基本的な生活は保障されているか

 前回、国家の役割は何が起こってもいいように、予防措置を講じておくことだと書いた。予防といっても、とても範囲が広いと思う。

 前回書いたように、教育も実は予防だ。将来のために、人材育成に投資することになるからだ。住宅も含め、ライフラインを整備、提供するのも、予防に相当する。これは、インフラ整備だともいえる。インフラを整備して提供することは、社会がいつ何時でも機能するようにすることになるからだ。同時に、ライフラインでは経済性だけを追求しないで、平等性と公平さの下で社会に提供することが大切。それは、社会政策でもある。

 それが、セーフティネットの役割を果たす。それによって、誰に対しても基本的な生活が保障されなければならない。

 ライフラインとは何か。

 ぼくはすでに住宅をライフラインだとしたが、もちろん通常いわれているように、上下水道、電気、ガス、交通、電話も含めた通信などがライフラインとなる。

 これらすべてを、国家の下で公共化すべきだとまではいわない。ただ、最低限誰でも平等、公平に使えるように、国家が厳しく監督、管理すべきだ。現在そうなっているかというと、ちょっと疑問に思うところもある。

 そうして、誰に対しても何があっても基本的な生活を保障する。それが、今回のパンデミックなど危機的な状態になっても、社会に抵抗力をもたらすことになる。

 たとえば、ドイツの操業短縮制度(クルツアルバイト)。ドイツの操業短縮制度では、不景気で企業経営が悪化しても、労働者を解雇せずに、仕事をまったくしないか、労働時間を短縮した状態でも雇用を維持する。今回の新型コロナ禍でロックダウンとなった時、経済活動がほぼ停止状態になった。でもドイツでは、労働者は解雇されない。給与も、その80%が給付される(新型コロナ禍で、60%から80%に引き上げ)。給与は、失業保険制度の枠で保障される。

 この制度のいいところは、企業の経営状態が悪化しても労働者が解雇されことだ。景気が回復すると、被雇用者はすぐに職場に復帰できる。そのため企業は、新たに労働者を雇用する必要がない。企業のノウハウをそのまま維持して、すぐに活用できる。

 これも、予防措置だといっていい。企業と労働者に抵抗力をもたらしている。

 もう一つ社会に抵抗力をもたらす上で大切なのは、国家財政の健全化だと思う。そのためには、財政規律をしっかり維持して、赤字財政を続けないようにしなければならない。赤字を後の世代に残さない社会造りだともいえる。

 なぜ、国家財政が健全でないといけないのか。

 それは、コロナ禍のように経済活動が中断されるような危機的な事態になると、社会と経済を維持するために、莫大な財政出動が必要になるからだ。それができないと、社会に不安が蔓延し、社会が荒れる。

 莫大な財政出動をするためには、国家財政にそれだけの余裕がなければならない。今回のコロナ禍においても、各国の対応を見ると、財政規律がしっかしている国か、そうでない国かで、国家の対応に大きな差があったように思う。それは、国家財政に余裕があるかどうかに依存していると思う。

 でもそれによって、国家の負担が巨大化するとは思わない。むしろ、逆ではないか。国家が最低限のことを保障して予防するのだから、国家財政を縮小できるはずだ。

 むしろ国家は、余分なところにたくさんの補助を出して、社会に不公平をもたらさないようにしたほうがいい。基本的なところだけに集中する。そのほうが、社会は健全となる。

(2020年8月06日、まさお)

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