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ベルリンのブランデンブルク門周辺では、大晦日のパーティに向け、準備が急ピッチで進められている。
例年のように、世界各地から100万人の入場者が集まるものと予想される。
ただ、こうしたイベントがテロの標的になるのも事実。入場検査が行われるなど、毎年警備が厳しくなっている。
会場は壁のように背の高い柵で囲まれ、数日前から近づけなくなる。警備員も柵のあちこちに立ち、警備している。
パーティーが終わっても、またひと騒動だ。
花火の残骸やアルコール飲料の空ビンなど、会場周辺はゴミの山。元旦早くから、たくさんの清掃車がフル稼動する。 (2018年12月29日) |
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ドイツのクリスマスは、年間で最も大切なイベントといってもいい。
街のあちこちには、イルミネーションも見られる。夜になると、とてもきれだ。
クリスマスイブは、街中が静かになる。
お店もレストランも、ほとんど午後の早い時間までしか開いていない。買い物は、早く済ませないといけない。25日、26日は、お店はやっていない。
クリスマスイブは、家庭で静かに祝う。夕食の定番は質素に、ゆでソーセージにジャガイモサラダ。
それが、ドイツの伝統だ。 (2018年12月22日) |
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今年も、クリスマスマーケットはたくさんの人でにぎわっている。
ただベルリン・ツォー駅近くのヴィルヘルム記念教会横で行われているクリスマスマーケットでは、2年前の12月19日にあったテロの傷跡が残っている。
クリスマスマーケットは、例年以上に頑丈なブロックで二重に囲まれている。要塞かと思われるくらいだ。テロに使われる可能性のあるトラックなどの大型車両が、クリスママーケット敷地内に侵入できないようにするためだ。
クリスマスマーケットの出入り口には、鉄製の太い支柱が大型車両の侵入を阻止している。ただ、出入り口でのコントロールはない。
敷地内にあるテロ犠牲者の慰霊碑の前では、訪問客が足を止め、犠牲者を追悼していた。 (2018年12月15日) |
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クリスマスまで、後2週間余り。
ベルリンでは、市民はクリスマスに向け、準備で忙しい。もちろん、大切なのはクリスマスツリーとなるモミの木だ。
12月になると、街のあちこちに仮設のモミの木売り場が登場する。モミの木が立てて並べてある。市民はそこから、気に入ったモミの木を買う。
モミの木をそのまま持って帰るのは難しい。そのため、モミの木を網に包めて小さくして持ち帰る。
後は、自宅でデコレーションをつけるだけだ。 (2018年12月08日) |
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銀色の円板の輪が空中に浮いている。重そうな重量感だ。でも、輪は片側で支えてあるだけ。
でも、輪は水平に浮いている。
それは、輪を支えるマストが一定の半径で回っているからだ。そんなに早く回っているわけでもない。輪が水平に保たれるように、計算されているのだと思う。
これは、「フトゥリウム(Futurium)」という将来技術を紹介、体験できるパビリオンの前に設置されている技術オブジェだ。
輪は、いつも浮いているわけではない。週末や朝晩は、細い支柱で固定されている。それが、どう自動で固定されるのか、いずれ見てみたいと思う。 (2018年12月01日) |
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ベルリンの地下鉄U2号線のクロスター通り駅は、1913年7月にオープンした歴史のある駅だ。
ホームの幅がとても広いのが特徴。でもこれは、元々2つあったホームを1つにしたことで広くなったのだという。
駅構内の両壁には、昔の古いバスなどの描かれているホーロー板が取り付けられている。これは、東独時代にベルリン750周年となる1987年に向けて取り付けられたもの。
ホームの北側には、1910年に製造された12号動力車の前頭部が置かれている。動力車とは、地下鉄車両を牽引するエンジンのついた車両のこと。1982年に事故で動かなくなるまで、使われていたというからすごい。 (2018年11月24日) |
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街角に市民の出会いの場をつくるコミュニケーションエリアの第2弾(第1弾はこちら)。今回は、地下鉄ノレンドルフ広場駅前にあるマーセン通りだ。
第1弾のベルクマン通りと違い、道路のスペースを大胆に縮小している。また、コミュニケーションエリアを段違いに左右につくることで、車がスピードを出せないようにしてある。
こどもの遊び場のほか、駐輪場も十分にある。
少し南に歩けばヴィンターフェルト広場があり、広場では毎週土曜日に大きな市場がある。この市場はベルリンでも人気があって、いつも買い物客で賑わっている。
ベルリンでもLGBTの溜まり場で、ベルリンの多様性を象徴している場といってもいい。 (2018年11月17日) |
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昨日11月9日は、ドイツでは「運命の日」といわれる。
1918年11月9日には、ドイツ革命によってドイツ皇帝が退位し、ベルリンで共和国宣言が出される。こうして、議会制がはじまったのだ。
1923年11月9日には、ナチスがミュンヒェン一騎に失敗。ヒトラーは、その後逮捕される。
1938年11月9日は「水晶の夜」といわれ、各地でユダヤ人の店舗やユダヤ教会が放火された。その暗い過去は今も語り継がれ、ユダヤ人個人個人の過去を記録した「つまずきの石」には写真のようにロウソクが灯されていた。
そして、1989年11月9日にはベルリンの壁が崩壊した。
「つまずきの石」については、2018年7月28日のベルリーナールフトも参照。 (2018年11月10日) |
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4月14日のベルリーナールフトで、新築されるオフィスビルによって消えてしまう「世界の木」のことを紹介した。
新築工事は今、建物の構造物である躯体をコンクリートを打って、下から上に1階1階積み上げているところ。それに伴い、「世界の木」も半分以上見えなくなってしまった。
遅くとも、今年いっぱいには「世界の木」は姿を消してしまうと思う。 (2018年11月03日) |
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10月13日、ベルリンではドイツ社会の右傾化に反対するデモが行われた。
デモは「(社会は)分割できない(unteilbar)」をモットーに、外国人やLGTBの市民など、カラフルでいろいろな人々が集まった。
一般市民の参加が目立ち、市民が思い思いの自作プラカードを掲げてデモ行進していた。鼓笛隊や楽団なども入って、ドイツのデモらいしい市民祭の感じ。
主催者は参加者4万人で届け出していたが、主催者発表ではそれをはるかに上回る24万人がデモに参加した。 (2018年10月20日) |
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今年も10月になると、ベルリンでは光の祭典が開催されている。
毎年、ライティングされる場所が新しく開拓されているようだ。
今年は10月としてはとても暖かく、夜にもかかわらず各会場ではたくさんの人がカメラをかまえて撮影していた。
今回は、アレキサンダー広場からブランデンブルク門方法に歩いて撮影。写真は、マリエン教会とテレビ塔、ベルリン大聖堂、フンボルト大学、ドイツ歴史博物館など。 (2018年10月13日) |
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愛らしいガチョウの人形。
からだの前にある口から胴体に風が入って胴体が膨らまないと、鳥らしくならならい。風がないと、お尻が下がったままだ。
風の具合さえよければ、ガチョウが見事に水の上の泳いでいるように見える。
ただ風があればあるで、胴体が左右に揺れるので、これまた写真が撮りにくい。風が強すぎると、まったく話にならず、ガチョウという感じがしなくなる。
ドイツ北東部のヒッデンゼー島で撮影。 (2018年10月05日) |
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10月3日は、ドイツ統一の日。毎年、各州持ち回りで市民祭が開催される。
今年は、ベルリンの番。ベルリンでは1日から3日までの間、ブランデンブルク門前で市民祭が行われる。
ブランデンブルク門前では、2週間前に終わったベルリンマラソン後すぐに、市民祭に向けて準備が開始された。門の前には、いつの間にか旧東独国境警備隊員の写真を拡大した像が立てられていた。 (2018年9月29日) |
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今でこそ、平型の液晶テレビが主流になっている。でも、数年前まではブラウン管型のテレビだった。
写真はブラウン管テレビだが、形からしてかなり古いものにように見えると思う。
これが東ドイツのテレビだった。30年前は、これでも最新で、最高のものだった。
東ドイツの国家安全保障省(シュタージー)が今、シュタージー博物館となっている。当時、そのミールケ大臣が緊急時に宿泊した大臣室で撮影した。 (2018年9月22日) |
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今日朝、第45回目のベルリンマラソンがスタートした。
スタート地点から数キロ先で、カメラを持って待ち構えていた。
晴天だが、それほど暑くないので、いい条件なのではないだろうか。ただ、これから暑くなるのが心配だ。
プロの先頭集団がきたと思ったら、あっという間に広い道路がランナーで一杯になった。
今年は、これまで最高の4万5000人が参加するという。 (2018年9月16日) |
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写真は、わが家から撮った日の出と日の入りの写真だ。
ベルリンの今年の夏は、例年にない暑さで、雨の降らない日が続いた。その分、写真のような見事な朝焼け、夕焼けを見れる日も多かった。
もちろん、時間帯がうまく合わないとそのチャンスを逃したのだが。。。
さて2つの写真、どちらが朝焼けで、どちらが夕焼けだろうか。 (2018年9月08日) |
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ベルリンの地下鉄U1線とU3線のゲルリッツ駅とシュレジェン門駅の間を並行して走るスカーリッツ通り。この辺りは、ベルリンでも移民の割合がたいへん高いところだ。
ベルリンでも忘れられたようなところで、再開発も進んでいない。
麻薬売買の拠点となっている公園もあり、犯罪も多い。ただその荒れた雰囲気が、この地域をおもしろくさせている。
通りに並ぶお店の壁やシャッターは、どこも落書きだらけ。でもその落書きがむしろ、お店に魅力的にするデザインになっている。落書きされることを見越して、シャッターに自ら落書きしているお店もあった。
この汚さはベルリン特有なもの。でも、それがベルリンに多様さをもたらし、ベルリンの魅力ともなっている。 (2018年9月01日) |
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ベルリンのベルクマン通りは、ベルリンの中でも遊歩するのに最も魅力のある通りの一つではないかと思う。
骨董品屋や珍しい商品の並ぶお店。何といっても、カフェやエキゾチックなレストランがたくさん並んでいる。道路両脇の歩道にもテーブルが並び、市民がおしゃべりしながら楽しんでいる。
そのベルクマン通りに、新しいコミュニケーションエリアが誕生した。
通りの駐車場スペースを垣根で囲ったようなスペース。市民が語り合える新しい空間を実験するのだという。
掲示板には、試験的な試みなのでいろいろ意見を寄せてほしいとある。 (2018年8月25日) |
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ベルリンでは、自転車で市内を移動する人が増えている。
自転車専用道路も整備され、朝は自転車通勤、通学する人がたくさん見られるようになった。
自転車専用道路をうっかり歩いていると、歩行者には「どけどけどけ」とわが物顔で飛ばしてくる自転車がとても危ない。
電気自転車も増えてきた。写真は、ドイツポストの郵便配達用の電気自転車だ。
こちらは一軒一軒郵便物を配達するので、早いスピードで乗るわけではない。電気自転車であれば、配達人の負担も軽くなるはずだ。
宅急便も、自転車配送が増えてきた。ただこちらは速さが売りなので、危ないと思うこともある。
小回りがきき、環境にもやさしい自転車。都市の移動、輸送手段としてより大切になっている。 (2018年8月18日) |
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ベルリン中心街で、小さな公園の横にある集合住宅の壁に象が描かれていた。
象は、何をいいたいのだろうか。
象は、地球を愛しているのだ。筆者には、地球の環境破壊を警告しているように見える。
子どもたちは、この絵を見ながらサッカーやバスケットボールを楽しんでいる。子どもたちは、この絵をどう思うのだろうか。
公園は、ユダヤ系ドイツ人作家テオドーア・ヴォルフにちなんで命名された。
ヴォルフはナチ時代にフランスで拘束され、ベルリン郊外にあるザクセンハウゼン強制収容所に収容された。その時思い感染症にかかり、ユダヤ人病院で死亡している。 (2018年8月10日) |
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17番線。
ベルリンのSバーン、グルーネヴァルト駅構内には、特別にこの番線標識がかけられている。
1941年10月18日から1945年1月5日までの間、5万人以上のユダヤ人がこの駅からゲットーや強制収容所に移送された。ベルリンからは、アウシュヴィッツとテレージエンシュタットへ最もたくさんのユダヤ人が運ばれたという。
そのために最も使われたのが、17番線だった。
ホームの両脇にある鋼鉄の敷板には、何月何日に何人のユダヤ人がどこに移送されたかが、記録されている。
これは、当時ユダヤ人を移送していた帝国鉄道の後継であるドイツ鉄道が1998年に設置した記念施設だ。
今も毎日のように、訪問客が訪れている。 (2018年8月04日) |
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メロリー家は、19世紀末にポーランドからベルリンに移民してきたユダヤ人家族。ベルリンで9人のこどもに恵まれ、平穏に暮らしていた。
しかし1938年10月末、突然いわゆる「ポーランドアクション」でポーランドへ強制送還される。
息子の一人マルティンは、妻と娘3人をフリードリヒ通り2番地に残していく。妻と娘はベルリンで、迫害されて生きていた。
1943年、娘たちが拘束され、強制労働させられる。でも運よく逃亡でき、生き延びた。
マルティンの家族の歴史を刻んだ「つまずきの石(Stolperstein)」が、家族参列の下、フリードリヒ通り2番地の前に埋められた。
メロリー家の歴史は、ベルリン自由大学の学生たちが「ポーランドアクション」の研究過程において偶然見つけたものだった。
「つまずきの石(Stolperstein)」については、2015年11月09日のベルリーナールフトを参照。 (2018年7月28日) |
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ドイツのメルケル首相は毎年、夏休みに入る直前に記者会見を行い、内政、外政問題の質問に答えている。今年も、恒例会見が7月20日に行われた。会見は、1時間半近く続いた。
今年のメルケル語録から2つ。
• 事実とともに議論して対抗するしかない。その時には、ことばがたいへん重要だ。でも、ことばが崩壊してきているのが問題だ(右翼ポピュリズムについて)。
• ドイツには、ナチスという過去がある。ドイツは、その過去からたくさんのことを学んできた。これからも、そうしていかなければならない。現在も、過去から学んできたことを基盤に決断するのが大切だ。 (2018年7月21日) |
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ベルリンの中心街で、珍しいものを見つけた。
消防署に火災を通報する火災報知機だということは、すぐにわかった。でも、いつ頃のものなのか、わからない。ただ、かなり古いものであることは確かだ。
ネットで調べたところ、ベルリンでは1886年にはじめて、公共の広場などにこの種の火災報知機が設置されたという。
地下に専用回線があったとみられる。
側面一杯に、いたずらは罰せられるとある。当時も今も変わらない。 (2018年7月14日) |
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ベルリンでは、ここのところ雨の降らない日が続いている。かなり乾燥しきっている。
ベルリン周辺のブランデンブルク州では、すでに火災警報が出ている。森では、火事が起こったりしている。
先日、偶然にもわが家の窓からベルリンの空に入道雲が広がっているのが見えた。ただ雲がこう白いと、雨は期待できない。
真っ黒な雲が広がって突風がくると、嵐の前兆だ。ひどい時は、排水溝が溢れてあちこちで洪水となる。
こうした異常な天候が、増えてきた。 (2018年7月07日) |
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ベルリン西部の中心を歩いている時に、裏通りに入った。
小さな公園があり、ベルリン中心街といっても住宅街だ。
少しして目に止まったのが、この古い建物。この建物だけが、周りの住宅と違って廃墟のように古いまま残っている。
外壁にある看板からすると、"Alt Berlin(古いベルリン)"という酒場があったところのようだ。ビール酒場だったのだと思う。
入り口の両脇には、1930年代を思わせるような男女の看板もかけられたままになっている。 (2018年7月01日) |
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ベルリン中心にある公園ティーガルテンで見た鳥を、これまでもう何回か取り上げてきた。今年は、例年になくたくさんの鳥がいるように思う。
先日も、たくさんのツバメが飛び交っていた。ひなから育って飛べるようになった若鳥たちだと思う。
まだ飛んでいる範囲は狭いのだが、たくさんいるのでビーチクパーチクとうるさいくらいだ。
飛べるようになった若鳥たちも、こうして一歩一歩新しい世界を学んでいるのだと思う。 (2018年6月23日) |
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イスラム教の礼拝堂モスクには、女性はスカーフで髪を隠していないと入れない。礼拝も、男性と女性が別々にするのが普通だ。
ベルリンでは、こうしたイスラム教の男女差別をまったく廃止し、すべての市民に解放されたリベラルなモスクができてちょうど1年になる。
もちろん、イスラム教の宗派は問わないし、同性愛者であっても問題ない。アッラーの前ではすべての人が平等なので、ウラマーといわれる指導者も、希望すれば誰にでもなれる。
モスクは、ドイツの作家ゲーテとイスラム哲学者のイブン・ルシュドの名前をとって、イブン・ルシュド・ゲーテ・モスクという。
設立の中心になったのは、弁護士で女性の権利を守る活動をしているトルコ人女性、セイラン・アテシュさん。
アテシュさんによると、モスクのオープン直後にはかなりのいやがらせや妨害があったという。自身も現在、常に警官数人に護衛されている。ぼくもモスクに入る時に、入口で警官に記者証を見せなければならなかった。礼拝堂でも、警官が監視していた。
キリスト教では、ルターの宗教改革から500年。イスラム教でも、改革がはじまろうとしているのだと思う。 (2018年6月16日) |
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わが家から歩いて数分のところに、ティーアガルテンという公園がある。そこには、アオサギが生息している。毎年、数匹いると見られる。公園内の池の畔に優々しく立っている姿が見事だ。
わが家のベランダからは、アオサギが飛んでいる姿を見ることもある。
先日は、そのティーアガルテンに黒い黒化アオサギがいた。まだ若鳥のように思われる。黒化ははじめてだ。
そっと一歩一歩近づいては、シャッターを切った。だが、そのうちにアオサギは飛び去ってしまった。 (2018年6月09日) |
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ドイツでは、2015年のような難民の流入の嵐は一段落した。でも、まだ毎日のように難民が庇護を求めてドイツにきている。
前バイエルン州首相のドイツ内務大臣は、バイエルン州ですでに実施されているように難民を大きな施設に閉じ込めて強制送還を早めたい意向だ。だがそれに対しては、大きな施設では人道的ではないとして反発も大きい。州によっては、政府の計画を無視する州もある。
ベルリンもその一つ。現在、ベルリンにきた難民はまず元テンペルホーフ空港内に設置された施設に数日間収容され、健康のチェックなどを受ける。その後、難民申請をするために写真にある役所にくる。施設には、数十人の通訳が常駐。
そこで、身元確認、難民登録、難民申請を行なった後、ドイツ各地にある難民収容施設に割り振られる。ベルリンに残れるとは限らない。 (2018年6月02日) |
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今年も、ベルリン中心部にある公園ティーアガルテンではカナダガンの親子の姿が見られる。
カナダガンは元々北米に生息する渡り鳥ということだが、ヨーロッパでは渡り鳥でないものが多いらしい。ティーアガルテンでも、冬の寒い時以外はほぼ年中見かけることが多い。野生として、公園に定着しているのではないかと思う。
なお日本では、カナダガンは外来生物法に基づく特定外来生物に指定されており、飼養が禁止され、法的に防除の対象になっているということだ。環境省は2015年12月、根絶して国内でゼロになったとしている。 (2018年5月26日) |
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ベルリン中心部にあるティーアガルテンという大きな公園では、今シャクナゲが満開である。
ティーアガルテンには、シャクナゲだけが集中的に植えてあるエリアがあり、そこは今頃になると、シャクナゲがいつ咲き出すのかと楽しみになる。
花の色によって、咲き出す時期に多少のずれがある。今満開なのは赤紫色の花で、その花が一番遅く咲き出す。
シャクナゲは小川の畔にも植えられており、新緑の中に包まれたシャクナゲの花はより神秘的な感じになる。 (2018年5月19日) |
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1966年2月5日、西ベルリンにあるアメリカハウス前には約2500人の学生が集まり、ベトナム戦争に反対して座り込みのデモをした。卵も投げ込まれたといわれる。
これが、当時の西ドイツで戦後はじめて行なわれた学生デモだった。そして、それが西ドイツの68年学生運動へと発展していく。
学生運動に参加する学生はごく少数派で、当時はまだ、保守的な一般社会から「浮浪者」扱いされていた。
その運動が、西ドイツ社会の将来に大きな影響を与えることになるとは、一体誰が予想していただろうか。
今年はその学生運動から、50年となる。 (2018年5月12日) |
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ベルリン郊外のヴェルダー(Werder)には、果樹園がたくさんある。りんごや桜、西洋ナシなどの木が栽培されている。
果実は販売されるばかりでなく、果実からリンゴワインやサクランボワインなどの果樹酒も生産される。
4月末から5月はじめにかけては、ちょうどその果樹が花を咲かせる頃。地域全体で果樹祭が行なわれ、ベルリンに帰る電車は果実酒でべろんべろんに酔っぱらった乗客で一杯になる。
写真は、桜園を撮ったもの。桜の花は、ちょうど1週間前に散ったばかりだった。でも桜園には、のどかに自然を楽しむ市民が集まってくる。
6月になると、今度はサクランボ狩りの季節だ。 (2018年5月05日) |
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写真は、ベルリン産のハチミツだ。
なぜ都会でハチミツが獲れるのかと、疑問に思うかもしれない。でも今、都会産のハチミツがいい。ベルリンでは、ホテルやビルの屋上などにも養蜂場ができている。
ベルリンは緑の多い街で、ボタイジュなどたくさんの木がある。さらにバルコニーにもいろいろな花が植えられている。そのため、ハチミツの種類が多様で、よりこくのあるいいハチミツができるという。
それに対し、農場や草原にある花は単一化されているうえ、農薬でハチが少なくなってきている。それが、植生や農業に影響を与える心配もある。
でも、都会では農薬が使われておらず、ハチは減るどころか、増える傾向にあるのだという。 (2018年4月28日) |
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テトラパックは、牛乳やジュースなど飲料物の紙容器として使われている。
ただ紙容器といっても、紙の表面が合成樹脂などで表面加工されていることから、リサイクルが難しいとされる。
ベルリンを走る電車Sバーンのガード下には、写真のようにテトラパックを植物の『鉢』のように使っているところがあった。
定期的に植物に水をやりにくる市民もいるらしい。 (2018年4月21日) |
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写真の絵は、1975年にドイツ人アーティスト、ベン・ヴァーギンが建物の外壁に描いた「世界の木」だ。当時は、環境破壊が問題になりはじめた時代。木が産業によって破壊されることを警告して叫んでいるのだという。
外壁に描かれた作品としては、ベルリンでも最古のものだと見られる。
ところが、写真からもわかるように、昨年末からその前で建設工事がはじまった。32メートル高のオフィスビルがその前に建つのだという。これから工事が進むにつれ、世界の木はもう見れなくなる。
そのため、来月の5月5日にこの世界の木が中央駅近くの外壁に『移植』されることになった。その時には、88歳になったベン・ヴァーギンも手伝うという。
それを機にベルリンでは「ベルリン外壁祭」が開催され、世界各国から100人近くのアーティストが集まり、それぞれが外壁に作品を描きだす予定だ。 (2018年4月14日) |
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ドイツ南西部のシュツットガルトでは現在、中央駅の改造・増築工事「シュツットガルト21」が行なわれている。
このプロジェクトは、シュツットガルトとその周辺の鉄道路線を大幅に拡大して、効率よく利用できるようにすることを目的としている。
ただ地元住民は、その効果はないとするほか、自然保護上の問題も指摘し、大きな反対運動が起きた。たとえば2010年9月には住民のデモ隊が警官隊と衝突して、住民一人が失明するという事件も起きた。
2011年11年の住民投票でプロジェクトの継続が決まったものの、住民側が恐れていたように工事費用も当初の予想の倍に膨れ上がり(1兆1000億円相当)、工事も大幅に遅れ、現在のところ竣工は当初の2019年末から2025年となる見込みだ。
シュツットガルト21反対運動が市民社会にもたらした影響も大きく、その後シュツットガルトでは住民の自治意識が強くなり、たくさんの住民イニシアチブが生まれている。 (2018年4月03日) |
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旧東ドイツにおいて、反体制派として弾圧されたロベルト・ハーフェマン。
当初体制を支持する化学者であったハーフェマンだが、体制に批判的なインタビューを西ドイツの新聞にしたことで、党から追放され、大学教員の職も失った。その後、就業も禁止され、自宅に監禁される状態が続いた。
東西ドイツ統一後、東ドイツにおける反体制派運動を記録して残すためのロベルト・ハーフェマン協会が設置された。
協会の資料室には、写真のように、反体制派活動家毎にその人物に関連する資料がたくさん保管されている。
旧東ドイツ社会を記録する貴重な宝庫といっていい。 (2018年3月26日) |
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ドイツ南西部、シュツットガルトの北にあるネッカーヴェストハイム原発では、フクシマ原発事故日の3月11日、反原発デモがあった。
主催者によると、地元周辺地域から全体で800人が参加した。ただ、参加者は例年に比べて減る傾向にあるという。
ネッカーヴェストハイム原発には、加圧水型炉が2基ある。そのうちの1基はフクシマ原発事故後に停止され、もう1基は2022年末までに停止される予定だ。 (2018年3月13日) |
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ベルリンはここのところ、零下となる日が続いていてとても寒い。
冬のスズメは「ふくらスズメ」といわれ、丸々と膨らんでいる。これは、スズメが渡り鳥ではなく、常に同じところで生活していることから、寒くなるとからだの羽毛を膨らませて防寒対策しているのだという。
「福」がくるとか、もたらすすずめとして縁起がいいともされる。
はて、その効果はベルリンでもありや? (2018年2月24日) |
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ベルリン中心を流れるシュプレー川畔の遊歩道に、写真のようにきれいに刈りとられた木が3本ある。
そんなにいつも手入れがされているとは思わないが、『散髪』されてまもないような感じになっている。
今は冬で寒いので、芽を出さずに静かに春を待っているのかもしれない。 (2018年2月19日) |
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この2月4日は、1961年8月13日に東西ベルリンの国境が封鎖されてベルリンの壁ができ、1989年11月9日に崩壊するまでと、それからの年月がちょうど同じ日数になった日だった。
現在は、ベルリンの壁が存在した日数よりも、なくなってしまってからのほうが長くなったことになる。
それを前後して、地元の歴史研究が1961年8月13日の国境封鎖当時建設されたと見られる元祖ベルリンの壁を見つけたと発表した(写真)。元祖は、Sバーンのシェーンホルツ駅のすぐ脇にある。
ただベルリン市の史跡保護局は、壁の位置が西ベルリン側に近すぎないかとも見ており、今後の調査が待たれる。< (2018年2月10日) |
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シュプレー川の畔を歩いていると、鉄道橋を支えるコンクリートの柱にきれいにはっきりと描かれた落書きがあった。その近くにある渡り橋には、モザイクで人の顔を描いたものもあった(4枚目の写真)。
ベルリンには、至る所に落書き(グラフィティ)が見られる。ただ、それを単にヴァンダリズムだと規定してしまうには難しいところがある。ヒップホップ文化の重要な要素になっていることも見逃してはならない。
実際、建物の壁に意図的にきれいに描かれた『作品』もある。 (2018年2月03日) |
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27日、ベルリンの在独日本大使館前で捕鯨とイルカ追い込み魚に反対するデモ集会があった。デモを企画したのは、Aktion Fair Playという動物保護団体。70人ほどが集まった。
毎年ベルリンで日本フェスティバルが開催されるのを機会に、日本大使館からフェスティバル会場までデモをし、フェスティバル会場でビラをまくのだという。今年で6回目。
日本は大好きだか、これだけは許せないという女性もいた。
捕鯨を妨害するシーシェパードの会員なども参加することから、日本大使館はデモに近づかないよう事前に警告メールを流していた。だがデモは、女性が中心で、歩行器で歩く老婆やこども、犬などが和やかに参加していた。 (2018年1月27日) |
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ベルリン・アレキサンダー広場にあるテレビ塔は東ドイツ時代に建設されたものだが、今は統一ベルリンのシンボルのようになったともいえる。
全長368メートルだが、展望階とレストランのある丸い部分は200メートルほどの高さしかない。
だが冬になると、天候によってはガスがでやすく、テレビ塔が全く見えなくこともある。また雲が低い位置を流れると、その丸い部分が雲に覆われて見えなくなることもある。
夜は、その時々によって赤い警告灯以外にイルミネーションで装飾される。 (2018年1月20日) |
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ベルリン郊外の湖の畔を散歩していると、ヤドリギを見つけた。ヤドリギは、樹木の枝なのに寄生して成長する珍しい植物だ。
冬になれば樹木が落葉しているので、冬のほうがヤドリギを見つけやすい。
冬の寒い時でも、ヤドリギは常に緑の葉をつけている。それが、縁起のいい植物だとか、神聖なパワーを持っているとされる所以なのだろうか。
ドイツでは、ヤドリギの葉を乾燥させて煎じて飲めば、抗がん的な効果があるともいわれる。 (2018年1月13日) |
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大晦日が近づくにつれ、ベルリンの花屋さんの店頭には、四葉のクローバーや煙突掃除屋さんの人形、あるいは豚の人形を組み合わせた飾り物が並ぶようになる。
これらはみんな、幸運をもたらすシンボルなのだ。たとえば豚は、実りをもたらすもの。つまり、土地が肥えるとか繁殖力がある(妊娠する)ことを象徴しているともされる。
昔の貧しい時代には豚のような肉を食べることがまれで、肉は新年などお祝いする時にしか食べる機会がなかった。だから、豚は豊かさを求めるシンボルでもある。
煙突掃除屋さんには火事にならないように煙突を掃除してもらう必要があることから、火事にならないことを願うシンボルでもある。
ドイツでは新年を前に、こうした幸運をもたらすシンボルを送ったりする。 (2018年1月07日) |
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カウントダウンとともに、新年になるとベルリンの夜空には至るところに花火が打ち上げられました。
写真は、例年のようにベルリン・ブランデンブルク門から打ち上げられた花火の写真です。
ベルリンでは毎年、全体的に花火の数が減っていくように感じます。花火があちこちで打ち上げられる時間も短くなったようにも感じます。
毎年、あちこちで花火が原因で火事もありますが、今年はどうか。 (2018年1月01日) |
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