国家の役割がかわる
国家にとり、社会から取り残された人たちを支援して、社会復帰を促し、再び働いて自立して生活できるようにするのが重要な役割だ。しかし、それとともに国家の社会政策に対する負担が膨らみ、国家は巨大化せざるを得ない。
国家が巨大化すると、税収がいくらあっても不足する。国家は、産業化や技術革新、デジタル化を促進して、国際競争が激化する中で自国経済が成り立つようにしなければならない。だが国家には、そうするだけの予算が不足する。
経済界はそれでは国家の政策は効率が悪いとして、国家のスリム化を要求する。国家サービスが民間に移転される。それとともに、国家サービスはより経済的な効率を求められる。弱者は経済性から救済されずに取り残され、格差が拡大する。
こうして国家の自由主義化がはじまる。
国家は、競争社会において競争で負けた人たちを救済することができず、むしろ切り捨て社会を擁護する役割を果たす。
その結果、格差がより拡大し、社会に対する不満が増大する。
その国家の役割に大きな変化をもたらしたのが、2008年、2009年の金融危機だった。銀行が倒産して金融、経済に莫大な影響が出ないように、国家が借金をして銀行を救済しなければならなくなる。最後の火消し役といってもいいかと思う。
国家にさらに大きな変化をもたらしたのは、新型コロナによるパンデミックだ。国家は、感染の拡大を防止するため、基本的人権を制限しなければならなくなる。テロの拡大においても、国家は国をテロから守るため、防波堤にならなければならなくなる。監視も厳しくなる。
国家は、危機管理役に変わったのだ。それとともに国家の権力は拡大したのだろうか。
いや、ここで国家権力は拡大していないと思う。国家は、事態がより深刻にならないように防御しているにすぎない。国家は危機管理に追われ、弱者を救済する社会政策や技術革新、環境政策はより後手に回るようになる。
国家が危機管理において経済政策ばかりを優先させると、国家が危機管理に失敗する可能性が高い。そうなると、その影響は計りしれない。それは、新型コロナにおける米国を見ればよくわかると思う。
社会は、より混乱するばかりとなる。
となると、国家は今後、どうあるべきなのか。それが問題となる。
(2020年7月23日、まさお)
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