御車山とべっこう

 ぼくは高岡の観光名所として、「山町筋(やまちょうすじ)」というのがあるのを今回はじめて知った。

 高岡には、御車山(みくるまやま)がある。それは元々、豊臣秀吉が16世紀末に後陽成天皇を聚楽第に迎える時に使った御所車を、加賀藩の祖前田利家が拝領したもの。それを、高岡を開町した加賀藩二代目の前田利長が17世紀はじめに、高岡城下の10ヶ所の商人町に与える。それを各町の町民が、手を加えて御車山とした。毎年5月1日に、御車山祭りが行われるようになる。その御車山を保有する10の町を「山町」という。

7基の御車山もモデル

 御車山は保有する町名で区別され、御車山は全体で7基ある。

 「山町」とあるので、それが御車山と関係があることくらいは、ぼくにもすぐにピンときた。ただそれがなぜ、筋なのかはよくわからなかった。

 「山町筋」は今、明治時代に建てられた土蔵造りの商屋など伝統的な建造物の保存地区になっているという。2000年12月に、国の重要伝統建造物保存地区に選定されたのだった。

 そのことはまったく知らなかった。この高岡の御車山祭りが富山県から3つ選ばれたユネスコの無形文化遺産の一つにもなっているという。そのことも今回、はじめて知った。

  すごいしゃん!!

 なぜ土蔵造りかというと、明治時代に入って山町の大部分が大火で被災した。その教訓から、土蔵造りの建物によって防火建築が建てられたのだった。

 ぼくは、高岡の御車山祭りのことは今もまだよく覚えている。祖母の実家が高岡の山町の近くにあった。御車山祭りがある毎に、よく祖母に連れられて祖母の実家にいっていたのだ。

 高岡の御車山は、菊の花をつけた竹籠をかぶったようになっているのが特徴だ。花山型というのだという。花の籠を支える屋台の上には、大きな人形が置かれている。これは神だ。屋台は祭壇なのだ。神は、恵比寿や大黒天など商売の神。神が天から降りてきたのだった。

後ろの大きな人形は大黒天

 ぼくは小さいながらも、そう思った。小さい時、大きな人形が不気味で、怖かった。ただ屋台の前には、唐子や猿などの人形が置かれている。人形は、囃子方の奏でる音に合わせて動く。太鼓をたたいたり、首を動かしたり、からだをひっくり返したりする。それが、ぼくには楽しみだった。

 囃子方は、屋台下で幕の巻かれた山の胴の中にいた。屋台にはこどもたちが乗っており、ぼくも乗りたいなあと思っていた。だがぼくは、御車山を保有する町の町民ではない。無理だった。

 お祭りに呼ばれると、「べっこう」という郷土料理を食べることができた。それが、ぼくの好物だった。「べっこう」とは、醤油味の寒天に溶き卵を入れて固めた簡単な料理。しかしその歯応えが、何ともいえない。富山にしかない田舎料理ではないかと思う。

 ぼくは早速スーパーで、お惣菜として売られているべっこうを買って食べた。ああ、懐かしい味。この味、この歯応えだ。

木舟町の御車山。これは実物で、5月1日の御車山祭りには、この御車山がここから出ていく。

 山町筋には今、高岡御車山会館がある。今更とは思ったが、過去の記憶を思い出すために入ってみた。大黒天の御車山が展示されていた。これは実物だ。5月1日の御車山祭りには、この御車山がここから出ていくのだという。

 ぼくは御車山を、50年近く見ていなかったと思う。過去にワープしたような気分だった。

2022年10月31日、まさお

関連記事:
ふるさとを再発見する
コロナ禍のために緩和ケアに制限があっていいのか
ぼくたちは加害者だ

関連サイト:
高岡御車山会館

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.