国民を信頼するのか、しないのか

 日本では、ドイツでフリーランサーや個人事業主に5000ユーロ(約55万円)ないし9000ユーロ(約100万円)の補助が給付されたことが報道されていると思います。

 ぼくの知人や友人の中にも、補助金を受給した人がいます。フリーのアーティストや通訳として活動している友人は、5000ユーロもらいました。理容室と時計店を経営している知人は、9000ユーロ受け取りました。

 これは、当座3カ月の収入を補填する形で給付されたものです。

 補助金の給付は、ぼくが聞いた限り、以下のような手順で行われています。
・申請はすべてオンラインでできる。その順番を待つのに時間がかかる
・審査はほんどなく、自己申告の形となっている
・申請すると、ほとんど24時間以内に補助金が口座に入金している

 日本では、審査もなく、自己申告で補助金を支払うのは信じられないことだと思います。ただ緊急を要しているのだから、できるだけ早く補助金を支給しないと、仕事を続けていくどころか、生活もできない人が出てくる可能性があります。

 その緊急性を政治が理解したのだと思います。

 もう一つとても重要な点があります。それは、政治が申請する国民を信頼していることです。違法に申請する人がいてもいい。それは、後で審査して返金させればいい。とにかく緊急を要するので、政治は国民を信頼して、国民をすぐに救済しよう。そう意思表示したことです。

 これは、日本の政治では考えられないことだと思います。日本社会は、政治も経済も教育も、すべてが権威主義的です。トップダウン型で、上からいうことに国民を従わせます。

 それは根底に、国民は信頼できないという思いがあるからです。

 だから、社会を上から規制して管理したほうが、いい国造りができると考えます。その結果、国民からの批判は認めない、国民の自律性を認めない、国民を信頼しないということが当然のように起こります。

 これは、日本社会のどこにでも見ることのできる現象だと思います。それが、日本社会を画一的にし、多様性のない社会にさせています。

 社会が多様性のないものになると、社会はちょっとしたことが起こっても、それに社会が影響されやすくなります。弱い社会だということです。むしろ多様性があったほうが、社会には忍耐があり、耐久性があります。たとえば森は害虫対策として、いろいろな種類の樹木で構成させます。そのほうが、森が害虫の被害を受けないからです。

 社会では、国民を信頼して自律性を持たせたほうが、社会は活性化して、自主的に正常化します。そのほうが、社会は持続性を持ちます。ウィンウィン状態になるともいえると思います。

 ただ権威主義的な社会では、それができません。権威を持つと、その権威を守るために国民を管理して従わせようさせます。国民に対する不信が生まれ、国民を信頼できなくなります。だから、国民の力をうまく利用することもできません。

 教育においても、自分で考えて自律する若者を育てません。従順な人材を育てることが教育の基本になりまます。

 ドイツでは、教育は考えさせる能力を身につけるために行います。政治教育センターという組織をつくって、政治教育、民主主義教育、歴史教育を進めます。これも、自律して自分で考える人材を育成するためです。

 こうして、国が信頼できる国民を育成し、国民を信頼します。このほうが、国としてウィンウィン状態が生まれやすくなります。

 そういう考え方が、日本でも生まれてほしいと思います。

(2020年5月02日、まさお)

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