戦艦大和の主砲を削った超大型旋盤

終戦を巡る原爆の謎

呉駅のすぐ近くにある大和ミュージアムの横には、潜水艦が『停泊』している

 前回、イエローケーキ(酸化ウラン)を積んで日本に向かったドイツの潜水艦U234号は、日本海軍の呉基地を目指していたことを書きました。戦中日本は、ドイツから軍事技術を輸入するため、潜水艦で輸送する作戦を実行していました。それを遣独潜水艦作戦といいい、呉基地はその中心的な基地でした。

 その遣独潜水艦作戦について詳しく書く前に、戦艦大和のことを書いておきたいと思います。戦艦大和が呉海軍工廠で建造されたのは書きましたが、当時世界最大級といわれた大和の主砲(口径46センチ砲)は、当時ドイツから輸入された工作機械なしには加工できませんでした。

戦艦大和が建造された呉海軍工廠跡には、戦艦大和建造当時のドッグの屋根が残っている

 日本海軍は1938年に、ドイツのヴァグナー社からる超大型旋盤「15299機」2機を購入し、呉海軍工廠に設置されました。そのうちの1機が戦後も残っていました。

 呉駅を降りるとすぐに、駅のすぐ近くに大和ミュージアム(呉市海事歴史博物館)があります。ミュージアムは2005年のオープンしましたが、その時大和の主砲を削ったドイツの旋盤をミュージアムに展示してほしいとの声が強くありました。しかしその時旋盤はまだ、きしろ社の播磨工場で稼働していました(戦艦大和の主砲を削った超大型旋盤の写真(きしろグループ))。

 旋盤が任務を終えて『退役』したのに伴い、大和ミュージアムに寄贈する話が持ち上がります。旋盤は2022年11月、呉港に陸上げされ、翌年3月から大和ミュージアムにおいて展示されています。ミュージアムでは戦後80年となる2025年に向けて改装がはじまり、展示内容を改めるほか、2027年までに戦艦の兵器などをよく見学できるように、公開型の大型収納施設も設置する計画といいます。

 ドイツの技術は、戦艦大和だけではありません。その後も日本は、ドイツからいろいろな軍事技術を移転しようとしています。その史実の一つとしてここで、戦艦大和の事例を挙げました。日本にとって戦中ドイツがいかに、重要な存在だったかがわかると思います。

(つづく)
 
(2024年2月06日、まさお)

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関連サイト:
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大和ミュージアム公式サイト

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