情報の氾濫
デジタル化によって、誰でも情報を発信できる時代になった。情報は、生活のことや料理のこと、ペットのことなど身の周りのことから政治や環境問題までと、すべての分野にまたがっている。
情報は、主に個人の体験、意見、主張だ。挑発するようなものもある。
それは、メディアから発信される情報とは異なる。メディアから発信される情報は、個人のものではない。メディアという組織内において、何人もの目を通して信奉性などが検討される。
しかし、一般にネット上で発信される情報には、メディアにおけるようなチェック機能がない。だから、個人の思い込みの場合もある。意図的に情報を操作したものもある。
それが、フェイクニュースや歴史修正主義的なもの、ヘイトスピーチなどが簡単に発信される背景だ。
情報を受ける側は、それを受け取り、どう判断すべきなの。発信されている情報がすべて正しいとは限らないことはわかっている。でもたくさんの情報があるだけに、それに翻弄され、つい影響を受けてしまう。
たくさんの読者を獲得して、大きな影響を与える情報発信者は、「インフルエンサー」などと呼ばれる。インフルエンサーを利用して、商品の販売拡大を目論む企業もある。
「インフルエンサー」といういい方には、ぼくは人をばかにするのもいい加減にしろと思っている。他人に影響を与えることができると思って情報を発信するのは、思い上がりもいいところだ。
「インフルエンサー」ということばではなく、「ブロガー」や「ユーチューバー」などでいいではないか。
インフルエンサーが登場して大手を振って成功できるのは、デジタル化の社会問題だと思う。インフルエンサーが対極化するれば、支持する読者も対極化する。それは、社会を分断する巣となる。
情報の受け手にも問題がある。情報をたくさん持っていようがいまいが、命に影響はない。生活にも影響ない。それによって、人の評価が変わるわけでもない。
情報には、気軽なスタンスを持つことが大切ではないか。
情報氾濫の早いテンポに合わせる必要もない。発信される情報に翻弄されて影響を受ける前に、ちょっと立ち止まりたい。立ち止まって、自分で情報の内容について調べてみたい。そして、情報を信用していいか考えたい。
(2020年2月13日、まさお)
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