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ドイツ植民地展

ベルリンのドイツ歴史博物館では、ドイツ植民主義展が開催されている。ドイツの植民地の歴史を現代への影響まで取り扱った展示だ。

この展示会場は、聴覚障害者と視覚障害者のことを考え、展示パネルに手話のモニター(写真左の上)が組み込まれているほか、床には誘導ブロックが取り付けられている。

ドイツ歴史博物館では、数年前からこうした障害者にやさしい展示を行なっているという。 (2016年10月17日)

反自由貿易デモ

ドイツでは17日、ベルリンなど7つの都市でカナダと米国との貿易自由協定CETA(カナダ)とTTIP(米国)に反対するデモが行なわれた。

ベルリンでは一時豪雨となるなどあいにくの天気だったが、アレキサンダー広場近くの道路約1キロメートルがぎっしりうまるくらいたくさんの市民が集まっていた。

ドイツ市民たちは、自由貿易に反対するのではなく、経済権力が政治や社会を支配することになる協定に民主主義の危機を感じ、反対している。 (2016年9月17日)

洗礼天使

写真は、ベルリン郊外フェアヒにある漁師教会の洗礼天使。

教会は17世紀に建てられたと見られ、プロテスタント教会だ。

洗礼天使は、鎖で天井からつり下げられている。

洗礼が行なわれる時、天使が天井から降ろされる。天使が右手に持つ鉢には水が入れられており、頭に手でその水滴をつける。 (2016年9月04日)

死んだ魚

ベルリンでは、ここ数日急に集中豪雨となるなど、天気が不安定だった。その結果、ベルリンの公園の池や川、運河などで魚が多量に死んでいる。

写真は、ティーアガルテンの池で死んでしまった魚の写真だ。

集中豪雨で降水量が激増すると、下水道ではその雨量を受け入れるだけの容量がなくなる。その結果、下水道から排水が池や川、運河に逆流する。

逆流した排水には薬品が含まれており、それが化学反応を引き起こし、池や川で水が酸素不足となる。それが、魚の死ぬ原因だ。

集中豪雨が人間の生活によるものであるのと同時に、魚の死も人間の生活が原因ということだ。 (2016年8月07日)

ルネッサンス劇場

ベルリンにあるルネッサンス劇場は、ヨーロッパで唯一完全な状態で残っているアール・デコで装飾された劇場だ。

アール・デコは、アール・ヌーヴォーに続いて出てきた装飾の傾向をいう。1910 年代から1930年代に流行したという。

劇場2階の壁は、木片でできた表現主義風の象眼細工となっている。 (2016年8月01日)

庭ハウス

ベルリン市内には、たくさんのガーデンハウスがある。

夕方や週末になると、市民がそこでくつろいでいる。庭の手入れをしたり、バーゲキューをしている姿が見られる。

中には、庭の小人(Gartenzwerge)と呼ばれる人形が庭番をしている。

そこでは、庭の手入れや野菜などを植えなければならないなど規則がかなり厳しい。自治管理組織があって、それを守らないと、注意や警告を受ける。 (2016年5月23日)

夜景

ベルリンの中心を流れるシュプレー川。川の畔には、遊歩道がある。

遊歩道には街灯があり、夜も歩けるようになっている。

夜、その遊歩道を歩いていると、首相府(左)と世界文化ハウス(右)の夜景がシュプレー川にきれいに映し出されていた。 (2016年4月28日)

ゲーリー建築

ベルリンは、建築の宝庫である。ちょっと街を歩いただけで、世界中の建築家が設計した建物が目に入る。

写真は、ブランデンブルク門前のある銀行の内部。フランク・ゲーリーが99年に設計したものだ。

ゲーリーの作品では、スペイン・ビルバオにあるグッゲンハイム美術館などが有名だ。 (2016年4月03日)

ゼンパーオペラ前

ドイツ南東部のドレスデンでは、毎週月曜日にイスラム化に反対するPegiedaのデモが行なわれている。このデモについてはいつも報道され、ドレスデンがドイツの反イスラムデモの中心となっている。

それは事実だが、ドレスデンにもそれに反対している動きがあることはあまり伝えられない。

ドレスデンにあるゼンパーオペラハウスの前には、4本の旗がたなびいていた。旗には、左から「目をあけよう」、「心をあけよう」、「ドアをあけよう」、「人の尊厳は、傷つけてはならない」とあった。

最後のことば、ドイツの憲法となる基本法の第一章の条文だ。 (2016年3月01日)

ブレヒトの別荘

ベルトルト・ブレヒトは戦後47年から東ベルリンで暮らし、49年にベルリーナー・アンサンブルを結成した。56年夏、ベルリンで亡くなっている。

ベルリンの壁ができる前のことだ。

写真は、ブレヒト夫妻の夏の別荘だったところ。東ベルリンの東にあるブッコウというところにある。ベルリンからは、電車で1時間くらいかかる。

別荘は、シェルミュッツェル湖の畔にある。その当たりは、元東ドイツ首脳の別荘が並んでいた。ブレヒトの別荘は、その一番奥の静かなところにある。

ブレヒト夫妻が東ドイツにとって、いかに大切な存在であったのかがわかる。 (2016年1月22日)

わが闘争見開き

ドイツでは、今日8日から書店でヒトラーの禁書「わが闘争」が莫大な注釈付きで再出版されている。70年ぶりのことだ。

これは、版権を所有していたバイエルン州の有効期限が70年後の昨年末で切れたからだ。

ミュンヒェンの歴史研究機関が長い間準備して批判的に注釈を付けたコメント版だ。禁書の再版には賛否両論があるが、学校の教材にすべきだとの意見もある。

戦前は結婚式などでも配本されており、写真はデュッセルドルフであった結婚式で配本されたという原本から撮ったもの。ただ、本は実際には余り読まれていなかった模様だ。 (2016年1月08日)

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