ベルリンは貧しいけど、セクシー
こう発言したのは、当時のベルリン市長(正式には州首相)のクラウス・ヴォーヴェライト(社会民主党)さんだった。2003年11月のことだ。
市長は市長に選出される前の党大会で、自分が同性愛者であることを告白。その時、「それもいいよね」とも発言して、物議をかもし出した。ドイツの政治家で、同性愛を暴露したはじめての政治家だったはずだ。
それ以上に注目され、長い間語り続けられているのが、この「ベルリンは貧しいけど、セクシー」ではないか。あれからもう、20年以上も経った。ヴォーヴェライトさんの後、市長が3人就任しているが、ベルリンはセクシーであり続けているだろうか。
ベルリンではセクシーな地区とセクシーでない地区の格差がどんどん広がっていると、ぼくは感じる。セクシーな地区には若者が集まるし、ベルリンに移ってくる人も多い。それに対してセクシーでない地区は、時代の変化から取り残され、住民の高齢化も進んでいる。
ヴォーヴェライトさんが市長だった時は、ベルリンがちょうどセクシー度を増していく時だったと思う。東西ドイツ統一で、統一ドイツの首都となったベルリン。しかしドイツ分割時代の負担は重かった。分割されていたベルリンを統合して再開発するため、ベルリンは莫大な借金を抱えていく。
同時に、ベルリン分割時代の地方都市的な気質から、統一とともにベルリンは一度に大都市になる。しかし都市の器は大きくなっても、市民の心理が大都市化するには、もっともっと時間がかかる。大都市への変化によるフラストレーションから解放されようとする時に、市長になったのがヴォーヴェライトさんではないかと思う。
ヴォーヴェライトさんの市長時代、ベルリンはヨーロッパにおいても、若者文化とモダンアート、若者モードの街として注目されるようになる。ドイツのスタートアップ(起業家)の拠点としても成長していった。


(ベルリンのフリードリヒ通りでは自動車を閉め出し、会話の街造りをしようとしたが、今は道路上にあったすべてのものが撤去され、自動車がひっきりなしにわが物顔で走っている)
しかし当時の勢いは、もうない。ベルリンは伝統的に建築的にもおもしろい街だったが、新しく注目されるような建築はもうない。セクシーな地区は益々セクシーになっていくが、セクシーでない地区は時代の流れから遅れ、益々セクシーでなくなる。
この違いには、政治的な背景もはっきり現れている。セクシーでない地区は保守的で、変化を嫌う傾向が強い。それに対し、政治的には中道左派で、環境保護指向が強く、ジェンダー意識の高い地区では、社会がセクシーになり、セクシーな街造りが進んでいる。『再エネとジェンダーはセクシー』という感じが、はっきりしてきたように思う。
現在のベルリン市長は保守系のカイ・ヴェグナーさん(キリスト教民主同盟)。ヴェグナーさんはベルリン市政府の女性大臣との付き合いを公表するなどセクシーな面も持ち合わせているものの、政治はセクシーでなく、保守。自動車を閉め出すなどしてセクシーな街造りをしてきた地区も元に戻され、自動車中心の『昔の街』に戻っているところもある。ベルリンがこれから、どういう街造りをしたいのかも感じなくなった。
ベルリンは住んでみて面白さのわかる街だったが、このままではベルリンのおもしろさはどこにいくのかなあ。でもそのおもしろさがなく、静かでセクシーでない街に戻ったほうがいいと思う市民がいるのも確かだ。ただこのままではセクシーかどうかで格差が広がって、街が分裂するよなあ。
どっちがいいのか。
2024年4月19日、まさお
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関連サイト:
ベルリンの公式サイト(ドイツ語)