プーチン大統領はNATOよりも民主化が怖い

 ロシアがウクライナに侵攻したのは、北大西洋条約機構(NATO)が拡大したからだといわれます。ゴルバチョフ元ソ連大統領がドイツ統一を認め、東ドイツがNATO傘下に入ることになった時、米英仏はNATOを拡大させないと約束したではないかと、よく批判されます。

 それなのにソ連崩壊後、ソ連が支配していたワルシャワ条約機構下の東欧諸国とソ連に属していたバルト3国がNATOに加盟しました。それは、約束違反でしょうか。

 プーチン大統領もよく、NATO拡大がウクライナ侵略を開始した理由だと発言しています。ぼくにはそれが、自分の行為を正当化するこじつけに写ってしようがありません。

 ワルシャワ条約機構は、NATOに対抗する目的でできたものです。お互いに集団防衛を基盤とし、両機構がお互いに抑止力になって、冷戦が成り立っていました。そしてソ連崩壊とともに、ワルシャワ条約機構が消滅します。

 NATOはその後も存続し、ロシアをNATOのパートナーとして平和を維持する枠組みがつくられようとします。それが最終的に、NATO・ロシア理事会になりました。理事会は、形式的にはNATOの最高決定機関でした。理事会の設置は2002年、プーチン大統領によって調印されています。NATO・ロシア理事会が機能しなくなったのは、ロシアによるジョージア侵攻(2008年)とクリミア半島併合(2014年)、ウクライナ侵略戦争(2022年)が背景にあります。プーチン大統領の暴力的な行為によって、両者の対話する場が失われたのです。

 ワルシャワ条約機構が消滅したと同時に、NATOも消滅させるべきだったという意見もあるかもしれません。しかし、国際テロの問題、まだ存在する核兵器など大量破壊兵器の不拡散は、国際政治において重要な課題です。そのためには、軍備を相互に管理して世界の平和を維持する枠組みが必要です。冷戦が終わっても、課題がたくさん残っています。それを野放しにしておくことはできません。

 ソ連崩壊後の国際情勢がどうなるかも、はっきりしませんでした。ソ連下のバルト3国やウクライナ、ジョージア(グルジア)、ベラルーシ、カザフスタンなどが独立し、バルト3国と東欧諸国が民主化されました。それに対し、ロシアではゴルバチョフが失脚し、ロシアは民主化されないままになりました。

 ソ連崩壊後の民主化されないロシアとロシアの政治的な混乱は、ワルシャワ条約機構下にあった国々にとり、大きな不安材料でした。

 この不安定な情勢において、民主化された国々がロシアの脅威から防衛する手段として、NATO加盟に走ったのは当然だったともいえます。特にバルト3国は、旧ソ連から独立後、自分たちの独自の社会と文化をとり戻したばかりでした。

 リトアニアの首都ヴィリニュスにいった時、ぼくはソ連国家保安員会(KGB)支部跡が博物館になっているというので見学しました。その時、リトアニア市民が旧ソ連とそのロシア化政策にとても大きな反感と憎悪を持っているのを感じました。ソ連の支配下にあったバルト3国が独立後、NATO加盟を望んだのがよく理解できました。

 それは、旧ソ連指導下にあった東欧諸国も同じだと思います。もちろん各国には、親ロシア市民もいます。しかしロシアとこれら諸国が根本的に異なるのは、民主国家かそうでないかです。民主国家と非民主国家のロシアの間には、同じ元ワルシャワ条約機構加盟国であっても、国境を維持しながら協調関係を継続する地盤はすでに失われています。

ロシアによるウクライナ侵略戦争1年後の2023年2月24日に、ドイツ連邦議会前に掲揚されたウクライナの国旗(真ん中)。その左はEU旗、右はドイツの国旗。

 その点で、民主化とNATO加盟は切り離すことのできない接点であるといえます。この点を見逃して、ロシアが侵攻するのはNATO拡大にあると、ロシアの侵攻をNATOや米国の責任にするのは正しくないといわなければなりません。

 2008年のジョージア(グルジア)侵攻と2014年のクリミア半島併合は、ジョージアとウクライナの民主化と切り離すことができません。ジョージアではバラ革命(2008年)があり、ウクライナではまずオレンジ革命(2004年)が、その後にマイダン革命(2014年)が起こっています。両国ではその後に、民主化政権が誕生しました。

 旧ソ連の支配下から独立した国々が民主化するのは、ロシア、特に独裁的なプーチン大統領(首相の時もあった)にとり、「強いロシア」を再建する上で大きな障害になります。プーチン大統領は、旧ソ連から独立した国を独立国家だとは思っていません。以前としてロシアの一部であり、いずれ併合しなければならないと思っています。

 民主化へと進むジョージアとウクライナは2008年に、NATO加盟を望みました。それは、ロシアのジョージア侵攻前のことでした。その時は、ロシアの反発を気にした独仏の反対で、両国は加盟候補国にはなりませんでした。「将来の加盟国」とだけ位置付けられます。

 プーチン大統領は独裁的で、国内の反体制派を監視して弾圧してきました。言論の自由や報道の自由も認めません。人権擁護ということばは、プーチン大統領にはありません。

 ぼくは、東ドイツという社会主義独裁体制下にあった国で暮らし、東ドイツの民主化を見てきました。その時の体験からいうと、独裁者にとって怖いのは、国内にリベラルな市民社会ができ、国家が民主化されることです。独裁者が権力を握り続けるには、それを弾圧して阻止しなければなりません。

 独裁者のプーチン大統領にとっても、国内にリベラルで、反体制的な市民社会ができ、ロシアが民主化されていくことが怖いのです。その芽はすぐに、つぶさなければなりません。それは、国内ばかりではありません。旧ソ連から独立した隣国が民主化されても困ります。隣国の民主化がロシア国内に影響を与えてはならないからです。

 民主化されたロシアは、プーチン大統領にとって「強いロシア」ではありません。プーチン大統領が「強いロシア」を実現するには、独裁的に暴力を使って国内を制圧するほか、旧ソ連の領土を回復しなければなりません。

 ぼくは、東ドイツという社会主義独裁体制下で見てきた体験から、プーチン大統領の行動をそう読みます。そしてそれが、ウクライナ侵略戦争の背景だと写ります。

 プーチン大統領がNATOの拡大をロシアによるウクライナ侵攻の理由だとするのは、その責任を米国とNATOに押し付けているにすぎません。

 ウクライナへの侵略戦争において戦争犯罪を犯しているのは、誰ですか。米国ですか、それともNATOですか。プーチン大統領以外の誰でもありません。それを第三者が、ロシアによる侵略は米国とNATOの責任だと主張していては、プーチン大統領の戦象犯罪を正当化するのと同じです。

 ウクライナ侵略戦争で米国やNATOを批判する人たちは、その事実をはっきり認識するべきです。

(2023年3月14日、まさお)

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関連サイト:
北大西洋条約機構(NATO)、日本外務省
北大西洋条約機構(コトバンク)

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