社会は、単純化されたことばに支配されていないか

 米国トランプ大統領がまもなく退任します。トランプ大統領といえば、ツイッターで事実でない誤情報を拡散しまくった大統領というレッテルをはっていいと思います。

 大統領は、支持者による米国議事堂の乱入事件でツイッターのアカウントを消されてしまいました。現在、こどばの力で扇動する手段を失っています。でもいずれ、新しいプラットフォームによって扇動を再開するのは違いありません。

 トランプ大統領のことばの使い方には、2つの重要な原則があるように思います。一つは、「アメリカファースト」や「大統領選挙結果はウソ」などとても単純で、わかりやすいことばを使うということ。もう一つは、その単純でわかりやすいことばを何回も何回も繰り返して、ツイッターなどで使い続けることです。

 これは、「刷り込み」の論理だと思います。そこでは、事実である必要はありません。重要なのは、感情に訴えて考えさせないこと。その繰り返しによって、それを事実だと思い込ませます。その結果、短い時間でそれが事実だと信じさせてしまう学習効果を生み出します。

 だから、それは事実ではないといわれてもかまいません。脳の中では、それが事実だと埋め込まれてしまっています。論理正しく事実でないことを証明しても、意味がありません。

 もう一つトランプ現象に見られるのは、それが事実でないことを見抜けないのではなく、事実であるかないかに関係なく、社会が発信された情報を事実として受け入れたがっていることです。自分の感情と屁理屈にさえ合えば、実際には事実でなくても、事実なのです。そう思う人が増えているともいえます。

 論理が単純であればあるほどいいのです。この現実が、刷り込みによる学習効果と相乗効果をもたらしていると思います。

 新型コロナ対策の反対派には、陰謀論者が多くいます。その陰謀論が広がるのもほぼ同じ論理だと思います。陰謀論が事実である必要はありません。刷り込んでしまえばいいのです。新型コロナ反対派がトランプ大統領やプーチン大統領などの権威主義的な権力者を支持するのも、その根底に単純な論理で刷り込もうとする権力者を信用したくなる気質とあこがれがあると思います。

 そのほうが、自分で考えなくてよく、権力者を信じればいいので楽なのだと思います。

ハヤカワ文庫のジョージ・オーウェルの小説『1984年』

 ここで、思い出すのがジョージ・オーウェルの小説『1984年』です。『1984年』自体は、共産主義による一党独裁社会に反対するものでした。それは、トランプ大統領がもたらした社会現象とは違うと批判されるかもしれません。

 でもトランプ大統領就任後に、小説の古典といってもいいジョージ・オーウェルの小説『1984年』が再び読まれ、ベストセラーになったと聞きます。トランプ現象の不思議さと背景に対する答えをオーウェルの小説の中に見出そうとした人たちが多くいたのだと思います。

 ぼくがトランプ現象で『1984年』に関心を持つのは、『1984年』に描かれた社会の構造ではありません。むしろ、その手段です。特に、ニュースピーク(新語法)とダブルシンク(二重思考)、ダブルスピーク(二重語法)と呼ばれることばに関する手法です。

 ニュースピークでは、使っていいことばを制限して語彙をできるだけ少なくします。名詞と動詞の区別や、形容詞、反対語の区別なども簡素化し、思考経路を自動化してしまいます。それは、思考の単純化と反政府的なことばの排除を目的とします。略語を増やすことで、本来のことばの意味もわからなくします。

 ダブルシンクは、矛盾した2つの事柄を同時に受け入れることをいいます。事柄は、信念や認識といってもいいと思います。これは、2+2=4だが、2+2=5あるいは3ともなりうると信じさせることを意味します。こうして、権力者(党)がいったことが事実ではなくても、正しいと信じるように思う思考経路をつくります。自分でそれが間違いではないかと気づいても、ダブルシンクでは、それは正しいのだと自己統制させるといってもいいと思います。

 ダブルスピークとは、2つの矛盾したことを同時に表現することをいいます。『1984年』では、「平和省」は平和のために永遠に戦争を行います。「真理省」は、歴史を都合のいいように修正したり、言論の自由を曲げて権力者のいうことが正しい状態をつくります。「愛情省」は、権力者(ビックブラザー)への愛が自分の良心よりも優ると信じ込むように統制、洗脳します。

 こうして『1984年』では、ことばで市民を権力者の思うように洗脳し、支配します。

 この3つのことが、トランプ大統領の刷り込み効果にも反映されていると思えてなりません。それを実現可能にしたのが、ツイッターなどのSNSであったわけです。オーウェルが『1984年』を書いた時には、もちろんSNSはありませんでした。オーウェルは、SNSのようなものができることもまったく想像できなかったと思います。でもSNSによって、オーウェルの描いたような統制社会が可能になり、トランプ現象が生まれたのだと思います。

 SNSは短い文章で書くので、ことばの単純化を求めます。「いいね」に見られるように、感情の簡素化も促します。その場で、目先のことしか考えさせません。過去を振り返ったり、将来についてまで考えを巡らすことを排除しようともします。

 SNSには、こうした単純思考化を進める面があります。人と会って話すなど社会的コンタクトなしに、ことばだけが先走りします。実際の社会的コンタクトによって、ぼくたちはたくさんの人がいることや、たくさんの人がいれば、たくさんの意見があることを学びます。でもSNSには、その可能性がまったく欠けています。SNSでは、反対の意見を持つ人から徹底的に中傷されるか、同じ意見を持つ人たちとしかコミュケーションしません。

 だから、異なる意見を持っている人たちとのコミュケーションが生まれません。異なる意見を持っている人たちを排除するだけで、妥協することも学びません。

 こうしたSNSの特徴が、今社会を支配しています。そしてそれが、トランプ大統領の刷り込みの思惑とうまくマッチして、トランプ現象を加速させました。

 ぼくは、だからSNSはよくないというつもりはありません。SNSにはSNSのいいところがあります。たとえば、知らない人たちとのネットワークが簡単に生まれます。SNSには、いいところもあれば、悪いところもあるということです。

 それにも関わらず、SNSは悪いとだけいったり、あるいはすばらしいとだけいったら、それはオーウェルのいうダブルシンクになります。欠点を認識しながら、いいとしかいわない。あるいは、いいところがあるのがわかっていながら、悪いとしかいわないことになります。

 悪いところに注意しながらも、いいところをうまく使う。それは、試行錯誤のプロセスでもあると思います。自分で考えて使います。それが、トランプ現象や『1984年』の世界に陥らない道でもあると思います。

(2021年1月15日、まさお)

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関連サイト:
ウィキペディアによる小説『1984年』の解説
ベルリン@対話工房のツイッター

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