所有意識、資本主義、国家意識が変わる

 ドイツには、FプランとBプランというものがある。いずれも、自治体によって作成される。

 Fプランはドイツ語に直訳すると、「土地利用計画」となる。自治体全域において、土地毎にその土地が何の用途に利用されるか規定されている。農地と規定されていれば、土地は農地として利用しなければならない。

 Bプランはドイツ語に直訳すると、「建設計画」となるだろうか。ただそれでは、意味がよくわからないと思う。自治体全域を狭い区域に分け、その区域毎に建物などを建設することに関して、かなり細かく指示されている。建物の軒高などが規定されている。たとえば敷地区分に塀を建ててはならないとあると、塀は諦めるか、Bプランの変更を申請して、塀を設置できるようにしなければならない。ただその手続きは、たいへん面倒だ。日本ではこれを、「地区詳細計画」と呼んでいるという。

 いずれも、国土整備計画や都市開発計画に関わる規制だ。土地を所有していても、所有者は計画に従わなければならない。行政側がその枠内で事前に、ゾーニングや景観、防災、安全などの問題を規制しているともいえる。

 なぜここで、FプランとBプランを取り上げたのか。

 それは、所有の問題について考えたいからだ。FプランとBプランによる規制は、何を意味するのだろうか。

 土地の所有者であっても、土地を自由に利用できないということだ。国土は共有のもの。共用しなければならない。だから所有者は、自分勝手に土地を使ってはならない。それが、国土整備と都市開発の前提になっている。ぼくはエネルギー選択宣言ブログの記事「日独の建物の意義が違う」において、ドイツの建物は「社会資本」として定着していると書いた。それは、この共有と共用の哲学からきていると思う。

 この前提は、再生可能エネルギーを利用する上でもとても大切だ。「再エネとともに変わる社会と市民」の記事において、再エネは無料で、いつでも誰にでも使えることがポイントだと書いた。そこにも、共有と共用の原則がある。再エネ発電施設を設置するには、確かにFプランやBプランが障害になる。利用目的を変更する手続きをしなければならない。しかし再エネは、共有して共用するもの。市民の誰にでも、利用する権利がある。それがとても重要な点だ。

 それを前提にして、市民は再エネによって個人で発電したり、他の市民と協同で(協同組合によって)発電することができる。市民は個人として、小さな発電施設を一人か共同で所有し、経済活動にも参加する。

 こうして再エネの利用とともに、経済活動と所有権、利益が分散される。それに伴い、経済における市民個人の重みが増すのは間違いない。経済が市民化され、民主化される。再エネはいずれ、世界の市民の共通言語のようになると思う。それとともに、資源に対する所有意識も変わるはずだ。

 再エネに伴う社会の変化には、とても大きなインパクトがある。共有と共用の意識が強くなると、所有意識も変わる。それどころか、所有権も再定義しなければならなくなる。物を所有することは、資本主義の基盤だ。その基盤が崩れると、資本主義に対する意識も弱くなる。産業革命後、資本主義によって国家意識が強化されてきたのもわかると思う。となると、市民の国家に対する意識も薄れていく。

 再エネとともに市民が中心になると、社会と国家はこれから、どう変わるのだろうか。楽しみだ。

(2022年1月27日、まさお)

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関連サイト:
ドイツの国土政策の概要(国土交通省国土政策局)

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