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ベルリンでは、クリスマスになって冷え込んだ。
日中も気温は零下。特に25日夜から26日の明け方が寒く、零下10度近くとなった。
天気は快晴。大気もいつもになくすっきりときれいで、淀んでいなかった。星がはっきりと、たくさん見えた。夜景もはっきりとしていた。
アレキサンダー広場のテレビ塔と戦勝記念塔の金色の勝利の女神がライティングがいい。 (2021年12月26日) |
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クリスマスまでもう後1週間。
ドイツでは、デルタ株による感染がなかなか収束しない。クリスマスパーティーも、ワクチンを接種していない人がいると、人数制限される。
個人で集まる時にはワクチン接種してあっても、自主的に事前に抗原検査をして万全を期す場合もある。ぼくも先日、友人のところに集まる時にみんなでそうすることにした。
写真は、ブランデンブルク門前ウンター・デン・リンデンのクリスマスのイルミネーションだ。こちらは、いつも通りだ。 (2021年12月18日) |
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明日はもう、待降節といわれるクリスマスの準備期間の3回目の日曜日。クリスマスも間近だ。
ベルリンの大きな書店の前には、クリスマスプレゼントを用意する人たちが長い行列をつくっていた。店内には、ワクチン接種の済んだ人か、コロナから回復した人しか入れない。そのため、入り口で厳重にチェックされるからだ。
今回は静かに、屋外のクリスマスツリーだけを並べてみた。写真は順に、大統領府、首相府、連邦議会、ブランデンブルク門前のクリスマスツリー。 (2021年12月11日) |
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ドイツはで今、デルタ株が猛威を振るっている。今年も、コロナ禍のクリスマスシーズンとなった。
一部の州では、クリスマスマーケットの開催が禁止。ベルリンでは開催されているものの、入場はワクチン接種者とコロナ回復者だけに限定される。ただ会場の入り口では、抜き打ちでしか検査されていなかった。
会場内では、マスクの着用が義務つけられる。でも飲み食いするので、その時はマスクを外すしかない。
たくさんの人なので、人との距離を十分にとることもできない。 (2021年12月04日) |
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ベルリンは、性的多様性に寛容な街だと思う。
LGBT指向のある市民の集まるノレンドルフ広場やモッツ通りの周辺では、レンボーフラッグやレインボーの色があちこちに見られる。
写真は、地下鉄の車両、バス停、本屋、薬局の順。その他にも、アクセサリーショップ、カフェ、ホテルなど地区全体が、レインボーの色で装飾されている。
LGBTを可視化している。ノレンドルフ広場駅のガード下にはこの時期、LGBTクリスマスマーケットもたつ。
とはいえ、ベルリン全体がLGBTに寛容なわけではない。LGBT指向者に対する暴力もある。 (2021年11月27日) |
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ベルリンは、緑の多い都市だ。
晩秋になると、たくさんの落ち葉が落ちている。ぼくはその上を歩くのが好き。こどもになったような気分になる。
ただそれを、集めて撤去するのもたいへんだ。
路上の落ち葉は、清掃局が回収する。中心にある大きな公園ティーアガルテンでは、緑地課の職員が送風機で落ち葉を集める。
回収された落ち葉は、最後の写真にあるように集めてコンポスト化され、後で肥料として使われる。 (2021年11月20日) |
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ベルリンの信号機には、まだ2種類の信号マークがある。
最初の写真が、元々西ベルリンで使われていたもの。西ドイツではまだ、このマークが多いかもしれない。その後が、統一後東ドイツから「輸入」されたものだ。
ベルリンではもう、ほとんど東ドイツのマークしか見なくなった。西ドイツのマークは貴重品だ。
ぼくは統一後の1992年、信号マークはデザインのユニークさから、東ドイツのものに統一すべきだというエッセーを書いたことがある。現実としてそうなってきた。
東ドイツのマークは「アムペルマン(信号ボーイ)」として、お土産のヒット商品ともなっている。 (2021年11月13日) |
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東ドイツから持ってきたいものと聞かれると、その一つにコンノプケのカレーソーセージを挙げたい。
コンノプケは1930年にオープン。第二次世界大戦、社会主義体制、統一、資本主義の荒波を体験してきた。カーレーソーセージ中のカレーソーセージといってもいい。
東ドイツ時代はケチャップがないので、自家製ケチャップだった。でも当時のケチャップは、こんなに赤くなかったと思う。
もう一つ、当時と違うことがある。
今でこそ、カレーソーセージにフライドポテトが欠かせない。でも当時は、シュリッペといわれる小さなパンと食べるのが定番だった。 (2021年11月06日) |
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ベルリンは秋だー。
ベルリンは緑の多いところ。その緑があちこちで、赤や黄色に紅葉している。
ここ数日は、すがすがしい秋晴れが続いている。それほど寒くはない。でも朝晩は暖房がないと、ちと寒い。
朝はもう、7時ではまだ薄暗い。明日から冬時間になるので、朝はさらに暗い時間が続く。
夕方も早く暗くなるので、これからが試練。もう春が待ち遠しい。 (2021年10月30日) |
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2日前の21日には、ドイツ各地で秋の暴風が吹き荒れ、被害が出た。ベルリンでも嵐となったが、それほどの被害はなかったようだ。
わが家のベランダでは、大きな鉢一つが風でベランダの内側に落ちた。幸いにも、植物もハチもほぼ無事だった。
嵐がひどくなる前、その日の朝は、雲がすごいスピードで流れていた。動画が左から右に流れ、雲のコンサートでも行われているような気分。
そういえば、ベートーヴェン交響曲第6番『田園』の4楽章は、雷雨と嵐がテーマだった。 (2021年10月23日) |
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ベルリン中心にある大きな公園ティーアガルテンで、アオサギを見かけることがあるのは、すでに何回も取り上げた。
先日そのティーアガルテンで、アオサギと遭遇する。
アオサギはちょうど池から上がろうとしているところ。ぼくを見かけると、片足をあげたまま動かず、躊躇するようなしぐさを見せた。
ぼくが静かに動かないでいると安心したのか、道に上がってブッシュに入っていく。
アオサギが『陸』に上がって、堂々と道を『横断』するのを見るのは、はじめてだ。 (2021年10月16日) |
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ベンチに本が並べてあった。それも、とても意外なところに。
「もういらなくなったので、差し上げます」ということなのだと思う。
ベンチは、地下鉄の駅のホームにある。本には似合わない気がする。でもここなら本は、雨が降っても濡れない。
本はいらない、と思って立ち去った。
でも今から思うと、クララ・シューマンの『ベルリン花日記』という本をもらっておけばよかった、と後悔している。 (2021年10月09日) |
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明日10月03日は、東西ドイツ統一の日。統一して31年となる。
東ドイツの首都(東)ベルリンには当時、それほどたくさんの映画館がなかった。インターナショナル、バビローン、コロッセウム、トーニの4つが主な映画館ではなかったと思う(写真もこの順に並べてある)。
その4つの映画館は統一後も、資本主義の荒波にさらされながらも、それぞれ特徴を持たせて営業を続けてきた。
ただコロッセウムだけは、昨年5月コロナ禍によるロックダウンで営業を休止せざるを得なくなり、破産。周辺住民が存続を求めて署名運動もしたが、叶わなかった。 (2021年10月02日) |
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9月24日、2日後に行われるドイツの連邦議会選挙を前に、ドイツでは若者たちが早急な気候変動対策を求め、ドイツ全体で約500カ所でデモ集会が行われた。
若者のグループFridays for Futureなどが主催した。
警察の推計では、ベルリンだけでも3万5000人が参加したという。若い世代のことを考えて投票してほしいと訴えた。
ベルリンのデモには、スウェーデンからグレータさんも参加。先頭に立ってデモ行進した。グレータさんは集会で、「選挙は必要。でも、デモに出て戦おう」と訴えた。 (2021年9月25日) |
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NOTES OF BERLINというブログがある。ベルリンから発信されている。
市民が巷にはった張り紙を写真に撮って、公開している。ブロガーは、ドイツ南部ミュンヒェン出身。張り紙から、ベルリンの生活を伝えたいのだという。
主宰するブロガー以外も、写真を投稿することができる。
その張り紙を集めたポスターが、ベルリンの地下鉄U5号線シリング駅で展示されている。
張り紙に書かれた文字を読んでいくと、とても生活臭が感じられていい。 (2021年9月18日) |
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クレアヘェンの舞踏ハウスは、今から108年前の1913年9月13日にオープンした。それが今も、当時のまま残っている。
戦前の金融恐慌、戦争、社会主義体制、ドイツ統一、コロナ禍の波を乗り越えてきた。
今前庭を中心に、レストランとして営業されている。そこには元々、住宅の建屋があった。それは、戦争で破壊された。
「クレアヘェン」とは、「クララ」という女性の名前の愛称。設立者の連れ合いの名前だった。設立者が亡くなった後、「クレアヘェンの舞踏ハウス」といわれるようになる。
舞踏ホールでは今も、ダンスのコースも行われている。 (2021年9月11日) |
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ベルリンでは今、選挙戦真っ最中。9月26日に、ドイツの国政総選挙となる連邦議会選挙とベルリン市(州)議会選挙の投票がある。
選挙では日本と違い、街のあちこちに選挙ポスターが乱立する。街灯のほとんどのマストには、所狭しと選挙ポスターが幾重にも取り付けられる。
ポスターをはる場所取り合戦も激しい。ポスターへの落書きもある。台板が折られて、ポスターが曲がっていることもある。
選挙ポスターに落書したり、シールをはるのも、すべて器物損壊の罪だ。しかしポスターがこれだけあると、十分に取り締まることなんかできないと思う。 (2021年9月04日) |
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この建物、「ネズミのシェルター」ともいわれる。野蛮主義建築の建物。斬新だ。60年代後半に設計され、完成したのは81年になってから。
元々、ベルリン自由大学の動物実験施設として使われていた。その後、シャリテェ大学病院の実験医学研究所の建物となっていた。
しかし大学病院側は、老朽化とアスベスト汚染から取り壊しを決定。研究所はすでに新建屋に移転した。
しかし取り壊し決定後、国際的に野蛮主義建築の代表作として保存するべきだとの声が高まる。
最終的には今年2021年はじめ、文化財保護物件に認定された。もう取り壊せない。現在、利用方法が議論されている。 (2021年8月28日) |
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昨年末のベルリーナールフトにおいて、ベルリンの地下鉄U5号線のアレキサンダー広場駅とブランデンブルク門駅の間が開通したことで、新駅ができたことについて書いた。その中では、博物館島駅だけがまだ完成していなかった。
その博物館島駅も半年遅れて完成した。
駅構内線路上の丸天井では、19世紀前半に活躍した建築家カール・フリードリヒ・シンケルがモーツァルトのオペラ『魔笛』の舞台用にデザインした舞台美術がモチーフになっている。
丸天井には、全部で6600余りの光点が埋め込まれている。
なおシンケルの『魔笛』の舞台美術は、今もベルリン国立オペラの『魔笛』の舞台美術としても使われている(エファーディング演出)。 (2021年8月21日) |
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連邦議会議事堂の横で現在、連邦議会の建物をめぐる歴史について伝えるマルチメディア・スライドショーが行われている。ドイツ帝国からナチス時代、東西ドイツ分割から統一までと、そして現在までの歴史が描かれている。
連邦議会のプロジェクトで、ドイツの近代史を描くとともに、議会制民主主義の意義について伝える。
これは正直いって、脱帽だった。6月21日から統一の日の10月3日までの3カ月半、毎日、政治教育が行なわれているといっていい。
期間中暗くなる時間に差があるので、日が経つにつれて開始時間が早くなる。
ぜひ、見てもらいたい。 (2021年8月14日) |
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総合文化施設「フンボルトフォーラム」のおすすめは、パノラマビデオ。中世の修道院から現在までの施設のある土地の歴史が描かれている。
最初の写真2枚は、東ドイツ時代の共和国宮殿とその前にあったパレード場(いずれもパノラマビデオから)。
3枚目の写真は、共和国宮殿にあった照明具の複製だ。ショップで、2500ユーロ(約30万円)で買える。
パノラマビデオは、そのショップの後方並びに入り口がある。 (2021年8月07日) |
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総合文化施設「フンボルトフォーラム」のある場所では、まず中世に修道院が建った。その後ベルリン王宮が建ち、何回か改造されながら、戦争で破壊されるまでの形になった。
その戦争までの過去の歴史が、跡に残った基礎で見ることができる。フンボルトフォーラム建設前に考古学調査が行われ、それがフンボルトフォーラムの地下で公開されている。旧ベルリン王宮の木製杭打ち棒や当時の像なども一部保管され、館内で展示されている。
ぜひ、見て欲しいと思う。 (2021年7月31日) |
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元ベルリン王宮の外壁を再建してつくった総合文化施設「フンボルトフォーラム」が2021年7月20日、オープンした。建物自体は昨年末に完成していたが、コロナ禍で建物はまだ公開されていなかった。
開館後、100日間は入場無料。だた展示と日によっては、事前に入場時間の指定されたチケットを入手しておいたほうがいい。館内では現在、FFP2マスクなど医療マスクの着用が義務つけられる。
展示はすべて、オープンされているわけではない。植民地主義時代にドイツがアフリカなどで集めた文化財は、9月に公開される。
施設は単なる博物館ではなく、国際文化と科学について交流、対話する場として、いろいろなイベントも企画される。 (2021年7月24日) |
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パスポートは、中世からあったのだそうだ。近代になって国家があちこちに誕生すると、パスポートの数が俄然増えた。
パスポートは、どの国に所属するかを証明するものだと思われている。でもパスポートを持っているのは、パスポート発行国が自分を保護してくることを保証することでもある。
逆にパスポートを持っていることで、差別や追放、迫害される対象となる危険もある。ナチスの時代には、パスポートにユダヤ人だと記述され、ユダヤ人は迫害された。
パスポートが、歴史の一コマを語るものであるのは間違いない。そういえば、ぼくの昔のパスポートは、東ドイツのスタンプだらけだった。 (2021年7月17日) |
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ベルリンは、水の街でもある。周辺に湖がたくさんある。街の中心には、シュプレー川も流れる。それぞれがさらに、運河でつながっている。
写真のラントヴェーア運河は、産業革命後に増えた物資輸送を緩和するため、19世紀前半に計画された。シュプレー川を迂回する運河だ。
「ラントヴェーア(Landwehr)」とは、元々は中世の国境防塞の意。ラントヴェーア運河は、当時シュレージエン門とハレ門の間にあった外壁の堀に由来するという。
全長10キロメートル余り。ただ現在、船は運河の一部しか通行できない。写真のようにカヌーや手で漕ぐボートなどであれば、利用できる。 (2021年7月10日) |
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ベルリン中心の公園ティーアガルテンに、ガス灯の屋外博物館がある。ドイツ各地にあったガス灯が集められ、公園の一角に並んでいる。
ガス灯の支柱には、どこからきたものか書かれたプレートもつけられている。灯っているガス灯もある。
問題は、屋外にあること。バンダリズムの危険にさらされている。よくガス灯のガラスが割られている。修理のために、ガス灯が取り外されていることも多い。
ガラスのなくなったガス灯では、野鳥が巣をつくっている。
場所は、Sバーンのティーアガルテン駅ツォー寄りの出口から数分のところ。 (2021年7月03日) |
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こんなさびだらけの橋が、道路の上に残っていていいのだろうか。網で保護されているとはいえ、危険ではないのか。
「リーゼン橋」という。都市鉄道Sバーンの鉄橋として使われていた。
「リーゼン通り」にあるからそう命名された。「リーゼン」は人名に由来するという。19世紀終わりに建設され、東西ベルリンの国境線にあった。さびた橋は、東ベルリン側に位置していた。
史跡保護物件に指定されているので、そう簡単には撤去できないらしい。
周辺の住民グループも、歩行者と自転車用に解放して残してほしいと嘆願している。 (2021年6月26日) |
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ベルリンの中心に、こんなはね橋があるとは思ってもいなかった。外務省の裏にある。
1798年にできたもの。ベルリンに残存する橋では、最古の橋だという。
橋を見ると、橋を引き上げるのが当時、手動だったことがわかる。
「処女橋」というのだそうだ。そのいわれには、いくつも説があるらしい。
その中で一番それらしいのは、ベルリンでは当時、知らない女性のことを「処女」と呼んだとかで、近くに住む二人の少女が自分でつくったアクセサリーを売りに、この橋をよく渡っていたからというもの。 (2021年6月19日) |
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ベルリンは、水の街でもある。周辺には、たくさんの湖がある。市内でも、あちこちに川や運河が走っている。
暖かくなると、水遊びを楽しむ市民も多い。
ヨットや豪華なボートを走らせる人。水上の小屋で余暇を楽しむ人などなど。水上の小屋にもエンジンがついており、川や運河を走っていることもある。
ぼくは、写真のように、水の上でのんびりするのが最高の贅沢だと思う。
トレプトウ公園向かい側のルムメルスブルク湖と、それにつながるシュプレー川では、水上の小屋がいくつも浮かんでいた。 (2021年6月12日) |
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ベルリン郊外にあるグリープニッツ湖駅の駅舎天井に、ツバメの巣がいくつもある。
いつもこの頃は産卵期で、ツバメが毎年、巣に戻ってくる時期だ。この時はまだ、ヒナはいなかった。
小さな駅舎なので、洞窟のように感じるのかもしれない。
天井には梁が何本もあり、巣は天井と梁、あるいは天井の壁の角にできている。
ツバメは小さな駅舎の出入り口を通り抜けて、外に出たり、巣に戻ったりしていた。 (2021年6月05日) |
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今、ハンカチノキの花が満開である。
幅広の大きな花を咲かせることから、ハンカチノキといわれる。広い花びらのように見えるが、苞葉といい、葉が変形したものらしい。
ドイツ語でもTaschentuchbaumといい、訳すとハンカチの木だ。
原産は中国らしい。珍しい木であまり知られていない。写真を撮っている時も通りがかりの人に何という木か何回も聞かれた。
ベルリンでは、中心街の公園ティーアガルテンとベルリン植物園にある。ベルリンでそれ以外にあるところがあれば、教えていただきたい。 (2021年5月29日) |
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写真に写っているのは、なーんだ?
ドイツでは今、白アスパラが最高の時期。ベルリンで食べることのできる白アスパラの中では、ベルリンの南に位置するベーリッツ産の白アスパラが一番。
ベルリンから車で約1時間。ベーリッツにある白アスパラ農場の一つで、白アスパラを食べようと思った。
農場は、農業や自然をベースにしたテーマパークのような感じ。シカやイノシシなども飼育されている。
その一角に、木でつくられた大きなイノシシのオブジェがあった。 (2021年5月22日) |
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1936年ベルリンオリンピックのメイン会場だったベルリンオリンピックスタジアム。ナチ時代の典型的な建築物だといっていい。
このスタジアムが再び、オリンピック会場となることはもう考えられない。市民がオリンピックを望まないと思う。
ベルリンは2000年オリンピックに立候補した。でもシドニーに負ける。その時もベルリンでは、かなり激しい反対運動があった。
今東京では、コロナ禍でオリンピックを開催するかどうかで揺れている。
ぼくは開催を最終決定するのは、IOCでもなければ、東京都でも日本政府でもないと思う。一番影響を受ける市民、特に東京都民だ。
今からでも遅くない。早急に国民投票をしてほしい。ネットを駆使すれば、短期に安全で確実な投票ができるのではないか。 (2021年5月15日) |
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ベルリンではここのところ、寒くて不安定な天候が続いています。5月生まれの知人が、生まれてはじめて誕生日に雪が降るのを見たといっていたのが印象的です。
この週末になり、ようやく春らしく暖かくなるようです。ただそれが、どれだけ続くのか。それが問題です。
ここ数日は風も強く、帽子を何回飛ばされたかわかりません。
天候が不安定で、雨が降ったりやんだり、急に太陽が出てきたりと、そのテンポも早い。その時、ふとアパートの窓から虹が出ているのに気付きました。
虹が、きれいに空に円弧を描いています。すぐに、もう一つも出てきました。でもその虹は薄い。
虹は次第に幅を広くし、色を濃くしていきます。 (2021年5月08日) |
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写真は、ルイーゼンシュタット地区からクロイツベルクの方向に向かって撮ったものです。最初の写真において、何か違いに気づきませんか。
そうです。向かって左の建物が古いのに対し、右側にはモダンな建物しかありません。なぜでしょうか。
実は、左側の建物は旧西ベルリンに位置し、そのすぐ手前にベルリンの壁がありました。その壁から右のエリアは、「死のゾーン」といわれた国境設備のあった空き地でした。壁崩壊後、新しい建物が設置されます。だから、建物がモダンなのです。
3枚目の写真の奥に橋があり、車が駐車されています。そこでベルリンの壁は、右に曲がり、そのまま右の方向に続いていました。写真奥が、旧西ベルリンだったということです。ここは、国境地帯となる前は運河でした。だから、橋があります。現在、バラ園になっています。
最後の写真は、そのバラ園から旧東ベルリンのルイーゼンシュタット地区に向かって撮りました。真ん中に、聖ミカエル教会が見えます。池は天使の池といわれ、壁崩壊後に整備され、こういう形になりました。 (2021年5月01日) |
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ベルリン自由大学のキャンパス横を通ると、桜の花が満開に咲いていた。満開というよりは、すでに花びらが散りはじめていた。
本来、学生が行き来し、たむろする広場。でも、学生の姿が見当たらない。コロナ禍で、大学の授業はオンランで行われている。
ドイツではこれから、サクランボ(チェリー)の季節となる。粒の大きい、甘酸っぱいサクランボが店頭に並ぶ。
ただ、今年のドイツの春は寒い。深夜はまだ零下だ。この寒さで桜の花がやられると、サクランボはもうならない。そのため桜畑では今、深夜に焚き火をしているという。 (2021年4月24日) |
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ベルリン中央駅から北に歩いて10分くらいのところに、インヴァリーデン墓地がある。18世紀後半にできたベルリンでも最も古い墓地の一つだ。
墓地は、東西ベルリンの国境線にあった。東ドイツによる国境警備のため、たくさんの墓石が破壊された。墓地のレンガ造りの壁もベルリンの壁として利用するため、その壁の上にさらに塀を取り付けていたという。
墓地の内側には、さらに壁がある。それも、当時のベルリンの壁の一部だ。現在、修復後、保存されている。
破壊された墓石の多くは、修復されていない。墓地には、第一次大戦とナチス時代の軍人やSS将校の墓石があったからだ。それを修復すると、右翼や極右派の巡礼地になりかねない。
ベルリン中央駅北側は今、新しい開発地域となっている。元東西ベルリンの国境だった運河では、黄色の新しい歩道橋が建設中だった。 (2021年4月17日) |
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ベルリンに内陸河川交通のための港がいくつもあるのは、すでにベルリーナールフトでも取り上げた。今回は、その一つの西港(Westhafen)。
1900年に設置計画がはじまり、第一次大戦で中断した後、1920年代に完成したベルリン最大の港施設だ。
戦後1950年代には、冷戦による西ベルリン封鎖の経験から、港の倉庫で食料品や石炭などの燃料が緊急時に備えて保管されていた。
ドイツ統一後はその必要がないので、ベルリンの博物館や図書館の所蔵品の保管倉庫などとしても利用されている。
現在コロナ禍で運行できない遊覧船がいくつも、港に停泊していた。 (2021年4月10日) |
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ベルリンでは長いロックダウンで、外出するのはスーパーに買い物にいくのと、ジョギングか散歩くらいしかない生活が続いている。
先日、ベルリン郊外にあるヴァンゼーという大きな湖の湖畔近くを散歩した。
春になって、いつもライダーの集まる高速の休憩所にライダーがたくさん集まっているのでびっくり。マスクもしていない。
湖でヨット遊びするのは、コロナ禍では何といっても安全か。
散歩した辺りは、高級邸宅のあるエリア。通りの住宅番号を示す標識は、豪華そのものだった。 (2021年4月03日) |
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コロナウイルスに対するワクチンの接種では、ドイツは後手に回っている。ワクチンの入手に手こずり、接種が思うように進んでいない。
それでも、ベルリンのワクチンセンターの一つでは、ワクチン接種を受ける人たちでごった返していた。ここでは、バイオンテック/ファイザーのワクチンだけが接種される。
現在接種されているのは、ほとんどが75歳以上や80歳以上の高齢者ばかり。
ワクチンセンターへの往復は、タクシーを使ってもいい。タクシーを利用する場合、タクシー券が配給される。ワクチンセンターの駐車場には、タクシーがたくさん並んでいた。 (2021年3月27日) |
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今日は、春分の日。ドイツ語では、「春のはじまり」という。
ベルリンではここのところ、寒い日が続いている。最低気温は零下で、日中も10度どころか5度にならない日が多い。昨日の朝は、雪も降った。
でも自然では、春の声が聞こえている。「春の雪の花」ともいわれる花が、雪にも負けず、あちこちに咲いている。
最初の白い花が「セツブンソウ(Winterling)」、次が「スイセン(Osterglocken)」、最後の黄色い花は「キバナセツブンソウ(Winterling)」だと思う。 (2021年3月20日) |
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ベルリンでは今週から、事前に予約がしてあればお店で買い物ができるようになった。一部が緩和されているとはいえ、コロナ禍でロックダウンが続いている。
ロックダウンは昨年11月から続く。すでに5カ月目に入った。
街中を歩くと、その影響が目につくようになった。カント通りを歩くと、あちこちにつぶれて閉店している店舗が目立つ。 (2021年3月13日) |
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写真は、田中路子さんと連れ合いのヴィクトーア・デ・コーヴァさんの墓石。ベルリンの名誉墓石となっている。
路子さんは日本人女優、声楽家として、戦前と戦後にウィーンやベルリンの社交界で活躍した。国外で活躍した日本人女性の先駆者の一人といってもいい。
駆け出しの時に、ベルリンで路子さんのお世話になった音楽家も多い。小沢征爾さんや若杉弘さんなど、名前を挙げるときりがない。
路子さんは当時、日本人音楽家が欧州で活躍するにはなくてはならない存在だった。 (2021年3月06日) |
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再建されたベルリン王宮が、「フンボルトフォーラム」として総合文化施設になるのはすでに報告した。
ここには東ドイツ時代、「共和国宮殿」といわれる建物があった。東ドイツの人民議会の議事堂があるほか、文化施設として利用されていた。
共和国宮殿はアスベスト汚染問題から、東西ドイツ統一直前の1990年9月に閉鎖。統一ドイツの連邦議会(下院)の決議によって解体されることになった。
解体前、共和国宮殿にあった芸術作品や調度品などが撤去され、保管されていた。その一部がフンボルトフォーラムで展示されている。
その一つが、「エーリヒのランプ」といわれた球状のガラス製ランプだった。エーリヒは、東ドイツのホーネッカー国家評議会議長のファーストネームだ。
ぼくの記憶では、この写真にあるガラスランプがエーリヒのランプだと思う。 (2021年2月27日) |
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ベルリンの寒さと雪は今週に入り、終わってしまった。最高気温は10度近くと、春の気配だ。
雪は、あっという間に消えてしまった。
でも雪の後、街はとても汚れている。滑らないように砂をまいたからだ。
雪が降ると、空気がきれいになり、騒音が吸収される。その分寒くても、生活環境がよくなったと感じる。気持ちが落ち着く。
暖かくなった今、そのギャップに苦しんでいる。あの寒さがなつかしい。
だから今回も、あの寒い時の写真を掲載する。 (2021年2月20日) |
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ベルリンではここ1週間、寒い日が続いている。連日、最低気温は零下10を下回る。日中も零下だ。
ベルリン中心にある公園ティーアガルテンでは、池が凍ってしまった。寒波が続いたことから、氷もかなり厚いと見られる。
最初は慎重だった市民。安全とわかると、氷の上でスケートを楽しむ。
アイスホッケーをする人、フィギアスケートもできる人、ただぐるりと滑る人など。
ベルリンでは、コロナ禍でロックダウンは4カ月目に入った。アイスステーションは閉鎖されている。
天気がいいと、市民にとって最高の憩いの場だ。 (2021年2月13日) |
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ベルリンはここ数週間、天候が不安定。先週末と今週末は雪。珍しく雪が積もった。
コロナ禍のロックダウンで、市民は自宅に閉じこもりがち。雪は、そうした人々の気持ちを外に引きつける。
こどもたちは、公園でそり滑りを楽しむ。あちこちに、雪だるまも見られる。
写真の雪だるまを見てもらいたい。何か気がつかないだろうか。
ドイツでは、雪だるまは3段でつくるのだ。ヨーロッパでも、日本のように2段雪だるまの国もあるらしい。でも、ドイツは3段型。
30年以上もドイツにいて、これまでまったく気づかなかった。 (2021年2月06日) |
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1月27日は、アウシュヴィッツ強制収容所が解放された日。ドイツではこの日が、ナチス犠牲者を追悼する日となっている。
ドイツ連邦議会(下院)議事堂において毎年、追悼式典が行われる。強制収容所生存者などがスピーチをする。
この日、議事堂屋根のドイツ国旗が半旗になっていた。
議事堂近くにあるホロコースト追悼記念施設にいくと、一般市民などが置いたと見られる花やローソクが目立つ。
記念施設には、高さの異なる四角い石がたくさん並んでいる。これは、強制収容所の生活を擬似体験してもらうため。
石の間の狭い通路では若い女性が二人、通路に落ちているゴミ拾いをしていた。 (2021年1月30日) |
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新しく「フンボルトフォーラム」と命名されたベルリン王宮には、まだ入場することができない。コロナ禍で、美術館や博物館などの文化施設が閉鎖されているからだ。
フンボルトフォーラムは現在、オンラインだけでオープンされている。
その展示テーマの一つが、ドイツの植民地主義だ。植民地を支配した国の民族博物館には、植民地時代に”盗んできた”展示品が多いのも事実。フンボルトフォーラムもそうだ。
名目上は、研究目的となっている。でも植民地時代に、現地から許可をもらったとは思えない。許可なく持ってきたものは、元の持ち主に返すのが筋。フンボルトフォーラムのオープンが、”盗品”の返還について議論するきっかけにもなってほしい。
ドイツが植民地時代に”盗んできた”ものの中には、アイヌ人の頭蓋骨もある。
ドイツの植民地主義については、「植民地主義がグローバル化のはしりだった」の記事も参照。 (2021年1月23日) |
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ベルリン王宮の再建で問題になったことの一つは、正面ドームの上の十字架だった。
再建後は、「フンボルトフォーラム」として総合文化施設となる。民芸博物館や東アジア博物館などから世界各国の展示物が移転してくる。宗教上、いろいろな背景を持ったものが展示される。
それを、旧ベルリン王宮に十字架があったからという理由だけで再び十字架を設置していいのか。十字架があっては、展示物に適さない。賛否両論の議論が展開された。
最終的な結論は簡単だった。
ドーム再建の資金を提供したスポンサーが十字架が必要だと主張。だから、十字架をすえることになる。お金が解決したということだ。
2015年6月に撮影した工事現場の写真は、「ベルリン王宮はだかの姿」にまとめてある。 (2021年1月16日) |
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ベルリン王宮が再建された。
元々は、ホーエンツォレ家の居城。プロイセン王、その後はドイツ皇帝の居城だった。第二次大戦終戦直前のベルリン空爆で焼ける。
戦後、焼けた王宮は東ドイツ誕生直後の1950年に爆破、撤去された。跡地に、東ドイツの国会議事堂となる共和国宮殿が建設される。
東西ドイツ統一後、共和国宮殿のアスベスト汚染が発覚し、取り壊される。その後、ベルリン王宮の再建話が持ち上がるが、賛否両論の意見があった。
最終的には2007年、連邦議会によって外壁を再現して博物館などの総合文化施設「フンボルトフォーラム」として再建されることが決定された。
2015年6月に撮影した工事現場の写真は、「ベルリン王宮はだかの姿」にまとめてある。 (2021年1月09日) |
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ベルリンの元旦は、コロナ禍ではじまった。
ブランデンブルク門では、大晦日のパーティも元旦へのカウントダウン後に打ち上げられる恒例の花火も中止。花火の販売も禁止され、市内では花火禁止地区も規定された。
それでも元旦になると、花火が打ち上げられ、バンバンとかなりの音がしていた。でも例年よりは、俄然静かだった。
こちらでは、元旦に初散歩をする市民が多い。
コロナ禍では、散歩は不要不急でも認められる外出手段。それだけに、例年になくシュプレー川の畔を初散歩する市民も多かった。
2021年元旦のベルリン。 (2021年1月02日) |
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