸素吸入が行われていた。貧血に対しては、輸血はしない。その副作用のほうが問題だからだ。胸水の原因である炎症を抑えるため、抗生物質が点滴されていた。胸水が増えた原因が、感染症である可能性もあるからだ。

 検査では、がん細胞の遺伝子変異の有無も検査された。結果は陰性だった。これは、副作用がそれほどでもないが、遺伝子治療は意味がないということだった。

 ぼくはがんの疑いがあるといわれた時から、治療しないのが一番だと思っていた。心配なのは、がんが進行して息苦しくなったり、脊椎に転移して激痛を感じるようになって母が苦しむことだった。たとえ治療することを選択しても、後で同じように後悔したと思う。苦しい治療で体力を失う。それで生活の質を維持して、延命できる保証はまったくない。いずれにせよ、治療はしないと決断するのは、苦渋の選択だった。

 一番心配したのは、胸水だ。胸水が増えるとまずい。容態が急変して、かなり危ない状態になる。ただいずれ胸水が増える時がくるだろうとは、覚悟していた。胸水が急速に増えたと連絡があった時、とうとう看取りにいく時がきたかと思った。ただ検査結果が出るまで、待とうと思った。

 その間弟から、母の写真が送られてきた。母はもう、かなり痩せこけていた。これでは、かなり厳しいなあと感じていた。

 主治医から検査結果が説明される時、医師の許可を得て、ドイツ・ベルリンからオンラインでビデオ通話させてもらうことにした。がん細胞の遺伝子変異がないことで、すべての治療方法はなくなった。ただ遺伝子変異があったとしても、遺伝子治療をさせていたかどうかというと、多分させていなかったと思う。

 後は、苦しさと痛さを和らげるために緩和ケアするしかない。主治医はすぐにモルヒネを飲ませるがいいかという。それによって、息苦しさは感じなくなる。ただ便秘など副作用があるので、それは薬で対応すると説明された。それで酸素吸入は、必要なくなった。

 ぼくが医師に「年越せますか」というと、医師は慎重に「数週間か、数カ月だろう」といった。すでに緩和ケアでいくことは決めていたが、そういわれてみると、くる時がきたかと再認識した。

 ぼくは医師に、「たくさん薬を飲んでいるので、これから特に必要ない薬はもう止めてほしい」といった。すると医師はすこし考えて、「自分もそのほうがいいと思います」といった。その後に、「点滴も止めますが、いいか」と聞かれた。

 その時、義理の母がもう点滴できないのでやめるといわれ、その後に食欲が回復して元気になったことがあることが、ぼくの頭をよぎった。しかしそれほどしっかり考えないで、「やめてください」といった。ぼくは後で、しっかり考えないまま承諾してしまったことを後悔した。母の命を短くしてしまったのではないか、と悔やんだ。

 その後、母が地元の病院の緩和ケア病棟に転院するのを待って帰国した。緩和ケア病棟で見た母はもうかなり、痩せこけていた。元気もなく、もう長くないことに混乱しているようだった。

 しかしそれから、食欲がもどるようになる。面会毎にいろいろ差し入れをすると、よく食べるようになった。

 緩和ケア病棟の主治医は胸水対策として、ごく微量のステロイドを使いはじめる。モルヒネは大学病院と同じ量で、最低の量だった。ステロイドを使う必要はあるかと疑問に思った。ただステロイドは弟の希望でもあったので、それにはなにもいわなかった。

 ステロイドは最初に効果があるが、1カ月もすると効果が薄れ、逆に容態が悪化するとも聞いていた。しかし1カ月経っても、容態は悪くならない。それどころが、母はますます食欲旺盛になり、元気になっていった。主治医に「これだとデーサービスにも行けますかね」と聞いたら、問題ないといわれた。むしろ主治医とは顔を合わせる毎に、母の元気さに「どうしたのでしょうかね」といっていたくらいだった。

 主治医は、点滴をやめたことで胸水が止まるか、減るのは当然だといった。さらに食欲が戻ると、胸水は減るものだともいった。

 主治医の説明からすると、点滴をやめ、体内に入る水分が減ったと同時に、食欲が回復したことが母を元気にさせたているのではないかと思う。

 それに加えモルヒネによって、母はこれまで股関節(人工関節)や脊椎(一箇所で陥没)に感じていたしつこい痛さを感じなくなっている。それが、母の生活の質を維持するどころか、改善している。

 そういう要因が重なって、母の免疫性が回復し、強くなっているのではないか。それが容態を安定させているどこから、改善させている要因ではないかと思う。

 もちろん今も、母の容態にはいろいろ問題が発生している。微熱が出たり、転んで頭や腰を打つこともあった。息苦しさを体験した不安から、ちょっとしたことにでもすぐに不安になっている。

 ただこれらの症状は、胸水が増えたことに比べると、大した問題ではない。今月2月の往診では、弟によると、訪問医はモルヒネをも処方しなくなったという。昨年12月に最初の往診があった時にも、そういう話があった。ただその時はぼくがまだいたので、それによって他の痛さが戻ってくる心配があるので、もう少し様子をみてほしいといってあった。

 モルヒネを止めて、母の容態がどうなるのか。今後の変化を注意深く見るしかない。

2023年2月14日、まさお

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