イエローケーキを搭載したドイツ潜水艦の目的地に行く

終戦を巡る原爆の謎

 広島県呉市というと、戦艦大和を思い出す人もいると思います。戦艦大和は、呉海軍工廠で建造されました。

 呉には当時、大日本帝国の海軍基地がありました。その後も現在、海上自衛隊の基地となっています。

海上自衛隊呉基地の潜水艦船橋には潜水艦が並んでいる

 呉基地は第二次世界大戦中、潜水艦の重要な基地であり、現在もそうなっています。呉には現在、海上自衛隊の第1潜水隊群と第1練習潜水隊、潜水艦教育訓練隊が駐屯しています。

「アレイからすこじま」から見える魚雷搭載用クレーン

 現在、当時の呉海軍工廠本部と兵器製造所の前は「アレイからすこじま」といわれ、細長い公園になっています。そこは日本で唯一、海上自衛隊の潜水艦を間近に見ることのできる場となっています。そこには、当時の魚雷搭載用クレーンのほか、倉庫群も当時の面影を残しています。

「アレイからすこじま」前に並ぶ倉庫群

 ぼくがこの地を訪れたのは、終戦間際の1945年4月にドイツのキール港からイエローケーキ(酸化ウラン)を搭載して日本に向かったドイツの潜水艦U234号が目指したのが、この呉基地だったと見られるからです。U234号はドイツが降伏したことから、日本に向かわず米軍に投降しました。

 しかしU234号が米軍や英軍の攻撃を逃れて日本にたどり着くことができれば、この呉基地にきていたのは間違いありません。

 ぼくはだから、U234号が目指した呉基地を見ておきたかったのです。

 呉基地は当時、遣独潜水艦作戦の基地でもありました。遣独潜水艦作戦とは、第二次世界大戦中にドイツと日本の間で、軍事技術(部品や図面等)や戦略物資、軍事技術に関わる人材を潜水艦で輸送するための作戦でした。

 1941年に独ソが開戦したことによって、シベリア鉄道を利用する陸地輸送が困難になりました。さらに日本が米国に開戦したことで、船舶による海上輸送もできなくなります。

 そこで考えられたのが、潜水艦輸送でした。1942年から5隻の潜水艦が日本からドイツに送られています。さらに同盟国のドイツとイタリアも、遣日潜水艦作戦を実施しました。

 潜水艦による輸送作戦については、次回にでも少し詳しく書こうかと思います。

戦艦大和が建造された呉海軍工廠跡は現在、造船会社ジャパン マリンユナイテッド呉工場となっており、戦艦大和建造当時のドッグの屋根が残っている

 呉駅を降りるとすぐに、この町が海軍の町なのがよくわかります。駅のすぐ近くに大和ミュージアム(呉市海事歴史博物館)があり、その近くには大きな潜水艦のモデルが設置されています。そこから少し海岸線に向かって歩くと、造船所が見えます。そこは今、造船会社ジャパン マリンユナイテッドの呉工場となっています。ここは、戦艦大和が建造された呉海軍工廠があったところで、当時のドッグの屋根が今も残っています。

 そのほかにも、海上自衛隊の施設があちこちにあり、戦中の海軍に関わる記念碑も目につきました。

(つづく)
 
(2023年12月08日、まさお)

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海上自衛隊潜水艦隊公式サイト

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