コロナ禍における文化

 コロナ禍でロックダウンになると、自分のカレンダーに予定が少なくなっていくのがわかります。増えるのは、在宅でオンラインでできることばかり。むしろ、それに振り回されたりします。

 これまでコロナ禍で感じたことを3回に渡って書いてきました。そこでつくづく感じたのは、ぼくたちの生活が以下に仕事と消費に占領されているかということです。これは、日常の生活がいかに資本主義に支配されているかということでもあります。

 生活どころか、教育や男女同権の問題までもが資本主義に支配されていたのは、前回書いた通りです。

 コロナ禍でもう一つ、えっと思ったことがあります。

 それは、文化生活が機能しなくなることです。文化自体が商業化して、資本主義の論理で成り立っているからだと思います。だからコロナ禍で、他と同じように影響を受けます。

 ぼくは資本主義がコロナ禍で成り立たないのは、社会生活に浸透した商業化の構造にあると思います。コロナ禍においてもその構造に縛られるので、コロナ禍では柔軟に対応できず、機能しません。

 でも、商業化されていない文化もあるはずです。それも、コロナの影響をまともに受けてしまうのはなぜなのか。ぼくは、疑問に思いました。

 そこで気づいたのは、文化は元々人との接触を基盤にしているからかということです。文化は、人なくしてありえません。だから人との接触が制限されると、文化自体が成り立たないのかと思いました。

 商業化されていない文化なら、構造化されていないはずです。構造化されていなければ、コロナ禍で人との接触が制限されても、柔軟に対応できるのではないだろうか。ぼくはそう思いました。

 たとえばぼくの友人は、グループでクラウン劇のようなことをして、老人ホームで生活する高齢者を慰問しています。コロナ禍では、老人ホームを訪問できなくなりました。

 でも施設の中に入らなくても、クラウン劇は建物の外でもできます。施設に入居している高齢者は、自分の部屋の窓から外で演じられるクラウン劇を楽しむことができるようになりました。

 それもいずれ、できなくなります。次は、検査を受けることで施設を訪問。友人はこうしていろいろと柔軟に対応しながら、クラウン劇を続ける方法を探っています。

 春のロックダウンでは、音楽家たちが自宅のバルコニーなどで、歌ったり、楽器を演奏したりして、近所の人たちに聞いてもらっていました。オランインで世界中の音楽家が一緒に、演奏したり、歌ったり、あるいはバレリーナたちが踊っていました。それは、演奏したい、音楽をしたいという強い思いがあったからできたのだと思います。

 これは、商業化された構造の枠組みの外で行われました。だから、可能になったのだと思います。それによって商業化する新しい可能性を生み出せれば、生活も成り立ちます。

 学生たちが、コロナ禍で買い物に出たくない高齢者のために、買い物をして食料品などを届けました。これも、商業化の枠外だからできるのだと思います。

 そうでないと、オンランインや電話で注文し、お金を出して届けてもらわないといけません。これだと、商業サービスになります。ぼくはここで、商業サービスに頼るのではなく、社会において連帯する方法を考えた学生たちの活動は、一つの社会の文化だと捉えるべきだと思います。

 資本主義の下では人は、何らかの形でお金を稼いで生きていかなければなりません。それが、商業化という資本主義の構造をつくってきたのでした。コロナ禍で打撃を受けているのは、その商業化の構造であって、文化そのものではありません。

 その点を誤解してはならないと思います。コロナ禍においてそれがより明らかになったと、ぼくは思います。そして社会は、いかなる状況においても文化を必要とします。

 この体験からぼくたちは次に、学ぶべきことがあると思います。それは、コロナ禍のようなパンデミックの影響下にあっても、文化をどう成り立たせることができるのか。さらにその状況下でも、どうすれば文化を提供する人たちが生活の糧を得ていくことができるのかです。

 それは、政治の問題でもあります。でもぼくは、社会全体で考えるべきことだと思います。コロナがぼくたちに、文化のために新しい課題をもたらしました。

(2020年12月25日、まさお) 

関連記事:
コロナ禍で揺らぐ同権と平等
コロナ禍で得た自由
自分でパンを焼く
これから何に投資するのか(1)/頭を切り替える

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.