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エルツ山地の木のおもちゃ

エルツ山地の木のおもちゃ  エルツ山地の木のおもちゃ  エルツ山地の木のおもちゃ
エルツ山地の木のおもちゃ

クリスマスマーケットには、クリスマスピラミッドも忘れられない(最初の写真)。ドレスデン南西に位置するエルツ山地地方で手作りされている。

エルツ山地地方の歴史と風俗、文化を示す木工民芸品の一つだ。

ドレスデンのクリスマスマーケットには、エルツ山地の木のおもちゃのショールームがあった。

ショールームで木工細工をデモしていたのは、ラファエラさん。エルツ山地の木のおもちゃの町ザイフェンで、木工職人となるために職業訓練中だ。

シャールームでは、ラファエラさんら職業訓練生の製作した木のおもちゃが販売されている(最後の写真)。

ラファエラさんに「なぜ、木工職人になりたいの?」と聞いたら、「自分のつくったもので、みんなを幸せにできるから」という返事が返ってきた。 (2023年12月30日)

ドレスデンのシュトレン

ドレスデンのシュトレン  ドレスデンのシュトレン  ドレスデンのシュトレン
ドレスデンのシュトレン

ドレスデンのシュトレンは年間、約500万個販売されるという。シュトレンは主に1kgのものが多い。となると、500万トンにもなる。

「ドレスデンのシュトレン」を製造、販売できるのは、ドレスデンとドレスデン近郊のパン屋さん、ケーキ屋さん。定期的に認定検査を受け、認定シールをつけて販売される。現在認定を受けているパン屋さん、ケーキ屋さんは、120店以上もある。

バター、レーズン、マンデル、オレンジピールとレモンピールは、欠かせない。基本的なレシビはあるが、それ以外はそれぞれのお店が独自をレシビを持っている。

ドレスデンのクリスマスマーケットのショーウィンドウでは、シュトレンが焼かれていた。170度から180度の温度で1時間焼く。その後に粉砂糖がかけられる。

クリスマスマーケットの屋台には(最後の写真)、たくさんのシュトレンが並んでいる。毎日完売になるので、早く買いにいく方がいいという。 (2023年12月23日)

ドレスデンのクリスマスマーケット

ドレスデンのクリスマスマーケット  ドレスデンのクリスマスマーケット  ドレスデンのクリスマスマーケット
ドレスデンのクリスマスマーケット

ドイツ南東部のドレスデンでは、589回目のクリスマスマーケットがオープンしている。ドイツで一番古いクリスマスマーケットという。

当初クリスマスマーケットでは贅沢品の肉が販売され、その後に宗教的な意味からパンに変わっていった。当時はまだ、パンにバターやレーズンなどを入れるのは高級すぎて無理。時が進むにつれ、パンにバターやレーズンが使われ出す。

それが、クリスマスに食べるドレスデンの菓子パン「シュトレン」の起源となる。

ドレスデンのクリスマスマーケットが「シュトリーツェルマルクト」といわれるのは、細長い菓子パンであるシュトレンに由来する。シュトリーツェルとは細長いパンという意味だ。

歴史のあるクリスマスマーケットには、1902年からあるといわれるメリーゴーランドも回る。屋台は、出展者それぞれが思考をこらすデコレーションが特徴だ。 (2023年12月16日)

ヅゥートクロイツ駅

ヅゥートクロイツ駅  ヅゥートクロイツ駅  ヅゥートクロイツ駅
ヅゥートクロイツ(南十字)駅

ヅゥートクロイツ(南十字)駅はドイツ統一後、ベルリンの3大ハブ駅の一つとして2006年に完成した。それまでは、1901年に完成したパーぺ通り駅といわれ、Sバーン南北線の駅に過ぎなかった。

駅は2階建てで、上のホームは東西に走るSバーン環状線ホームと、地上階にある長距離・ローカル南北線ホームとSバーン南北線ホームの連絡通路にもなっている。

環状線南側にある東西線と南北線の交差駅であることから、ヅゥート(南)クロイツ(十字)駅という。 (2023年12月09日)

シェーネベルク駅

シェーネベルク駅  シェーネベルク駅  シェーネベルク駅
シェーネベルク駅

シェーネベルク駅は、ベルリンの都市鉄道(Sバーン)の歴史を伝える貴重な駅だと思う。

ベルリンでは、東京の山手線のお手本になった環状線が1870年代後半に完成している。その前の1830年代末にはすでにシェーネベルク駅(停留所のようなもの)が存在したが、数年で閉鎖される。

現在の駅舎(最初の写真)は環状線の駅として1890年代後半にできたもの。まず1944年まで、使われていた。

1930年代前半にベルリンの南北を走るヴァンゼー線が電化されるのに伴い、シェーネベルク駅は環状線とヴァンセー線の乗り換え駅となる。その時にできたホーム(2番目の写真)は環状線の駅ホーム(3番目の写真)の下につくられた。

環状線は戦争と東西ベルリンの分割で閉鎖され、運転の再開は1993年末まで待たねばならなかった。

4番目の写真は、ヴァンゼー線のホーム(上)と乗り換え駅となった時にできた駅の出入口だ。 (2023年12月02日)

ユリウス・レーバー橋駅

ユリウス・レーバー橋駅  ユリウス・レーバー橋駅  ユリウス・レーバー橋駅
ユリウス・レーバー橋駅

前回紹介したヨーク通り駅(グロースゴェルシェン通り)のすぐ南に、ユリウス・レーバー橋駅がある。これも、ヴァーンゼー駅とオラニエンブルク駅を結ぶS1号線だけの停車駅だ。

2008年5月にできた新しい駅だ。路線の変更などで何回も駅の位置を変更せざるを得なくなり、新設された。

そのため、その前にいくつも名前の違う『前任駅』があった。

ユリウス・レーバーは戦時中、反ナチス活動に参加したことで強制収容所に収容されていた社民党の国会議員。強制収容所から釈放された後、ヒトラー暗殺未遂事件に関与したとして、ベルリンで処刑された。

駅は、ユリウス・レーバーの名前のついた橋の真下にある。 (2023年11月19日)

もう一つのヨーク通り駅

もう一つのヨーク通り駅  もう一つのヨーク通り駅  もう一つのヨーク通り駅
もう一つのヨーク通り駅

ベルリンの都市鉄道Sバーンには、もう一つヨーク通り駅がある。正確には、ヨーク通り駅(グロースゴェルシェン通り)という。

元は、「グロースゴェルシェン通り駅」といわれた。しかし、地下鉄ヨーク通り駅との乗り換え駅であることをはっきりさせるため、1992年に改名された。

すでに紹介したSバーンのヨーク通り駅から、400メートルほど西側にある。

ヨーク通り駅がS2、S25、S26号線の停車駅なのに対し、ヨーク通り駅(グロースゴェルシェン通り)は、ヴァーンゼー駅とオラニエンブルク駅を結ぶS1号線だけの停車駅。

戦前、Sバーン専用に仮設として設置された。そのため、ホームの屋根はまだ木製で、仮設のようになっている。 (2023年11月12日)

自然な公園

自然な公園  自然な公園  自然な公園
自然な公園

今回の写真は、ベルリン西部郊外にあるグリニック公園で撮ったものだ。

何か気づかないだろうか。

そうだ。公園といっても、自然そのものだということ。自然の森林が公園として、維持、管理されている。

ドイツにいて、日本と大きな違いを感じるのはこの点だ。大都市にいても、自然が間近にある。

日本の公園は、きれいに造園されている。しかし、それは自然ではない。公園というよりは、大きな庭、庭園といったほうがいい。

グリニック公園では道標も古くなって、ほとんどもう読めなくなっていた(最後の写真)。 (2023年11月04日)

秋の紅葉

秋の紅葉  秋の紅葉  秋の紅葉
秋の紅葉

紅く染まった最初の写真は、何だろう。

実は、わが家のバルコニーにあるブルーベリーなのだ。昨年も紅葉したが、今年は格別きれいだ。

そのほかにも、イチョウの葉がようやく黄色くなった(4番目の写真)。今年は葉も大きく、黄色が鮮やか。

ツタの葉は夏から紅くなり、落葉してもうほとんど残っていない(3番目の写真)。早く紅葉するのは、土が少ないから。

ぼくが好きなのは、アジサイが開花した後も花色が変化して、秋色アジサイとして淡い色を楽しめること(2番目の写真)。

しかし来年のことを考えると、もう切ってやらないといけない。 (2023年10月28日)

田舎のカフェ

田舎のカフェ  田舎のカフェ  田舎のカフェ
田舎のカフェ

ベルリン郊外に、ぼくの好きなカフェがある。「レームゾファ(Lehmsofa)」という。粘土のソファという意味だ。

お店の中に粘土でできた古いソファ暖房が残っているので、そういう名前にしたのだと思う。元々は、農家だったはずだ。

ベルリン郊外のファルケンベルク(Falkenberg)というところにある。動物墓地の近くにある。前いたネコがそこに埋葬されているので、お墓参りの帰りに見つけた。

年に数回、きていると思う。

自家製ケーキが最高においしい。この田舎風の雰囲気が何ともいえず、心が落ち着く。

その周りを散歩すれば、自然も満喫できる。 (2023年10月21日)

川底トンネル

川底トンネル  川底トンネル  川底トンネル
川底トンネル

ぼくは、ベルリン郊外のフリードリヒスハーゲンという町が好きだ。ベルリンの南東にある。

こじんまりと、古い小さな建物が並んでいる。そのコンパウトさがいい。

その南に、ミュッゲル湖がある。湖の北西端からミュッゲルシュレー川が流れているが、その境に歩行者専用の川底トンネルがある。「シュプレートンネル」という。

箱形のボックスを沈め、それをつないだ。その工法では、ドイツではじめてのトンネルだという。1927年に完成した。全長は120メートル。

ナチスは終戦直前、このトンネルを爆破しようとした。しかし共産党党員が爆破用の配線を遮断し、かろうじて破壊されるのを免れたという。

現在は、文化財として保護されている。 (2023年10月14日)

ヨーク通り駅

ヨーク通り駅  ヨーク通り駅  ヨーク通り駅
ヨーク通り駅

ベルリンのSバーンには、ヨーク通り駅が2つある。

今回は、S2線(ブランケンフェルデ -- ベルナウ)、S25線(テルトウ -- ヘンニグンスドルフ)、S26線(テルトウ -- ヴァイトマンスルスト)に利用されているヨーク通り駅だ。

こちらのほうが元々から、ヨーク通り駅だった。1903年に設置された。現在こそSバーンの南北線の一部を利用しているが、南北線が1937年に設置される以前からあった。

その分駅舎も古いし、駅のホームも狭い。

しかし、設立当時の雰囲気を残しているのも事実。駅舎と駅ホームは文化財として、保護されている。

2017年に再建する計画もあったが、まだ実現していない。 (2023年10月07日)

中秋の名月

中秋の名月  中秋の名月  中秋の名月
中秋の名月

昨日2023年9月23日は、中秋の名月だった。日本だったら、月見の日だ。

ドイツには、月のカレンダーがある。しかし中秋の名月が、特別扱いされることはないと思う。

残念なことにこの日、ベルリンでは朝から曇っていた。夕方から少し青空が見える。しかし夜になっても、月が見えない。

今日はダメかと諦めていた。もしかしてと夜空を眺めると、偶然にも満月が出ている。


やったあと思って、早速シャッターをきった。しかしそれも、わずかの間。月はすぐに雲に隠れていった。

ドイツでは、満月になったのはお昼頃。夜撮った写真は、満月から少し欠けた状態ということになる。 (2023年9月30日)

ブランデンブルク門

ブランデンブルク門  ブランデンブルク門  ブランデンブルク門
オレンジ色のブランデンブルク門

ドイツ統一と平和の象徴でもあるブランデンブルク門は1週間前、環境活動セクト「最後の世代」によって塗料を塗られ、オレンジ色になっている。

その塗料を消す作業は難航。塗料はまだ、ついたままになっている。

この週末には、ベルリンマラソンがある。ブランデンブルク門はマラソンのゴール直前にあり、ランナーにとってフィニッシュする前の格別の名所。

その名所が汚された状態では、1年間準備してきたランナーにはちょっとかわいそうだ。

活動家たちはさらに、マラソン大会自体も妨害する予定。マラソンコースを示す青い線(最後の写真)をオレンジ色で汚してしまったり、走行を中断させる計画だという。

レースが中断されるなど大事にならないことを願いたい。 (2023年9月23日)

東ドイツ旧車

東ドイツ旧車  東ドイツ旧車  東ドイツの旧車
東ドイツの旧車

ドイツ統一後30年以上も経った現在、旧東ドイツ製の車はほとんど見かけなくなった。観光客用に使われているトラバントをたまにみる程度だ。

それが最近、わが家の近くで映画のロケがあった。撮影の日には、セットの前に何台も東ドイツの旧車が並んでいた。

最初の写真が、1960年代後半に製造されていたヴァルトブルク312。これがあったのはすごい。次が1980年代後半まで製造されていたヴァルトブルク353かな。

3番目の写真がバルカスの小型トラック。最後の写真が東ドイツの国民車トラバントだ。

トラバントは車体がセラミックでできていて、ぶつかると凹むのではなく、破れていた。一度乗せてもらったことがある。 (2023年9月16日)

アンハルト駅

アンハルト駅  アンハルト駅  アンハルト駅
アンハルト駅

駅名は、19世紀中頃にオープンした長距離列車の駅に由来する。駅は戦前、ドイツ中部と南部、オーストリア、イタリアなどを結ぶベルリンでも最も重要な駅だった。

駅舎は戦争で破壊されるが、駅としては1950年代はじめころまで利用されていた。現在、当時の駅舎の一部が残されている(最初の写真右側)。

Sバーンの駅は、Sバーン南北線のトンネルができた1939年にオープン。当初は南からくる路線の終着駅だった。

戦争で地下トンネルが浸水。南北線トンネルが完全に開通するのは1947年になってから。戦後からそれまでは再び、南からくる電車の終着駅だった。

ドイツ統一後のトンネル改修工事で、駅は1990年代はじめに閉鎖。2004年の電車火災事故後の改修工事でも、駅は一時閉鎖されていた。 (2023年9月09日)

フンボルトハイン駅

フンボルトハイン駅  フンボルトハイン駅  フンボルトハイン駅
フンボルトハイン駅

Sバーン地下駅の北駅から北に走ると、電車は地上に上がる。

まもなくして進行方向左側に、ベルリンの壁が一部残っている。壁にはいろいろ落書きされているが、壁自体はオリジナルだ。

壁を通り過ぎると、旧西ベルリンに入る。その最初の駅が、フンボルトハイン駅だ。Sバーン南北線地下トンネルのできた1830年代にできた。

フンボルトハイン駅に着くまでの間、進行方向右側には戦前北駅から北に向かう長距離路線の跡を残す錆だらけの古い鉄橋なども残っている。

古い駅舎の中には、切符売り場ではなかったかと思われる古い小屋がある。それは今、セルフサービスのカフェになっている(最初の写真)。 (2023年9月02日)

ポツダム広場駅

ポツダム広場駅  ポツダム広場駅  ポツダム広場駅
ポツダム広場駅

Sバーンのポツダム広場駅は1939年、Sバーンの南北地下トンネル線の地下駅としてオープンした。

ポツダム広場駅自体は当時、ベルリンから西側に走る長距離列車用の大きな地上駅。ベルリンでも最も利用客の多い駅だった。しかし地上駅は、戦争で破壊される。地下駅は戦争中、地下鉄駅が浸水したのに伴い、1949年まで閉鎖されていた。

1961年にベルリンの壁ができると、壁の下にあったSバーン地下駅は西ベルリンを南北に走るSバーンの通過駅となる。

ドイツ統一後、ポツダム広場が再開発されるのに伴い、Sバーンの地下駅も再開発地区に統合され、再修復された。

2006年、Sバーン地下駅横に中近距離ローカル線地下駅も誕生した。 (2023年8月28日)

北駅

北駅  北駅  北駅
北駅

北駅は、1930年代にSバーンの南北地下トンネル線ができた時に設置された。当時は、ベルリンから北に向かう長距離路線の起点となる大きなシュテティーン駅の一部だった。

戦後、シュテティーン(ポーランド名はシュチェチン)がポーランド領となったことから、1950年になって北駅に改名。2年後、地上の長距離路線駅は戦争で破壊されていたことから、閉鎖される。

Sバーンの北駅は、東ベルリン地下にあった。そのためベルリンの壁があった時は、通過駅だった。北駅から北に走ると、電車はすぐに地上に上がり、そこからは西ベルリンだった。

Sバーンの地下駅としては広く、ホームが2つもある。それは、北駅の北で地上に上がったところ(西ベルリン領)に、操車場があったからだ。

ナチスドイツ時代にできた駅としては、前回紹介したオラニエンブルク通り駅同様、デザインが質素でモダンになっている。

駅構内には、東西ベルリン分割時代のSバーンと駅の様子を示す写真がたくさん展示されている。 (2023年8月19日)

オラニエンブルク通り駅

オラニエンブルク通り駅  オラニエンブルク通り駅  オラニエンブルク通り駅
オラニエンブルク通り駅

オラニエンブルク通り駅も、ブランデンブルク門駅(当時はウンテー・デン・リンデン駅)と同じように、ベルリンの壁があった当時は、東ベルリンの地下にあったことから閉鎖され、通過駅となっていた。

ウンテー・デン・リンデン駅(当時)と同じ、1936年にオープンしている。

駅はこれから取り上げる北駅の一部となっており、駅の内装も北駅とよく似ている。

北駅が再開通後きれいに改装されたのに対し、オラニエンブルク通り駅では、壁などがまだかなり汚い。それは、閉鎖当時のままだからだと思われる。

そのため、駅名の表示なども当時のままだ。

ベルリンの壁崩壊後、オラニエンブルク通り駅はSバーンの南北線では一番最初に再開された駅。東西ドイツで通貨が統一された翌日の1990年7月2日に再オープンした。 (2023年8月12日)

ブランデンブルク門駅

ブランデンブルク門駅  ブランデンブルク門駅  ブランデンブルク門駅
ブランデンブルク門駅

ブランデンブルク門駅はつい最近まで、「ウンテー・デン・リンデン駅」といった。

地下鉄5号線が、アレキサンダー広場駅からウンテー・デン・リンデン通り地下を経由して中央駅まで延長されるのに伴い、地下鉄5号線と6号線の交差する駅が「ウンテー・デン・リンデン駅」となることで、2009年「ブランデンブルク門駅」に改名された。

昔の駅名のなごりが、駅ホームの小屋にも残っている。元々は、1936年にオープンしたベルリンSバーン南北線の最も南の駅だった。

東西ベルリンが分割されると、東ベルリンの地下を走る西ベルリンのSバーンの通過駅として、閉鎖されていた。再びオープンしたのは、東西ドイツ統一直前の1990年9月だった。

駅は現在、観光名所ブランデンブルク門手前にある駅として、たくさんの観光客に利用されている。 (2023年8月06日)

ヴェストクロイツ(西十字)駅

ヴェストクロイツ(西十字)駅  ヴェストクロイツ(西十字)駅  ヴェストクロイツ(西十字)駅
ヴェストクロイツ(西十字)駅

ヴェストクロイツ(西十字)駅は、西側でSバーンの環状線と東西を走る線が交差する重要な乗り換え駅。交差することから「十字」とついている。

Sバーンだけの駅で、ポツダムに行くSバーンは、ここから南方向に走る。

駅の周辺は、ベルリンの都市高速道路の重要な基点になっているほか、見本市会場がある。ガーデンハウスも多い。その分、住宅がない。

駅の出入り口は最初の写真のように、仮設かと思われるくらい。でも、これしかない。

乗り換え客は多くても、この駅からSバーンに乗る住民が少ないのだから、致し方ないのだと思う。 (2023年7月29日)

クリストファー・ストリート・デー

クリストファー・ストリート・デー  クリストファー・ストリート・デー  クリストファー・ストリート・デー
クリストファー・ストリート・デー

ベルリンでは今日、LGBTなど性的少数派の祭典クリストファー・ストリート・デー(CSD)のイベントが行われている。

25万人の参加が見込まれるという。

今週はベルリンでは、プライド(ゲイ・プライド)週間として、週のはじめからプライド・フラッグである虹の旗があちこちで見られる。

イベントの中心ともなる勝利の塔のロータリーでは、週のはじめから路上に虹の旗が描かれていた。

ドイツの自治体には、CSDなどプライド・デーに虹の旗を掲揚するところが多い。今日は、連邦議会議事堂や首相府のほか、各省庁の前にもプライド・フラッグが掲げられている。 (2023年7月22日)

シャルロッテンブルク駅

シャルロッテンブルク駅  シャルロッテンブルク駅  シャルロッテンブルク駅
シャルロッテンブルク駅

シャルロッテンブルク駅は、1880年代にベルリンの都市鉄道(Sバーン)が開通した時、最も西側にある終着駅だった。

しかし現在、駅は旧西ベルリンの中心にあるといってもいい。

2000年代に入り、Sバーンの駅と地下鉄U7号線の駅の接続をよくするため、Sバーンのホームだけ200メートル東側に移設された。

その時、高架橋沿いの駅前広場がきれいに緑地化され、憩いの場ともなっている。

ブこうして緑地化された駅が、駅の将来像だともいわれる。 (2023年7月15日)

ブルーベリー収穫

ブルーベリー収穫  ブルーベリー収穫  ブルーベリー収穫
ブルーベリー収穫

わが家のバルコニーにあるブルーベリーの木。たくさん花が咲いても、実がなるかどうか、とても不安だった。

しかし、とりこし苦労だった。できた、できた。

ブルーベリーがたくさんできている。昨年に比べて多少少ないが、実は昨年よりも大きいと思う。

花が咲いた後、新芽ができてのきのき大きくなっていく。これではいかんと思い、切ってしまった。新芽にばかり栄養がとられては、実が大きくならないと思ったからだ。

それでいいのかどうか迷った。だが結果として、よかったのだと思う。

収穫したブルーベリーは、毎朝目のために飲んでいる自家製青汁に入れる。ブルーベリーには、目にいいルテインがたくさん含まれているからだ。 (2023年7月08日)

病院

病院  病院  病院
この建物は?

写真の建物は、19世紀末に建てられた。ネオルネッサンス様式だが、当時は兵舎みたいといわれたらしい。

今見ると、自然の森の中に、煉瓦造りのとてもきれいな建物のアンサンブルが並んでいる。

この建物は、ベルリン東部にある総合病院だ。現在、エリザベート女王ヘルツベルゲ病院(KEH)と呼ばれる。

設立当初から、知的障害のある人の病気を治療する専門部門を有するドイツでも数少ない病院に数えられる。

ただその歴史からすると、T4作戦によって障害者を大量虐殺したナチス時代、当病院はどういう役割を果たしていたのか。

その過去が気になるところだ。 (2023年7月01日)

ペルガモン博物館

ペルガモン博物館  ペルガモン博物館  ペルガモン博物館
ペルガモン博物館

ユネスコ世界文化遺産となっているベルリンの博物館島。その中心がペルガモン博物館だ。だが博物館では今、大規模な改修工事が行われている。

現在見学できるのはバビロンのイシュタール門などのある南棟だけ。北棟とペルガモンの大祭壇のある中央棟は、閉鎖されたままだ。

博物館はさらに、今年2023年10月23日から全館閉鎖される。南棟の改修工事がはじまるからだ。

全館閉鎖は今のところ2027年春までで、現在改修中の北棟と中央棟がオープンする。南棟がオープンするのは2037年になる予定で、それまでイシュタール門を見ることはできない。

見ておくなら、今のうちだ。 (2023年6月24日)

6月17日

6月17日  6月17日  6月17日
6月17日

今日は6月17日。ヴェルナーさんは墓石にあるように、1937年6月17日に生まれ、16年後の1953年6月17日に亡くなった。

命日の日は6月17日蜂起ともいわれ、東ベルリンの労働者を中心に東ドイツの体制に抵抗し、自由を求める大衆暴動の起こった日だった。

暴動はソ連赤軍も動員され、制圧された。ヴェルナーさんをはじめ、何人も死亡したと見られる。犠牲者の数は東ドイツ当局の情報操作で、よくわかっていない。

ヴェルナーさんは西ベルリンの病院で死亡したことから、暴動において死亡したことがわかった。西ベルリンで死亡を確認された他の労働者とともに埋葬される。

それが今、6月17日蜂起の合同追悼祈念碑となっている。 (2023年6月17日)

動物園駅

動物園駅  動物園駅  動物園駅
動物園駅

動物園駅は俗に、「ツォー」といわれる。ベルリンの壁があった当時は、西ベルリンの中央駅の役割を果たしていた。

現在の中央駅が2006年にできると、駅は格下げされ、長距離列車は通過するだけとなった。

Sバーンのホームは、駅の西側横に付属するように設置され(最後の写真)、天井高も低い(3番目の写真)。

Sバーンのホームは、駅本体より少し南寄りにあり、Sバーンホームにしかいけない出入口もある(最初の写真)。 (2023年6月10日)

東駅

東駅  東駅  東駅
東駅

ベルリン東駅では現在、ホーム上のガラス屋根を修理するため、ホーム上にたくさんの足場が組まれている。

修理は2018年にはじまり、2021年に終わる予定だった。しかし今のところ、修理が終わるのは2025年になる見込みだ。

東駅は当初、「フランクフルト駅」といわれた。その後都市鉄道のSバーンが開通すると、「シュレージエン駅」に変更。東西ドイツ分裂後、東ベルリンにある同駅は「東駅」に改名される。ベルリン750周年となる1987年に、「ベルリン中央駅」となった(3番目の写真)。

東西ドイツ統一後の1998年、駅は再び「東駅」に戻る。 (2023年6月03日)

レールター駅

レールター駅  レールター駅  レールター駅
中央駅レールター駅

ベルリン中央駅にあるS バーンのホームには、「レールター駅」と付記されている。

それは、中央駅のある位置にSバーンのレールター駅があったからだ。それを中央駅にすることになった時、住民からSバーンの駅名を残して欲しいと要望があった。それで、そうなっている。

レールター駅は、ベルリンの壁があった当時、西ベルリン最後の駅だった。同駅をさらに東に走ると、すぐに東ベルリンに入った。それの意味で、歴史に残る駅だったと思う。

壁のあった当時、西ベルリンを走るSバーンは、東ドイツの「帝国鉄道」が運用していた。 (2023年5月27日)

アヤメの花

フジの花  ハンカチの花  シャクナゲの花
5月の花

ベルリンではこれまで、どちらかというと涼しい日が続いている。

それでもベルリン中心にある公園ティーアガルテンでは、いろいろと5月の花が咲いている。

1番目の写真がアヤメの花、2番目がフジの花、3番目がハンカチの木の花、4番目がシャクナゲの花だ。

その他にも、サンザシの花、ライラックの花、ニワトコの花なども見られる。

マロニエ(クリ)の並木道では、マロニエの花も満開だ。

週末からは、夏日が続く予報だ。 (2023年5月20日)

ザヴィニ広場駅

ザヴィニ広場駅  ザヴィニ広場駅  ザヴィニ広場駅
ザヴィニ広場駅

ザヴィニ広場駅はベルリンのSバーンの中では、一番最後に設置された駅になるという。オープンしたのは、1896年。

駅は、芸術家による芸術プロジェクトの場としても知られている。

有名なのは、「世界の木ギャラリーII」(1枚目の写真)。路線に隣接する建物の壁にできた。環境破壊を警告するため、18人の芸術家によって1980年後半に共同制作された。

そこにはさらに2013年、「破壊された多様性」をテーマに、ザヴィニ広場周辺に暮らしていたユダヤ人を記憶する銘板もできる。

頼ツォー駅側にある駅の出入り口前の路地は(4枚目の写真)、駅開設当時は私有地だったという。 (2023年5月13日)

ブルーベリーの花

ブルーベリーの花  ブルーベリーの花  ブルーベリーの花
ブルーベリーの花

わが家のベランダでは今、ブルーベリーの花が満開だ。

花は、葉っぱが開くか開かないうちから咲き出す。

問題は、花が咲いても、受粉しないと実がならないこと。

盛んにミツバチがきてくれているが(3枚目の写真)、受粉するかしないかはミツバチ頼り。

頼みますよ、ミツバチさん! (2023年5月06日)

月と金星

月と金星  月と金星  月と金星
三日月と金星

この時期、月の近くに明るい星が目立つ。

月と星の位置関係は、毎晩変わる。星が月よりも上にあることもあれば(2枚目の写真)、下に見えることもある(3枚目の写真)。

月と星の距離は毎晩、異なっている。

どうやら、星は金星らしい(4枚目最後の写真)。

ぼくたちは、宇宙の一角にいるんだなあと思う。 (2023年4月29日)

シカたち

シカたち  シカたち  シカたち
ベルリンのシカたち

ベルリン北西部のシュパンダウの森では、イノシシばかりでなく、シカも広大な森の一部に放し飼いになっている。

アカシカやダムジカなどと見られる。放し飼いにされている敷地は、柵で囲まれている。こどもたちが餌をやれるようにもなっている。

柵で囲まれていないところでも、野生のシカを見ることがある。そこでは、シカは人に近づいてこない。 (2023年4月22日)

イノシシのこどもたち

イノシシのこどもたち  イノシシのこどもたち  イノシシのこどもたち
イノシシのこどもたち

ベルリンの北西部にあるシュパンダウの森。ベルリン中心から電車とバスで30分も走れば、自然の宝庫だ。

その一部に、イノシシとシカが大きな敷地に放し飼いになっている。

ちょうど、イノシシのこどもが生まれたところだった。たくさんのイノシシのこどもたちが、戯れている。

こどもたちは母親の乳首を求めて、母イノシシを追っかけ回していた。 (2023年4月15日)

オストクロイツ駅

オストクロイツ駅  オストクロイツ駅  オストクロイツ駅
オストクロイツ(東十字)駅

オストクロイツ駅は東側で、環状線と東西を走る路線が交差する駅。「オストクロイツ」は、「東十字」という意味だ。

それ以前も環状線との交差駅だったが、「オストクロイツ駅」となったのは、1933年になってから。

ベルリンでは、電車の発着数が最も多い駅。駅の利用者数も多い。

統一後、2006年から駅と線路の大改修工事で、10年以上も工事現場状態が続いた。 (2023年4月08日)

春の野花

春の野花  春の野花  春の野花
春の野花

ベルリンでは、寒くなったり、少し暖かくなったり、不純な天候が続いている。

数日前には、大きな霰が降り続き、霰が積もっていた。

それでもベルリン中心にある大きな公園ティーアガルテンでは、春の野花が元気に咲いている。

青い花はシラー、3番目の写真はスイセン。最後の白い花は、スノードロップではないかと思う。 (2023年4月01日)

ティーアガルテン駅

ティーアガルテン駅  ティーアガルテン駅  ティーアガルテン駅
ティーアガルテン駅

ティーアガルテン駅は、ベルリンのSバーン建設当初からあったわけではない。Sバーン開通後、3年経ってから設置された。

駅は、ベルリン中心のティーアガルテン公園と6月17日通りに隣接する。大晦日の花火大会やベルリンマラソンなど、大きなイヴェントにはなくてはならない駅だ。

中央駅寄り出入口すぐ横にある居酒屋ティーアガルテン・クヴェレは、昔ながらの居酒屋の趣を残す貴重な存在。観光ガイドにも載っているようだ。

夏は、駅から直行のビアガーデンがオープンする。 (2023年3月25日)

ワルシャワ通り駅

ワルシャワ通り駅  ワルシャワ通り駅  ワルシャワ通り駅
ワルシャワ通り駅

現在のワルシャワ通り駅は、ベルリンのSバーンの駅の中でも最も新しい駅の一つ。

元々は、Sバーン建設時に設置された駅。だが何回か改造された後、老朽化が激しいことから2004年末に駅舎を閉鎖、翌年解体された。

その後、仮設状態で駅の機能を維持しながら、新駅の建設を開始。しかし工事が延々と伸び、ようやく2021年末に完成した。

ただホームの屋根は、長さを半分に短くして竣工させている。 (2023年3月18日)

ヤノヴィッツ橋駅

ヤノヴィッツ橋駅  ヤノヴィッツ橋駅  ヤノヴィッツ橋駅
ヤノヴィッツ橋駅

ヤノヴィッツ橋駅は1880年代に、ヤノヴィッツ橋の建設と同時に、シュプレー川沿いに設置された。

1920年代のSバーンの電化とともに、駅は今の形となる。今の駅は統一後の1990年代中頃に、再建されたもの。

駅の近くには、東西ベルリンのハインリヒ・ハイネ通り国境検問所があった。駅地下には当時から、旧西ベルリンを結ぶ地下鉄が走っていた。

壁の崩壊した2日後の1989年11月11日、前々から地下にあった地下鉄駅がオープンしている。 (2023年3月11日)

アレキサンダー広場駅

アレキサンダー広場駅  アレキサンダー広場駅  アレキサンダー広場駅
アレキサンダー広場駅

アレキサンダー広場駅はベルリンのハブ駅の一つ。Sバーンの駅では、ベルリンで3番目に利用者が多いという。

ベルリンのSバーンができる19世紀後半に、設置された。その後何回も、改築されてきた。

改築による駅の変化やアレキサンダー広場の変化を描いた磁器製の絵が8枚ある。絵は、駅構内の地下通路に展示されていた時期があるが、もう展示されていない。ベルリン都市博物館に保管されている。

磁器製絵画は戦前、ベルリンの高級磁器KPMで制作された。戦後1960年に、そのコピーがマイセン磁器で制作され、その時に2枚新しいものが追加された。

実物は見る機会がないが、ネット上で探せば、その写真を見ることができる。 (2023年3月04日)

ウクライナ国旗

ウクライナ国旗  ウクライナ国旗  ウクライナ国旗
ウクライナ侵略戦争1年

1年前の昨日の2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻した。あれからもう、1年。

ベルリンの大統領府(2番目の写真)、国会議事堂(3番目の写真)、首相府(4番目の写真)には、ウクライナとの連帯を示すため、EUとドイツの旗の囲まれてウクライナの旗がかかっていた。

昨晩のほか、今日25日には平和を求め、デモも予定されている。

しかしデモには、ロシアの侵略戦争にどう対応するかで、その立場に違いもある。デモに極右の参加を認めるかどうかでも、ドイツ社会は割れてきた。 (2023年2月25日)

ハケッシャーマルクト駅

ハケッシャーマルクト駅  ハケッシャーマルクト駅  ハケッシャーマルクト駅
ハケッシャーマルクト駅

レンガ造りの駅は、19世紀後半に設置された。その後、何回も改築、増築されてきたので、設置当時の形をそのまま残しているわけではない。

駅名は当初、「株式市場駅」。近くに、ベルリン株式市場があった。東西分裂後、駅から500メートルも離れたところに設置されたマルクス・エンゲルス広場にちなみ、「マルクス・エンゲルス広場」と改名。統一後に、現在の名前となる。

駅近くに、トラムの拠点駅「ハケッシャーマルクト駅」があったからだ。

駅前の「ハケッシャーマルクト」は、「ハケの市場」という意味。元々はベルリン要塞の堀があったところで、その堀を埋め立てたフォン・ハケ伯爵の名前に由来する。  (2023年2月18日)

満月

満月  満月  満月
満月

先週末の日曜日(5日)は、満月だった。

満月が地平線から上がりはじめる時、満月は赤く、大きい。ただ写真では赤く撮れず、黄色になってしまった(最後の写真)。

満月は上がるにつれて、小さくなり、明るく、白く輝いていく(3枚目、2枚目の写真)。

わが家から見ると、満月は北から上がり、翌朝南に沈んでいく。

翌朝日の出の頃には、まだうっすらと空に輝いていた(最初の写真)。 (2023年2月11日)

べレビュー駅

べレビュー駅  べレビュー駅  べレビュー駅
べレビュー駅

べレビュー駅は、ドイツ大統領官邸であるべレビュー宮殿の後方にある。

1875年にベルリン都市鉄道の建設が開始されると同時に、同駅舎の建設もはじまった。駅舎が完成したのは1882年。都市鉄道が開通したの同時期だった。

駅舎は今も、当時と同じように修復されている。その点で、ベルリンのSバーンでは数少ない駅舎だ。

ベルリンの東西を走るSバーン路線はすべて、同駅で停車する。だがSバーン専用駅で、駅にはバスや地下鉄など乗り換ることのできる公共交通はない。 (2023年2月04日)

ホロコースト記念碑

ホロコースト記念碑  ホロコースト記念碑  ホロコースト記念碑
アウシュヴィッツ解放の日

今年も、1月27日がきた。アウシュヴィッツ強制収容所が解放された日だ。

ドイツではこの日は、ナチスドイツの犠牲者を祈念する日となっている。

ブランデンブルク門近くにあるユダ人とシンティ・ロマ、同性愛者の3つの祈念施設には、献花されていたり、若者たちなど市民が集まっていた。

これら施設は単に、ナチスの過去を懺悔するものではない。

2度と同じ過ちを繰り返さないよう、過去を伝えるためにある。 (2023年1月28日)

フリードリヒ通り駅

フリードリヒ通り駅  フリードリヒ通り駅  フリードリヒ通り駅
フリードリヒ通り駅

今年は、ベルリンの駅舎を紹介していきたい。

まず最初は、フリードリヒ通り駅。同駅は、ベルリンの壁のあった当時、東西ベルリンの国境検問所があり、東西ベルリンを行き来する起点だった。

統一後、駅舎は改修され、モダンになった。

駅の横には、1938年から1939年にナチスドイツから鉄道でロンドンに逃れた約1万人のユダ人のこどもたちのことを記録する記念碑が、設置されている。 (2023年1月21日)

バーベルスベルク

バーベルスベルク  バーベルスベルク  バーベルスベルク
バーベルスベルク公園

これまで工事中だったバーベルスベルク公園が、きれいに修復されている。

公園の中にある王宮は、第7代プロイセン王で、初代ドイツ皇帝となるヴィルヘルム1世の夏の宮殿だった。王はここでビスマルクと会談した後、ビスマルクを首相に任命した。

王宮を設計したのは、ドイツ新古典主義の代表的な建築家カール・フリードリヒ・シンケル。公園から見るハーベル川やグリニッケ橋などの景色もすばらしい。

公園は、1990年にユネスコの世界遺産に登録されたポツダムとベルリンの宮殿群と公園群の一部となっている。 (2023年1月14日)

コリーン

コリーン  コリーン  コリーン
コリーン

コリーンという村は、ベルリンの北東部に位置する。中央駅から電車で30分余り。

コリーンの駅から森を30分くらい歩くと、アムツゼーという湖に至る。

その湖の辺りに、修道院がある。修道院は13世紀中頃に設立されたもの。

修道院は廃墟になっていたが、今は修復され、コンサートなどのイベントの場として人気がある。 (2023年1月07日)

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