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友人の男性カップルのところでは、毎年クリスマス前になるとみんなで一緒にクリスマスの歌を唄いながら食事をするパーティーが行なわれる。今年は、待降節の第三日曜日に呼ばれた。
毎年だいたい50人近くが呼ばれるが、いつもほぼ同じ顔ぶれなので、それぞれ齢をとっていく様子もわかる。
今年は、たくさんある本箱の棚に小さな木彫りの人形などがたくさん並んでいるのに気づいた。旅行した時などに買い集めたものだと思う。
大の音楽ファンの二人だけに、楽団の人形が多い。 (2017年12月24日) |
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1年前の12月19日夜、ベルリンの観光名所の一つヴィルヘルム記念教会横で開かれていたクリスマスマーケットに突然大型トラックが侵入、死者12人、負傷者55人を出すテロ襲撃事件があった。
今年も同じ場所でクリスマスマーケットが並び、訪問客で賑わっている。ただトラックが侵入したマーケットの入口エリアには、大きなコンクリートブロックがいくつも並んでいる。
事件以降、ヴィルヘルム記念教会横には犠牲者を追悼するため、ロウソクや花、犠牲者の写真、十字架などが置かれている。 (2017年12月17日) |
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ベルリンの国立オペラハウスが、約7年ぶりに元の場所に戻ってきた。今月7日の創立275周年記念日から、通常の公演が再開されている。
オペラハウスの建物は老朽化が激しかった。そのため、2010年から修復工事が行なわれていたが、予定より4年も長くかかった。その間、公演はお芝居専門のシラー劇場を改造して行なわれていた。
修復工事では、ホールの天井を5メートル高くして、音響をよくした。ぼくが聞いたのはモンテベルディの《ポッペアの戴冠》とバロックオペラだったので、オーケストラの音については何ともいえないが、歌手の声がはっきりよく聞こえるようになったと思う。
なお、工事中の写真は今年4月に工事現場のプレス公開があった時に撮ったものだ。 (2017年12月10日) |
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今日は12月3日日曜日。12月の第一日曜だ。今年は、今日から待降節がはじまる。
待降節とは、クリスマスまで準備する期間のこと。4週間ある。その間、待降節を飾るクリスマスリースが部屋に置かれる。クリスマスには4つのロウソクが立てられており、日曜日がくる毎にロウソクを1本1本新たにつけていく。それで最後の日曜日には、ロウソクが4本つくことになる。
通常、クリスマスリースはモミの枝を丸く編んだもの。3つ目の写真のようなものだ。
先日ベルリン中心にある花屋さんであった待降節の展示会では、リースに伝統的なモミの木を使わずに実験的にいろいろなものが使われていた。たとえば、上の写真は紅茶などに使われる茶色の砂糖で環が造られていた。 (2017年12月03日) |
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ベルリンでは日本と違い、モカやブルーマウンテンなどとコーヒー豆でストレートコーヒーを選ぶことができない。コーヒー豆の種類でコーヒーを注文できるカフェは、ぼくの知っている限りベルリンには1店舗(ウーラント通り)しかないと思う。
そこでは、コーヒーの入れ方もフィルターにするか、サイフォンにするかなど選ぶこともできる。
写真のカフェ「パコラート」も、コーヒーはアメリカンかブレンドコーヒーくらいしか選べない。でも、ケーキはすべて自家製だ。店内ではさらに、いろいろな種類の自家焙煎コーヒーを販売している。
パコラートのあるラウマー通り40番では、1901年にケーキ屋がオープンしているという。パコラートは、その歴史のある場所で2010年にオープンした。 (2017年11月26日) |
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18日、ベルリンでは米国と北朝鮮の関係が過熱して核兵器が使用されるのに反対して、米国大使館と北朝鮮大使館の間を人の鎖で結ぶデモが行なわれた。デモには、700人余りの市民が参加した。
デモは、ドイツのicanやIPPNWなどの市民グループが主催した。
デモの最後には、参加市民が米国大使館のあるブランデンブルク門前に終結して、ドイツのメルケル首相に核兵器禁止条約への署名を要求するなど核廃絶を求めた。
なお、デモには韓国人女性など韓国からの参加が目立ったのに対し、米国と北朝鮮問題で同じく直接の影響を受ける日本人参加者が稀だったのが気になった。 (2017年11月19日) |
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ベルリン・ブランデンブルク門の前に、突如として3台のバスが縦に並べられた。
これは、シリアのアレッポで市民が銃弾から防御するために縦に並べたバスを象徴するためのインスタレーションだ。ドイツ・シリア系芸術家マナフ・ハルボウニによる。
インスタレーションが戦争反対と平和のシンボルになればという願いをこめて考えたのだという。それによって、市民社会においてシリア戦争について対話するきっかけになればという。
バスは、12月26日まで展示される。 (2017年11月12日) |
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写真は、ベルリンの夜空に輝く満月だ。
満月は、地平線から上りはじめた時は大きく、赤く輝いている。上に上っていくにしたがって次第に小さくなり、より白く輝いていく。
写真は、わが家の窓から撮ったもの。 (2017年11月05日) |
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ベルリンのメイン通りの一つウンター・デン・リンデンでは現在、アレキサンダー広場から中央駅をつなぐための地下鉄の工事が行なわれている。
写真は、工事現場を仕切りための囲いに貼られたバナーだ。ベルリンを走る地下鉄の電車がシンボリックに描かれている。
ピジャブ(一種のスカーフ)を着用するイスラム女性、男性同棲愛者、ホームレス新聞を販売するホームレスが同乗しているなど、いかにもベルリンの多様性が表れている。 (2017年10月29日) |
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22日、ドイツ連邦議会議事堂横にあるベルリン・ブランデンブルク門の前で右傾化に反対する市民デモが行なわれた。
これは、9月に行なわれた連邦議会選挙で極右政党「ドイツのための選択肢」が議席を獲得。選挙後はじめての国会が24日に開会されることから、それを前に市民団体が極右政党進出に反対するデモを呼びかけた。
デモには、約1万2000人が集まった。 (2017年10月22日) |
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世界各地で光の祭典が開催されるが、ベルリンでも現在、ベルリン中心にある観光名所などがライトアップされている。
写真は、ナチスの時代の1933年に「非ドイツ的な」本が焼却(禁書)されたベーベル広場の横にあるフンボルト大学の図書館(現在)になっている建物。当時は、国立オペラが広場の横にあることからオペラ広場という名称だった。
広場の地下には、禁書の過去を記憶するため、空になった白い本箱が並んでいる。
ベルリンの光の祭典は、今月15日まで。 (2017年10月11日) |
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昨日5日、ベルリンは強烈な暴風にさらされた。メディアの報道によると、最高120km/hの風速が記録されているという。
地上を走る鉄道やトラム、バスなど、地下鉄以外の公共交通はすべてストップされた。ベルリン中央駅では、帰宅できない人のために列車が緊急宿泊施設として利用された。
わが家の横では、強風で大きな木が2本倒れ、自動車がペチャンコになった。幸い写真ではケガ人はなかったが、ベルリンでは同じように倒れた木で女性一人が死亡した。 (2017年10月06日) |
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今年は、冷夏だったドイツ。その寒さは秋に入っても続き、9月になっても20度を超えた日はほんの数えるほどしかない。
ベルリンの中心では木の葉はまだ紅葉していない。だが少し郊外に出ると、木の葉の一部がすでに赤や黄色に紅葉しているところもある。
写真は、ベルリンの西で、ポツダムとの境界にあるグリニッケ宮殿の敷地内え撮ったもの。 (2017年9月27日) |
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ベルリンの中心を流れるシュプレー川のほとりに、マグヌス・ヒルシュフェルト・ウーファーと命名された沿道がある。
川を挟んで、沿道の斜め向かいに、1919年性科学研究所が設立された。その創立者がマグヌス・ヒルシュフェルトだった。世界ではじめて同性愛者解放運動をはじめた人物だ。
ウーファーには、その歴史を説明するパネルがある。
さらに今年夏には、その歴史を記念するため、虹色の花による記念碑も設置された。 (2017年9月15日) |
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今年のベルリンは冷夏だった。降雨量も例年になく多いという。
それだからだろうか。ベルリン郊外に生息する野生のリンゴの木には、リンゴがなっていなかった。リンゴの木自体に、リンゴがまだほとんどなっていない木のほうが多かった。
写真の木は、例外だ。
甘くはないが、野生の自然の味のするリンゴ。ムースなどにして食べると、とてもおいしい。
でも今年は、それを諦めるしかない。 (2017年9月10日) |
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今年のドイツの夏は、冷夏だ。
それでも、ビアガーデンは大盛況だ。雨さえ降らなければ、夜20度以下に気温が下がっても、ビアガーデンはいつも一杯だ。
今年の夏は雨が多かったこともあって、蚊も多いのがたまにきず。ビールを飲むと、余計蚊にさされやすくなる。
夜は、近所に配慮して22時半までしか屋外に座っていることができない。 (2017年8月26日) |
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昨日12日、現在ドイツに滞在している福島県の高校生8人が、日帰りでベルリンにきていた。
高校生たちは、ドイツの高校で授業を体験するほか、ドイツの再生可能エネルギーの状況を知るためにきている。
ベルリンではたとえば、チ時代に盲人など障害のあるユダヤ人をナ助けたオットー・ヴァイトという実業家の博物館を訪ねた。
博物館前の壁には、「3.11を忘れるなと記された絵」があった。 (2017年8月13日) |
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ノルウェーの石切り場では、6日、彫刻家たちが原爆犠牲者を追悼して石を叩いた(写真、藤原信さん提供)。 (2017年8月08日) |
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今から72年前の8月6日、広島に原爆が投下された。
ベルリン中心の公園にある平和の鐘では、毎年原爆犠牲者を追悼し、核兵器に反対して平和の鐘が鳴る。
追悼式典が終わると、参加者一人一人が写真のように平和の鐘をつく。
前日の晩には、鐘の前にある池で灯籠流しも行なわれる。 (2017年8月06日) |
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絵の真ん中下には、ルターの姿がある。
そのルターの左では、改革についていけない市民がヴィッテンベルクから出て行く
様子が象徴されている。
右下に立つ女性は、一般市民にルターがドイツ語に翻訳した聖書を朗読している。
この絵は、宗教改革が単なる宗教的なものではなく、社会的に大きな変化をもたらした社会改革であったことも示している。 (2017年7月26日) |
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ベルリンから車で北へ2時間ほど走って、プレンツラウという町の近くにある大きな酪農場にいってきた。
ここでは牛5千頭以上が飼育されており、そのうちの半分が乳牛だ。
乳牛は一頭一頭写真のような大きな機械に乗せられ、原乳を搾り出すチューブが作業員によって取り付けられる。原乳は牛が機械に乗って一回りする間、搾り取られる。
農業がいかに産業化されているかがわかる。酪農家は、それでも原乳で利益をあげることが出来ず、赤字経営が続く。 (2017年7月11日) |
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写真真ん中で、人々の前で立って説教しているのが、マルティ・ルターだという。
ルターは500年前に、この教会に「95ケ条の論題」を打ち付けることになる。
それが、宗教改革ばかりでなく、社会を変える大きなきっかけとなる。 (2017年7月04日) |
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絵の真ん中で馬に乗っているのは、トーマス・ミュンツァーなのだという。
ミュンツァーも、当時の宗教改革者の一人だ。
ミュンツァーは当初、ルターを信奉する。しかし、ルターが下層の市民よりは、諸候と妥協しているとしてルターと対立するようになる。 (2017年5月30日) |
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この絵では、ルターがいた時のヴィッテンベルクの様子が描かれている。
写真の中央の行列を見ればわかるように、当時、ルターがいたヴィッテンベルクにおいてもローマ・カトリック教会の影響が強かったことがわかる。 (2017年5月20日) |
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16日、6月17日通りからブランデンブルク門に向けて、中高生たちがヨーロッパ支持、EU支持、難民受け入れ支持のデモを行なっていた。
デモを行なったのは、ベルリンのフリーデンスブルク二次学校(日本でいえば、中学・高校)の生徒たち。校長先生をはじめ、その他先生も一緒で、学校をあげてのデモという感じだった。
デモの企画したのは、生徒有志だという。
日本では考えられないことだと思うが、ドイツの学校教育では普通である。 (2017年5月17日) |
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マルティン・ルターが、宗教改革のはじまりとされる95ケ条の論題を貼り出して500年。当時、ルターが滞在していたヴィッテンベルクでは、今月5月から様々な催し物が企画されている。
その一つが、当時のヴィッテンベルクの様子を描いた360度のパノラマ画だ。建築家で芸術家のヤダマー・アシシのチームによるもの。
パノラマ画には、ルターに関わる当時のエピソードが描かれている。
正面の塔は、ルターが説教をした町の教会だ。
このパノラマ画を、これから5回に渡って掲載する。ルターは、どこにいるのだろうか。 (2017年5月14日) |
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写真は、ポツダム・サンスーシ宮殿公園内にある平和教会の写真だ。
教会は、19世紀中頃にプロイセン国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって建てられた。ただ、初期キリスト教建築(4−7世紀)のバジリカとなっており、中央に大広間の身廊(ネイブ)、その左右に側廊(アイル)がある。
中央にあるキリストのモザイク画は13世紀初期のもので、国王がベニス近郊のムラノで撤去される教会から手に入れたもの。中央祭壇の4本の柱は、ロシア皇帝、ニコライ1世がシベリアから贈ったものだという。
教会はプロテスタント教会で、今も礼拝などに使われている。
今年は、宗教改革500年の年だ。ベルリンとルターが500年前にローマ教会に抗議して95ケ条の論題を打ち付けたヴィッテンベルクで、プロテスタント教会大会が行なわれる。 (2017年4月13日) |
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ベルリン・ポツダム広場の「ソニーセンター」は、オープンしてもう17年になろうとしている。その間、所有者は転々とし、現在は韓国の年金ファンドが所有している。
ただ、建物のシンボルである富士山を形取る屋根は変わっていない。屋根は、夜になると何色にも変化する。
富士山には、神が宿るとされる。山のまったくない平らなベルリンに、神のご加護があるように、神の宿る場所を人工的に造ったのだという。 (2017年4月01日) |
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「ヒッデンゼーア」というビールは、ヒッデンゼーという島でしか飲めない。
島は、ドイツ北東にあるドイツ最大の島、リューゲン島から船で45分北に走ったところにある小さな島。島では、民間の車は走ることができない。
そんな小さな島で、ビールが醸造されているわけではない。ビールは、ドイツ南東端にあるアイバウ(ザクセン州)という小さな町で、特別に造られている。 (2017年03月17日) |
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写真は、ドイツ首相府の記者会見ロビーにある歴代首相のポートレートだ。
戦後ドイツ首相となったアデナウアーからシュレーダーまでのポートレートが展示されている。
首相のポートレートは、70年代に当時のシュミット首相のアイディアで開始されたもの。首相退任後に自らの希望で画家を選ぶことができる。
過去2代のコール元首相とシュレーダー元首相は、自らがそのためのギャラを支払ったという。 (2017年03月06日) |
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写真は、ベルリンにある人形劇博物館で撮った写真だ。ドイツには、人形劇博物館は3つしかないという。その一つがベルリンにある。
ベルリンには、人形劇を興行しているグループが60もあるという。しかし、常設の人形劇劇場は9つしかない。
人形劇は今でこそ子どものものと見られているが、それは19世紀中頃からのこと。元々は大人向けのものだった。人形劇は中世以前からあり、歴史的に見ても最も古い芝居の形態であった。 (2017年01月24日) |
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元旦、ベルリン郊外の湖の畔を散歩した。散歩の後バスに乗ろうとすると、全面に赤い炎の描かれたバスがきた。古いタイプのバスだ。
この路線では、2時間おきにオールドタイマーのバスが運行している。このバスは、70年代にベルリン市内を走っていたバスらしい。
描かれた炎は、「炎のパン」の宣伝。バスの運転手によると、とても目立つことから結婚式の催し物にもよく呼ばれるという。 (2017年01月05日) |
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