クリスマスで困る文化の違い

 クリスマスが終わった。クリスマスのシーズンはドイツでは、待降節といわれるクリスマスのための4週間の準備期間からはじまる。クリスマスマーケットも、同じ時期にオープンする。

 長年の友人カップルは、待降節中のある日曜日になると毎年、友人数十人を招待していた。みんなで一緒にクリスマスの歌を歌い、夜遅くまで飲み食いした。クリスマスの歌の楽譜も用意され、ピアノの伴奏でみんなで一緒に歌った。

 その光景を見ると、みんな小さい時からクリスマスの歌に接し、クリスマスになると、高齢になってもクリスマスの歌を歌わずにはおれないという感じだった。それは、生活に深く染み込んだ文化なんだなあと思う。その時には、テレビもスマホなど現代のハイテクは何も必要ない。昔ながらの文化が生きているのだ。

 友人は高齢からもう、待降節の恒例の行事をやらなくなった。残念に思っている友人たちがたくさんいるに違いない。

 クリスマスの歌というと、ぼくは「ジングルベル」か「きよしこの夜」くらいしか知らなかった。でも友人に毎年待降節の日曜日に招待され、ぼくもそれ以外のクリスマスの歌を、メロディーだけだが、少しずつ覚えるようになった。

 クリスマスの歌には、宗教的な意味があるものもある。でもクリスマスの習慣はすでに宗教から離れ、ドイツの特別の文化になっているのだと思う。クリスマスのシーズンになると、友人たちの気持ちがワクワクしてくるのがわかる。

 友人の中にはこの時期になると、自分でいろんな種類のクッキーを焼いて、クリスマス前に友人や知人にプレゼントする友人も多い。

 12月24日日の夜は「聖なる夜」といわれ、家族で一緒に会食し、プレゼントを交換する。家族でないぼくがこの日に招待されると、ちょっと困る。プレゼントの交換があるからだ。家族が何人集まって、何人分のプレゼントを用意しておいたほうがいいのかを前もって知っておかないと、プレゼントを用意しておけない。プレゼントといってもよそ者のぼくは、クッキーを小さなセロハンの袋に入れたりして、シンボリックなプレゼントで十分だ。サンタクロースの形をしたチョコレートなどでもいいのだ。

 今はそうでもないようだが、12月24日の夜の食事は、茹でソーセージにジャガイモサラダと、質素なものを食べるのが伝統的だったと聞いたこともある。

 それに対して翌日の25日や26日になると、鳥肉の丸焼きなどとても重い食事をする。カモやガチョウの丸焼きが多いようだ。鯉を丸一匹一緒に食べる家庭もあるようだ。ユダヤ系の家族では、鯉を食べることが多いと聞いたこともある。でもぼくのある友人は、ドイツ北部の海沿いの町の出身。ユダヤ系ではないが、毎年鯉を食べていた。

 今は24日の夜に、いきなり家族や友人と肉の丸焼きを食べる家庭も多いようだ。カモやガチョウ、鯉は12月はじめに予約しておかないと、手に入らない場合も多い。24日はお店が昼までしか開いていないので、たいへん混んでいる。予約したものも含めて買い物は、遅くとも23日までに済ませたほうがいい。

 クリスマスの時に家族や友人と一緒に食べる食事はよく、「Festessen(宴会の食事)」といわれる。それが、年一回の特別な行事であるのがわかる。米国や英国ではクリスマスに、七面鳥を食べる習慣があるらしい。でもぼくはドイツでは、クリスマスに七面鳥を食べるのは聞いたことがない。

 ぼくは今年のクリスマスでは、24日にカモの丸焼きを、25日に鶏の丸焼きを食べることになった。カモの丸焼きは毎年友人に招待され、もう恒例になっている。それに続けて翌日にさらに肉の丸焼きを食べるのは、肉をあまり食べないぼくとしては、とても珍しいことだった。

24日夜に食べたカモの丸焼き。これは、ドイツ北東部のメクレンブルク風カモの丸焼き。フランス産のメスのカモが合う。ボスコープ産(オランダ)のりんごとプラムを一晩コニャックにつけておいて、それをお腹に入れて焼く。
25日夜に食べた鶏の丸焼き。これは、トルコ人コックのアーメトさんのレシビにしたがって焼いたもの。レモンと玉ねぎ、ニンニクをお腹に入れ、周りにジャガイモとニンジンを生のままおいて一緒に焼く。

 それで26日が終わると、後は大晦日に、カウントダウンを待って、一緒に飲み食いするぐらい。日本のようにお正月を祝う習慣はない。クリスマス休暇をとっていない限り、27日からは平常に戻る。お正月も元旦の1日だけが祝日で、2日からは平常通りだ。

 その点でクリスマスは、日本人から見ると、ちょっと早めにきたお正月休みのようなものの感じだ。

 12月24日夜に好奇心から、教会の礼拝にいってみたこともある。礼拝にくる人は少なく、家族連れはなく、家族のいない独り者が多かったのを覚えている。クリスマスには確かに、宗教的な背景はある。でもぼくは、クリスマスは今、宗教的というよりは、ドイツ社会において社会的な慣習行事のように生活に深く定着したものだと感じている。

 家族がいないと、クリスマスに家族と一緒に食事をする機会がないので、寂しく、つらい思いをしている人が多いともいわれれる。そのためクリスマスになると、独り者同士がお互いに招き合って、一緒に会食する人たちもいる。

 それは、クリスマスが宗教的からというよりは、社会的に定着している一つの側面であるとも思う。

 キリスト教の信者でもないぼくには、クリスマスといわれてもまったくピンとこない。「日本ではクリスマスはどうするのか」と、よく聞かれることもある。その場合はまず、日本でクリスマスは、宗教的な背景も意味もなく、単に西欧から輸入されたクリスマスを、日本風に楽しんでいるのだと説明する。
 
 ぼくはドイツにいても、そのスタンスでいいと思う。ぼくには、クリスマスの宗教的な背景と文化はない。でも、「郷に入っては郷にしたがえ」。ドイツにいる限り、ドイツの慣習としてクリスマスの行事を楽しむしかない。

2021年12月27日、まさお

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関連サイト:
アーメトさんの鳥の丸焼き(動画、ドイツ語)

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