ソーシャルメディアに左右される社会

 フェイスブックやツィッターなどのSNSを中心に、ソーシャルメディアが社会生活においてなくてはならないものになっている。書き込みしないと不安になるとか、返信がないと不安になるなど、中毒的な症状を持っている人たちも増えているはずだ。

 ソーシャルメディアの「いいね」についても、「いいね」がほしいという欲求が強くなったり、「いいね」がないと不機嫌になるなど、「いいね」症候群も心配だ。

 「いいね」の反対は、「ダメね」だ。ということは、「いいね」がないと、ダメなのかと、単純な白か黒かの思考が広がるのも心配だ。すでに書いたことがあるが、この「いいね」が、何ごとに対しても感情的に判断させていないだろうか。

 「いいね」する前に、ちょっと考えてみてほしい。

 ソーシャルメディアによって、ヘートスピーチやフェークニュースを簡単に拡散させることができる。これは、たいへん大きな問題だ。

 ソーシャルメディアでは、言論の自由、表現の自由も保証されなければならない。それは、確かにそうだ。

 ただソーシャルメディアの投稿は個人的なものなので、プロのメディアの情報と異なって、第三者が真偽をチェックして公開されているわけではない。だから真偽が管理されないまま、ヘートスピーチやフェークニュースが簡単に広がり、信じられていく。

 一旦広がってしまうと、消しようがない。

 ヘートスピーチは、人の尊厳を簡単に傷つける。これは、絶対に許されてはならない。言論の自由、表現の自由とどちらが大切かと、人の尊厳と天秤にかけるのは間違いだ。言論の自由、表現の自由は、人の尊厳を傷つけないのを大前提にしなければならない。

 この点は、誤解してはならない。すべて(!)の人の尊厳を尊重することが、まず守られなければならない。

 ヘートスピーチも、フェースニュースも、どう監視しようが、すべてを監視することはできない。プロバイダーが如何にたくさんの人を使って監視しようが、ヘートスピーチやフェークニュースを完璧に排除することはできないのだ。

 ここでは、監視することの経済性の問題がある。プロバイダーがそれでは採算が合わないと思えば、本気では監視しない。それは、この問題に対するフェイスブックの対応を見てもわかると思う。

 それを、アルゴリズムを使って監視することができるのかどうか。ぼくには、判断できない。できるなら、もうできていていいのではないか。

 もう一つ大きな問題は、ソーシャルメディアでは同じ意見や好みを持った同胞化が進み、仲間意識が増長されることだ。そうでない者は、排除される。

 その結果、違った意見や好みがあることがわからなくなり、自分たちだけが正しいと思い込むようになる。

 そして、社会が分断される。それもたいへん怖い。

 これらソーシャルメディアの問題は、政治によってうまく利用される。それは、今の米国の状況を見ると、よくわかると思う。

 ただフェイスブックやツイッターによって、簡単に政治に影響が出るようでは困る。選挙結果も、それによって左右されてはならない。

 そうならないように対策を講じないと、ソーシャルメディアを使って権力を掌握する独裁者が出てきてもおかしくない。

(2019年11月07日、まさお)

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